第三十七章  プラスチック人間

美沙子と夕方に、軽い食事を銀座でした美奈子が松涛の家に帰ったのは、夜の七時頃だった。
門の前に、車が二台止まっていたが、物事をあまり深く考えない美奈子は、裏の勝手口の鍵を開けて家の中に入った。
心配しているはずの両親のことを気にしていたら、まず両親に顔を見せるべきなのに、美奈子にはそういった発想はまったくなかった。
悪気があるわけではないのだが、人の気持ちを慮ることを知らないで育ってきた。
親の躾が為されていないと言えば、それまでだが、原因は決してそれだけではない。
堕落した現代日本社会をつくったのは、マスメディア、特に民放テレビと週刊誌だ。
欧米自由主義国家、特にアメリカが、1930年代の大恐慌を収拾する政策として表向きには、ニューディール政策で以って大恐慌を切りぬけたと歴史は伝えているが、実際には3S政策で以って需要の喚起を促したのが真相である。
3Sとは、セックス、スポーツ、スクリーンを指し、この三つを一般大衆に蔓延させることで堕落させていこうとする陰謀である。
確かに、これらの娯楽は二十世紀初めあたりから急激にアメリカを中心に広がった。
近代国家が生んだ負の遺産は、中世社会の根幹が禁欲主義を徹底するキリスト教であったことへの反発を利用して、大衆を堕落させ政治から関心を背ける3S政策であったことは誰も知らない。
日本でも、戦前からこの3S政策が蔓延る兆候が顕れていたが、皮肉なことに戦争を始めた軍閥の全体主義が、それを抑えていた。
敗戦によって軍閥が消滅し、アメリカ占領軍が日本に入ってきて、この3S政策を積極的に導入する政策を採り始めた。
アメリカでは一年中、プロスポーツ番組で満載だ。
しかし、国土が狭い日本では、彼らはプロ野球に集中させる戦略を立て、経済成長に、この3S政策を採用させた。
アメリカの陰謀の手先となって、退廃した現代日本社会を構築したのは、A級戦犯でありながら、東京裁判で無罪放免されたX新聞の社主でプロ野球を日本に普及させた人物である。
この3S政策を中心に為された戦後教育は、是々非々の判断能力をまったく持たない人種をつくりあげていき、美奈子はその申し子のようなタイプであった。
自分の部屋に気づかれずに入ろうとした美奈子は、玄関の横にある応接間から大きな声がするのを聞いた。
耕作から、頼まれて内容も読まないで書類に父柴田勇作名の署名をして印鑑を押したことをすっかり忘れていた美奈子は、まだ応接間で起きていることに気づかない程、思考能力の無い人間になっていた。
疲れた美奈子は、自分の部屋のベッドに、帰って来た時の服装のままで寝入ったしまった。
その間、美奈子の両親は地獄の苦しみを味わっていたのに、美奈子は夢の中で楽しい夢を見ていた。