第二十一章  腹違い兄弟

杉本耕一は茂樹と同じ二十九才で、東北大学時代から茂樹の親友だった。
高校も同じで、大学では耕一が空手部、茂樹がバトミントンン部の選手としてインカレにも出て、その世界では名を馳せていた。
加藤商事に入社したのも、スポーツで名を売っていたからで、学業の成績は
お世辞にも優秀とは程遠いものだった。
というのも、体育会という厳しいクラブに所属していて、かつ夜のアルバイトをして授業料を稼がなければならない環境にお互いあったからだ。
茂樹は、高校時代に父親が何の理由もわからずに蒸発してしまう事件があり、母親と弟、三人が生活することもままならない状態で大学に入った。
また耕一は、彼を出産後すぐに亡くなった母親の後添えを、父親がもらったため、家庭になじめず、その上、継母が産んだ腹違いの耕作との確執が小学生の時から起こり、高校を卒業して大学に入った時に家を出てしまった。
似通った環境で育った二人は、高校の時は、お互い知らなかったが、同じ大学に入って、クラブこそ違っていたが体育会の部室で顔をよく会わせる内に親しくなり、夜のバーテンのアルバイトを一緒にするまでの仲になったのだ。
耕一の父親は、小さな会社を経営していたから、経済的に貧しくはなかったが、継母が余りにも耕作に偏った子育てをし、それを黙認していた父親に猛烈な反発を感じる少年時代を過ごした。
高校までは、養育して貰わなければなかったから家にいたが、大学に入ったら自立する為に、すぐに職を探して家を出て行った。
下宿生活する耕作を、貧しいながらも、自分の家に呼んでは家庭の食事を味わせていた茂樹との間に、ますます信頼が深まっていき、就職も同じ加藤商事にしたのだった。
一方、腹違いの弟である耕作は、甘やかされて育ち、頭は耕一の方が遥かによかったが、継母の強い要望で、東京の大学をいくつも受験させた。
しかし、所詮優秀な大学はみんな不合格で、結局独協大学に入ったが、大学生の間も、家から潤沢な仕送りを受け、放蕩三昧の生活を送る中で美奈子と知り合ったのだ。
ちょうど、コンピュータお宅がぞくぞくと育っていた時代で、耕作も女遊びとコンピュータというゲーム機に夢中になっていく内に、学生でありながらソフト事業を始めたのだが、それも仙台の実家から送られた資金があったからだった。
耕一の話しでは、夜逃げした直後、耕一の勤める加藤商事に街金融の取りたて屋である暴力団が押しかけて来たらしい。
しかし、大学時代から名を馳せていた空手道の達人と判った途端、彼等は逃げるように引き上げて行った。
その代わり、仙台の実家に取りたてに押しかけるだろうと、耕一は言っていた。
「仙台の実家のご両親は、耕作さんが夜逃げしたことをご存知なのですか?」
美沙子が耕一に尋ねると、「もちろん知っていると思いますよ。耕作は仙台に逃げたんだと思います。両親が匿っているに違いありません」
吐き捨てるように言う耕一に、そういった家庭環境を知らない美沙子は、ただため息をつくだけだった。
横にいた茂樹は、戸惑う美沙子の表情を見て、話題を逸らそうとした。
「肝心の美奈子さんも、一緒に仙台に行ってしまったのかな?」
耕一は首を振って、「そんな足手まといになるようなことをする奴ではないよ。逃げるなら一人で逃げるに決まっている」
と言った。
「それじゃ、美奈子さんが家に帰っていないというのはどういうことだい?」
美沙子も不安になって、茂樹の質問に対する耕一の答えを待った。
「多分、新宿の歌舞伎町の風俗か、渋谷のロシアマフィアに売り飛ばされている可能性が大きいだろうな。あいつは、そういう連中とつき合っていたからな」
その話しを聞いた美沙子は、体ががたがた震えだした。