|
第十二章 日本(ヤマト)の成長 茂樹が社長をしているミクアマ・リミテッドは設立3年目を迎え、貿易業務も順調で、特に、ミクアマアンテナの次期社長として迎えられた先輩の石原が加藤商事時代に開拓したアメリカでの商売が飛躍的な成長を遂げていた。 仕事は忙しかったが、茂樹は夜の付き合いは、部下の吉永に任せて、自分は一切しない方針を貫いていた。 そして、遅くても夜の7時までには、帰宅する習慣をつけていた。 ヤマトは3才になった。 言葉も自由に喋れるようになり、ふたりのことを、「トト」「カカ」と言わせていた。 戦後のアメリカの影響を受けて、両親のことを、「パパ」「ママ」と子供に言わせる風潮が大勢を占めていたが、茂樹と美沙子は、やはり「お父さん」「お母さん」とヤマトに呼ばせたかったが、まだ3才では無理なので、「トト」「カカ」と呼ばせていたのだ。 茂樹の育った家庭は、彼がまだ高校生の時に、父親が蒸発してしまい、母がひとりでふたりの男の子を育てた暗い過去がある。 『男らしい子供に育ててやるんだ』 学生時代に暗い過去を持つ茂樹にとって、ヤマトには、まっすぐな素直な子供に育て、男らしい人間になって欲しいという想いが強かった。 しかし、ヤマトがよちよち歩きをし始めた2才の頃から、その行動に臆病さを感じた茂樹は何とかして勇敢な子にしたい想いから、荒っぽい扱いをするようになっていた。 美沙子は、そんな茂樹のヤマトに対する扱いに危惧を持っていた。 美沙子の父の敏茂は大企業のサラリーマンで、それほど出世はしなかったが、非常に子煩悩な父親だった。 美沙子が3才になった頃から、余ほどかわいいのか、かわいさ余って、美沙子をおもちゃのように扱い、座布団を小さな美沙子の頭に被せては、泣きわめく美沙子を見て面白がっていた。 それが父親の愛情表現であったのだが、3才の美沙子にとっては、それは恐ろしい体験だった。 それが幼児体験となって、美沙子は大人になってからも閉所恐怖症になった経験がある。 「こんな歳の子供が怖がることを余り叱っちゃ駄目よ。臆病な子に見えるかも知れないけど、どこかの本で読んだことがあるけど、子供の臆病さは、頭が良い顕れだから、それを押し潰してはいけないと書いてあったわ。大胆な行動をする子供は、それが危険だということが判らずにやっているだけで、人間の本質は3才から5才ぐらいで決定してしまうらしいわ。その時に一番大事なことは、良い意味で、生きることは危険に満ちているということを体で知ることなんですって。だから、ヤマトが臆病そうに見えるのは、危険なことを判断する能力がある証なんだから、怖がった時に怒るのはよくないわ」 美沙子の言うことに、茂樹も、そうだと思った。 彼の高校生の頃の体験は、今でも暗い影を投げかけていた。 父親に対する憎しみは、大学に入って学費を自分で稼ぐために夜のアルバイトをやっていた中で、じわじわと湧いてきたのだ。 『みんな親の脛をかじって大学生生活を遊び楽しんでいるのに、何故俺はこんなことをしなければならないんだ!』と思う度に、蒸発した父親に対する怒りと憎しみが増幅していくのだった。 その怒りのエネルギーが、喧嘩をする方に向いてしまっていたのだ。 『子供は素直にまっすぐ育ててやらなければ・・・』 子供の頃に腕白だったのが、青年から大人になるにつれて、反対におしなしくなる場合がよくある。 逆に、臆病だった子供が大人になって、勇気のある人間になる場合もよくある。 『生きるということは危険に満ちていること』だということを知ることは、非常に大事なことである。 事実、『一寸先は闇』と言われるように、人生は何が起こるか、当の人間には予測不可能なことである。 危険とは、予測出来ないことが起こり得ることを言う。 それを知識と経験から得た知恵で以って克服していく意志の強さが、人間にとって一番大事な勇気なのである。 その知識を、3才から5才頃までに修得しているか、していないかで、ほぼその人間の生き様が決まってしまう。 そういう意味では美沙子が言った、ヤマトの臆病さは、欠点ではなくて極めて大事な長所であるのだ。 『この長所を大事に伸ばしてやらなければ』と思うふたりだった。 「トト!遊ぼう!」 ヤマトから茂樹に話かけて来た。 『子供はやっぱり敏感なんだ!』 