第五十七章  微妙な心理

結婚したいと思う原点は一体どこにあるのだろうか。
結婚という慣習ができたのは、約五千年前だと言われていて、それまでは女性は複数の男性と交わることは普通であったようだ。
だから、産まれた子供は、自分の子供であることは間違いないが、父親は誰かを判定することは不可能だった。
従って、「父親」という言葉が誕生したのは、一夫一婦制の結婚の慣習ができた五千年前である。
しかし、それ以前に言葉は既に存在していて、その時、存在していた言葉は、「母親」と「おじさん」だけであった。
要は産まれた赤ちゃんの母親は、はっきりしていたが父親は、はっきりしていないから、みんな「おじさん」と呼んでいたらしい。
一夫一婦制の結婚慣習ができて、初めてお互いの存在を肉体面のみならず精神面においても認めるようになった。
結婚したいと思う原点は、相手を認めることであり、相手と共に生きてゆきたいと思う気持ちであろう。
ところが、現代においての結婚の動機は、「相手とできるだけ一緒に長くいたい。だから一緒に住む」という程度のものであれば、離婚というものを、現代社会のように安易に考えないのだが、そろそろ適齢期だから、一人で生きてゆくことに対する不安や不便さが動機となっては、条件が崩れると簡単に離婚をしてしまうのだろう。
現代において、最低限の結婚する資格のある条件は、「できるだけ、相手と一緒にいたい」という気持ちがあるかどうかだろう。
少年や青年が、まだ結婚するには早過ぎると言われるのは、まだその程度の年齢の時は、相手を好きになることは出来ても、自分の自由を一番優先するわがままさが残っている為に、ずっと一緒にいることは、たとえ好きな相手でも耐えられないのだ。
だから、青年の恋では、余り長く一緒にいると、必ず壊れる。
適度に逢ったり、逢わなかったりするのが丁度いいのだ。
それでは、ずっと一緒に同じ家の中で住むことなど不可能である。
男にとっては便利さが、女にとっては不安感の解消が、結婚の最大の動機であろう。
ただ好きで、ずっと一緒にいたいだけなら、結婚などせずに同棲しておればいいはずだ。
好きでなくなったら、ややこしい離婚手続きなどしなくて済むのだから。
こういった微妙な心理が、結婚する男と女の中に生まれるから、いくら好きでも、いざ結婚となると、二の足を踏むのだ。
茂樹と美沙子は、「一緒にいたい、だから結婚したい」のが、一番の動機であることを、二人とも認識していたし、その気持ちが一番大事だと思った。
そこで母親の美子から、大胆な提案が出された。
「結婚は先でも、もう一緒に住んだらいいじゃないの」
同棲の提案だ。
「お前、なんてことを言いだすんだ!」
父親の敏茂は仰天して叫んだ。
しかし、微妙な心理にある、茂樹と美沙子にとっては、一番受け入れ易い提案だった。
「そうですね」「そうだわ」
二人とも美子の提案に納得した。
「そうしよう」「そうしましょう」
二人は決めてしまった。
呆然とするのは父親の敏茂だけだった。