第五十一章  長い一日

両腕を斬り落されても、まだ死ぬのは怖いらしい。
昔の侠客は潔さに命を張った生きざまを本分としていた。
これだけの武道を身につけた男でも、魂が金で腐ってしまうと、ただの臆病男になってしまう。
最近のやくざは暴対法の強化で、ますます世間が住み難くなり、その網目をすり抜けて生き残るには、鉄砲玉の糞度胸だけでは通用しなくなってしまった。
堅気の世界で共存しながら金儲けをしなければならない羽目になり、必然、知力が腕力や胆力よりも重要になり、侠客魂は消滅せざるを得なくなったのだ。
「足だけはご勘弁を!」
手を合わせてお願いするにも、手が無い。
まさに、白隠禅師の「隻手の声」の想いを怪物に伝えようと必死だ。
「そんなに怖いのかい。お前、今までどれだけの人にそんな想いをさせてきたのかわかっているのか!ええ何とか言ってみろよ!」
右手に持っていたドスで、ウルフの太股を刺した耕一は、貫通して床板に突き刺さったドスを掻きまわした。
「ヒイイイ!」と背中から悲鳴が聞こえて、耕一は振り返ると、美奈子が余りの残忍な光景に失神してしまったのだ。
そしてウルフも痛みに耐え切れず失神していた。
「美奈子さん!」
化け物から、普通の人間に戻った耕一が、美奈子の肩を揺すって、背中に喝を入れたら、美奈子は気を取り戻したが、まだ呆然とした状態だった。
外で車が急停車する音が聞こえて、チャイムが鳴った。
「はい」と耕一が出ると、茂樹だった。
「今すぐに門まで行くから」
そう言って耕一はウルフの様子を見ると、まだ意識が少しある。
『二人をここに置いておくのはまだ危険だな』
耕一は美奈子を抱えて玄関を出て行った。
門の横の戸の鍵を、美奈子を抱きながら開けたら、茂樹がまず入って来た。
「美奈子さん、どうしたんだ!」
茂樹の声で、美奈子の母親の幸子が、「美奈子!」と叫んで耕一の腕から美奈子を抱きかかえようとした。
父親の勇作も一緒に美奈子を耕一から受け取った。
「ちょっとショックで気を失っただけですから、心配ありません」
二人は安心して、耕一にお礼を言った。
「わたしたちだけでなく娘まで助けて頂いて、本当になんと言っていいのか・・・」
「和田。それより、救急車と警察を呼んでくれないか。野獣が家の中で瀕死の状態なんだ」
「解った!」と言って茂樹は携帯電話で渋谷警察に電話をした。
みんなで、家の応接間に入ろうとしたので、「そこには入らない方がいいですよ」
と言って応接間に茂樹と二人で入ってドアを閉めた。
ウルフの様子を見た茂樹でも、吐き気を催すほどの光景だった。
「ちょっとやり過ぎたんじゃないか?」
茂樹の言葉に、耕一も素直に「そうだな」と認めた。
「しかし、これで一件落着したな」
と茂樹は言って、美沙子の家に電話をした。
「もしもし、和田ですが」
美沙子も電話を待っていたらしく、「無事でしたか?よかった」と嬉しそうに言う美沙子と長い間話をしていなかった感じがした。
警察と救急車がやって来て、ウルフは救急車で運ばれていった。
柴田夫妻から事情を聞いた警察は、「まあ今回は、あんた達がこの人たちを救ったのだから、事情聴取は無しにしよう。しかしちょっとやり過ぎの感は否めないね」
責任者らしい刑事が、苦笑いしながら耕一と茂樹に言った。
二人は、帰ることを許可されて、待っていたタクシーに乗った。
「運転手さん!今日は一日ありがとうございました」
老運転手が、「今日は長い一日だったね。ご苦労さん」と言うと、三人は大笑いした。