茂樹がヤマトに対して持っていた臆病さというネガティブな想いが消えると、すぐにヤマトから接してきたのだ。 それまで臆病さを克服させようと、無理やり怖い状況を造っては、ヤマトを鍛えているつもりだったが、その後の茂樹のヤマトに対する対応はまったく変わった。 今まで家に茂樹がいても、「カカ、カカ」と美沙子ばかりにくっつくヤマトだったが、それ以来、茂樹がいつも帰宅する7時頃になると、美沙子に時計を指さして、「トトが帰る時間、トトが帰る時間」と繰り返し、玄関に行ってはまた戻って来て、いそいそする。そんなヤマトを見て美沙子はやきもちを焼きたくなるぐらい茂樹べったりになってしまった。 『大人も子供も余り変わらないわ』 独り言を呟いていた美沙子だった。 「ピンポン」と音がした。 「トトが帰って来た。トトが帰って来た」 はしゃぎ回るヤマトを見て、美沙子はやっと母親になった実感が湧いていた。 ヤマトと一緒に玄関のドアーを開けると、「ヤマト!今帰ったよ!」というのが、いつもの茂樹の第一声だ。 「トトが帰って来た、遊ぼう、トト!」 ヤマトは廊下を往ったり復たりして走り回る。 その姿を見るのが、茂樹の一番の楽しみになっていた。 「お帰りなさい。お仕事ご苦労さまでした」 美沙子のいつもの第一声が、この言葉だった。 人間関係というものは、複雑と言うか、単純と言うか、まったく不可思議なものである。 ちょっとしたことで好感を持ち、またちょっとしたことで同じ相手に反感を持ちながらも、付き合って行く。 子供だったら、「もうお前は嫌いだから、遊ばない!」の一言だ。 大人になると、好感を持つのも、反感を持つのも、自己の都合という物差しで計っているのに、屁理屈をこねまわしては、他人を評価、判断する。 好感を持つのも、反感を持つのも、相手の意思ではなく、自分の意思であることが解らないらしい。 自分の意思であることを理解すれば、他人を評価、判断しないようになる。 それが本当の大人というものだ。 加藤商事にいた時、茂樹がつくづく商社が嫌になったのも、お互いに相手をこけ下ろす言動ばかりに毎日腐心している姿を見て来たからだ。 同じ、批判をお互いに第三者にやっているのだ。 時には上司に、時には部下に、ライバルと思っている人間をこけ下ろすのだ。 聞いている相手からすれば、豚に真珠の話なのだが、上っ面では、両方に迎合している。 『こういった人種は商社だけのものなんだろうか?』 茂樹は何度も自問自答していた。 ミクアマ・リミテッドの社長と言っても、雇われ社長で部下も3人だけの会社だから、茂樹は同僚のように思っていた。 しかし、吉永哲也は、同じ男で、年齢もさほど変わらなかったので、心の奥底では、茂樹に対する対抗心があったらしい。 同じ加藤商事から仲間になった重子は、そのことに危惧を感じて、茂樹のことを心配していた。 しかし、向こう意気の強い茂樹に言うと、話が却って大きくなると思った重子は、昼間に美沙子に電話をした。 「あのう和田社長のところでお世話になっています大隈重子です。奥さまの美沙子さんでしょうか?」 名前は、茂樹から聞いていたが、話をするのは初めてで、びっくりした美沙子だったが、重子の話を聞いて事情が呑みこめた。 「あのよろしければ、これからお家にいらっしゃいませんか?」 美沙子の方から誘ってみた。 1時間ほどで重子がやって来た。 「ピンポン」 ヤマトが、「トトが帰って来たの?」と不思議そうに言う。 それもそうで、ヤマトが見た時計は3時を指していたからだ。 玄関のドアーを開けて、「どうも始めまして。和田美沙子です。いつも主人がお世話になっています。どうぞお入りになってください」 重子が中に入ると、ヤマトが美沙子に訊いた。 「カカ。この人誰?」 「トトのお友達よ。挨拶して。自分の名前知っているでしょう?」 「うん。僕、和田日本(ヤマト)です。おばさんは?」 美沙子は慌てて、ヤマトに言った。 「おばさんじゃないでしょう。おねえちゃんでしょう。ごめんなさいね、おばさんなんて、若い方に・・」 重子は微笑ながら、「いええ、ヤマト君が言うように、わたしはもうおばさんですからいいですよ」 人の良さそうな笑い顔をする重子を見て、『この女性は信用できる方だ』と女同士の直感で、美沙子はわかった。 「おねえちゃん。遊ぼう」 ヤマトのこの一言で、重子も、茂樹の人間性を信じ切る決心がついた。 |