第三十章  間一髪

耕一と美沙子が、根岸の茂樹の家の前にタクシーで着いた時、茂樹母子は外で待っていた。
「母さん、事情は後で話すけど、こちらは神田美沙子さんと言って、東京から一緒に来られたんだ。じゃあ又ね」
タクシーから一旦降りた二人に、再度乗るように促した茂樹だったが、耕一は保子に向かって、挨拶をした。
「おかあさん、お久しぶりです。自分の実家のごたごたに茂樹を巻きこんだようです。申し訳ありません。失礼します」
そう言って耕一がタクシーに乗った後を、無言で保子に挨拶のお辞儀をした美沙子の目を保子はじっと見ていた。
根岸町から長町までは歩いても行ける距離だったが、三人はタクシーに乗って杉本家に向かった。
「耕作は一体何を企んでいるんだろうか?」
電話の説明では、はっきり理解していなかった耕一が茂樹に聞いた。
「お袋が聞いた話しでは、東京にいる耕作君のフィアンセが大金持ちで、借金の肩代わりをしてくれる為に、今晩取りたて屋のやくざ連中と話し合いをするらしい」
「その東京の大金持ちのフィアンセというのが美奈子のことでしょうか?」
横から美沙子が聞いた。
「そうだと思います」
「美奈子は、そんな事知っているのでしょうか?」
頭をかしげる美沙子に、茂樹は答えることが出来なかった。
「多分知らないと思いますよ」
耕一が断言した。
その時、杉本家の前にタクシーが着いた。
耕一が真っ先に降りて、玄関に一人で走っていった。
追いかけるように、後から二人も走った。
玄関のチャイムも押さずに耕一はドアを開けた。
玄関を見た美沙子は、男の靴がずらりと並んでいるのを見てぞっとした。
五人以上いる様子で、その中にポツンと赤い若い女性の靴が黒と赤のコントラストで輝いていた。
何も言わずに耕一は上がって、応接間のドアを開けた。
中には、見るからにやくざそのものの格好をした男たちが六人もいた。
杉本耕太郎夫婦、耕作と美奈子もいた。
全員が、びっくりした様子で開いたドアの方へ一斉に視線を向けた。
「耕一!」
「兄さん!」
耕太郎と耕作が思わず叫んだ瞬間、耕一はテーブルの上にある書類をわしずかみした。
「何をするんだ!てめえ!」
立ちあがって叫ぶ男の腹に、耕一は拳を一撃した。
「うんんん!」と唸って床でのたうち回るのを見た他の連中が呆然としている間に、耕一は書類を読み終わり、それを茂樹に手渡した。
「やっぱり。でも美奈子さんが印鑑をまだ押していなかったから良かったよ」
茂樹はその書類をみんなの前で破ってしまった。
「美沙ちゃん!」
普段は、男まさりにずけずけ言う美奈子も、さすがに恐怖で震えて美沙子の姿を見て泣き出しそうになった。
「何だ!てめえ!」
別の男が叫ぶと、地場のやくざ風の男が、叫んだ男に耳打ちした。
叫んだ男の表情が急に青くなった。
「俺たちは、貸したものをきっちりと返してもらえれば文句はないんだ」
叫んだ男が、青い顔をしながら冷静な口調で耕一に向かって言った。
「俺は、ここにいる弟の耕作の借金を棒引きにしてくれたら、お前たちを片輪にしないと約束するよ。それとも腕も足も無いダルマで一生過ごしたいかい?早く結論を出しなよ」
と言って、耕一は床で口から血を吐いて苦しんでいる男の足を掴んで、捻るようにして力を入れた。
「ボキッ、ボキッ、ボキッ」
不気味な大きな音がすると、「ギャー!、ヒェー!」とその男は悲鳴をあげて、失神してしまった。
「この男は、二度と歩けなくなったよ。さあお前さんたち、どうする?」
静かな口調で喋る耕一に、他の連中はフニャフニャとなってソファに倒れてしまった。
その様子を見ていた美沙子と美奈子は、今まで自分たち女が如何に慢心した生き方をしていたかを思い知らされた。