第二十五章  徳大寺辰子

「和田さん、お母さんには会ったの?」
ラウンジ・ロンドンのママ辰子は、茂樹に聞いた。
「いえ、さっき仙台に着いたばかりで」
頭を掻きながら答える茂樹に、「いけない人ね。お母さんだけには心配かけては駄目よ」
二人の会話を聞いていた美沙子は、茂樹と辰子の付き合いが如何に深いかを思い知ったような気がした。
『わたしと、この人とはまだ知りあって一ヶ月も経っていない。だけどこの女性とは少なくとも十年以上の関係なんだ』
そう思うと、嫉妬心を持った自分のあつかましさに苦笑する美沙子だった。
そして、美沙子の心の中での苦笑が表情に出たのを、辰子は見逃さなかった。
「和田さん、この方、あなたの恋人?かわいい方ね。お名前を聞かせてちょうだい」
辰子は優しい表情で美沙子の方を向きながら茂樹に尋ねた。
「神田美沙子さんです。まだ恋人同士までなっていません。ただ僕はそれを願っているのですが」
突然の茂樹の言葉に辰子より、美沙子の方がびっくりした。
「相変わらずはっきり言ってくれるわね。美沙子さん、わたしは徳大寺辰子という、もう四十才に間もなくなるお婆ちゃんよ。この人とは男女の関係ではないから心配しないでいいわよ」
何事にもはっきり言う辰子に圧倒されながらも、好感を持った美沙子も胸襟を開いた。
「お婆ちゃんなんて。初めてお顔を拝見した時、東京でもこんな美しい人は滅多にいないと思い、正直少しやきもちを焼いてしまってごめんなさい」
正直な気持ちを言ったのが余ほど気に入ったのか、辰子は美沙子の傍に擦り寄って肩を抱きながら大笑いして茂樹に言った。
「ほら、もう二人は恋人同士だと宣言したのと同じね」
今度は美沙子の発言に驚く茂樹だった。
「俺はその間を取りもつ、さしずめピエロみたいなもんですね」
黙って聞いていた耕一が笑いながら言った。
耕一の顔を見た、辰子の表情が変わった。
「あなたが、あの有名な杉本さんね」
杉本耕一の名前は、彼が大学の時に空手選手権で日本一になって仙台中を湧かせた時から、その世界では轟いていた。
水商売のアルバイトをしていた学生の頃に、仙台のチンピラ連中が、彼との喧嘩で片輪にされる羽目になったことが、今でも語り草になっていた。
「いや、あの頃は若気の至りで馬鹿なことをしてました。いまそのことを後悔しています」
頭を掻きながら言う耕一に、辰子は好感を持ったらしく、「和田さん、いいお友達を持って、あなた幸せね。人間どこかでいいこともあるわね。お父さんに蒸発されるるような嫌なこともあったけど」
何事にも隠しごとを一切しない性格の辰子のことを、良く知っている茂樹は、別に嫌な気分にもならず、「そうですね。人生まんざら捨てたもんではないですね」
と言って頷いた。
徳大寺辰子、三十九歳。
仙台でも名門の家系に生まれて、東北大学文学部を卒業した才媛だった彼女が、どこで道を踏みはずしたのか、本人の口からは絶対に聞いた者がいないのだが、巷の噂では、高校、大学の同級生でやくざの息子だった男を好きになったのがきっかけで、ずるずるとその世界に引きずり下ろされ、実家に迷惑を掛けることを避けて、家を出て水商売の世界に入ったらしい。
本来持っていた男勝りの性格が、この世界で頭角を表し、今ではやくざの世界でも有名な国分町のママさんになっていた。
しかし、彼女は決してやくざ連中との付き合いをすることはなかった。
青葉会という仙台随一の暴力団の、会長の愛妾だという噂も、実はデマであったが、本人は敢えてそれを否定しなかった。
自分の身の上話しとして三人にした辰子が最後に言った。
「いくら否定しても、他人の思うことをどうこう出来ないでしょう。返って否定してばかりしていた方が余計怪しまれるだけよね」
『世の中にはいろんなことがあるんだわ。わたしなんかまったくの世間知らずだ』
不安を持って仙台にやって来た美沙子だったが、いまは『来てよかった』と思うのだった。