第三十五章  サラ金残酷物語

杉本耕作は徳大寺辰子の呼び出しを受けて、事態の収拾について話し合うことになった。
耕作が辰子のサラ金から借りたのは一千万円だったが、年利二十九%の利子で利息はあっという間に借りた元金を超えていて、今の日本経済が回復しない限り返済する見込みは皆無だった。
しかし日本経済は、明らかに恐慌状態にあった。
不景気と恐慌とは本質的に違う。
不景気と言うのは、製造業の設備投資にアンバランスが生じると、需要・供給のバランスが崩れて起こる、純粋な経済法則が生むものである。
恐慌は、投機を目的とした機関投資家が金融システムを混乱状態に陥らせることによって社会不安を引き起こすことを目的とした人為的な現象である。
普段の機関投資家は、資金運用益を稼ぐことにエネルギーを費やしているが、三十年から五十年に一回の周期で、経済のパラダイムが変わる時に起こすのだ。
英国で資本主義経済が興ったのが十八世紀の末で、それから二百余年が経過したが、その最初から二十年から三十年に一度は必ず恐慌が起きていた。
しかし、景気と不景気のサイクルはもっと短い。
日本経済が恐慌に突入したのは、1980年代の東京の青山、原宿から端を発した不動産の暴騰に始まり、1991年2月21日に機関投資家のバックについている国際大資本が日本の大蔵省銀行局に命じた総量規制である。
かつて英国でも、恐慌が起こると、必ず頭をもたげてくるのが、高利貸しである。
そして高利貸しが、銀行を凌駕する程の勢いを持ってくると、大恐慌になる。
そういう意味では、日本の現状は大恐慌である。
日本全国ほとんどの駅前にサラ金業者の看板がずらっと並んでいるのは、まさに亡国のパラダイムに突入した兆候である。
徳大寺辰子の経営するサラ金は、全国展開の大手サラ金ではないが、仙台では大手に入る業者であった。
貸し出した相手の三割が、自己破産することによって債権が焦げつくのが、この業界の常識であるが、それでも長者NO1になるサラ金オーナーが誕生するのだから、余程の利潤があるのだ。
「杉本さん、どうするの?返すお金を工面する見込みはないでしょう。自己破産されると、わたしのあんたへの債権は焦げつくことになる。だけど、あんたも、世間を堂々と生きてゆけなくなる。この前渡した書類に、あのかわいいお嬢さんは印鑑を押したんでしょう?」
耕作は頷いて、内ポケットから書類を出して、辰子に渡した。
美奈子の父親柴田勇作が、耕作の借金の連帯保証人になっている書類であった。
しかも、その金額は利息を含めた二千万円近いものより桁が一つ大きかった。
「これで、あんたは自己破産もせずに、しばらくこの三千万円の現金で姿をくらましていればいいの。こっちは二千万円が二億円になって帰ってくるんだから、お互いこれ以上のことはないわね。さあ早く見つからないうちにどこかに行きなさいな」
耕作は、辰子から三千万円の現金を貰って店を出て行った。
「さあ、いつあのけだものが牙を剥いて来るか。なかなかの相手だから油断は出来ないわよ!」
辰子が周りにいた手下達に言うと、彼らは昨夜のことを思い出したのか、「もうあの化け物とは顔を合わせたくないですね」とため息をついて言った。
「そうだね、あの二人が手を組むと、我々でも手を焼くだろうね」
辰子もため息をつくのだった。