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第十三章 四苦八苦 人生というものは、正に無常である。 同じ状態が一瞬たりとも止まることはない。 ヤマトが生まれるまで、茂樹と美沙子の関係はガラス細工のような脆いものだった。 それが、ほんのちょっとしたきっかけで、事態は好転して、ヤマトという授かりものまで得た。 その中で転身した、茂樹のこの3年間は、怖いほど順調な日々が続き、家庭だけではなく、職場での人間関係も実に上手くいっていた。 唯一の男性社員である吉永哲也とは、それほど長い付き合いではなかったが、茂樹のことを社長として一目置いた態度で接してくれていた。 すべては順調であった。 しかし、表面が余りにも順風満帆で何の問題もない時には、水面下では、既に下り坂の方向に必ず変わっている。 一病息災とは妙を得た言葉だ。 常に些細な問題を抱えながらも、重大な事態に陥っていない状態が、本当の意味での穏やかな人生だと言える。 人生に無病息災などあるはずがない。 健康とは、病気の無い状態を言う。健康という定義はなく、病気の一つの状態であって、健康という実体など無い。 表面がすべて順風満帆であるということは、心身が健康であるということだが、それはまさしく心身共に病気の無い状態を言う。 病気の無い状態とは、病気と病気の間の踊り場のことを指すのであって、生きていると言うことは、踊り場に止まることでは無い。 次の階段を昇っていくことが、生きている証であるのだから、健康の状態でずっといることは不可能である。 環境が変化すると、その中で生きている人間関係にまで影響が及ぶ。 人間の絆とは、環境の変化に拘らず、切れない糸で繋がっていることを言う。 その為には、お互いが自分の糸を半分犠牲にしなければ、そのような関係になれない。 だから『絆』と書くのだ。 今の日本人は、家庭内においても絆を失っている始末であるから、社会の、ましてや国との絆など期待出来るべくも無い。 自分の糸を半分に犠牲にすることが、人生における四苦八苦であるのだ。 四苦八苦しない人生などから、人間の絆など生まれるはずがない。 生きる苦しみ。老いる苦しみ。病気の苦しみ。死に対する恐怖の苦しみ。 この四苦は、人間すべてに、ある意味で平等に与えられていると言っていいであろう。 しかし問題は残りの四苦である。 愛する者といつか別れなければならない苦(愛別離苦)、憎くて怨みを持っている者と出会う苦(怨憎会苦)、求めるものが得られない苦(求不得苦)、肉体が生きている故の苦(五陰盛苦)。 普段の生活の中で、感じる苦悩のほとんどは、この残りの四苦である。 茂樹と美沙子の脆い関係をつくっていた実体は、「求不得苦」が初めに頭をもたげ、その結果、男女の関係の根本にある愛憎が、「怨憎会苦」を生み、更に「愛別離苦」に進展し、結果「五陰盛苦」に陥ってしまう。 結局の処、求めるものが得られない苦悩が初めにある。 その背後に潜むものは、本能欲である。 今の茂樹は、求めるものが得られない状態には無かった。 しかし、憎くて怨みを持つ者と出会う苦の種を、転身した当初から持っていたのだ。 その種こそが吉永哲也だったのだ。 しかも、会社を立ち上げた当初から、その種はあったのだ。 茂樹は、吉永のどことなく陰があることに、引っ掛かりを感じていたが、人間の弱さか、つい時間の流れに乗ってしまって、第一印象を失念してしまっていた。 その間にも、この種はどんどん大きくなっていることに気づかなかったのである。 3年間、怖いまでに順調だったことが、茂樹の心の中に油断を生み、繊細さを 希薄にしてしまっていたのだ。 そしてその種は、とうとう芽をふき出した。 「和田君。吉永君と上手くいってないのかい?」 松阪にあるミクアマアンテナの専務取締役になっていた、石原から電話が入ってきたのだ。 「何のことですか?言っておられることがよく解りませんが」 茂樹は、自分の気持ちを正直に言ったつもりだったが、石原はまだ疑問に思っていた。 「本当に、そうなのかい?」 石原は茂樹より、加藤商事では5年先輩だったが、エリートコースを歩んできた石原と、杉本耕一と同じ破天荒社員の烙印を押されていた茂樹とでは、考え方の根本が違う。 それを、お互いに解った上で、ミクアマアンテナに一緒に入ったのだ。 しかし、石原から疑いの言葉を発せられた気分になって、茂樹はカッと来たのだ。 「石原さん。それじゃ僕が嘘を言ってるとでも言われるんですか?」 半ば喧嘩腰の台詞だった。 茂樹の逆上する性格を熟知している石原は腰を引いた。 「解った。僕の誤解だったよ。悪かった」 石原は、温厚な性格で、京都大学を卒業後、繊維の関西系商社である、叉化産業に入社した。 叉化一族のオーナー経営による公私混同の人事が、企業人としての倫理感を、従業員から奪ってしまった結果、経営破綻を起した。 叉化のエリート社員であった石原は、加藤商事に拾われた。 加藤商事でも、頭の切れる石原はすぐに抜擢されたが、外様意識を持つ石原は加藤商事に愛着心が沸かなかった。 そこへ、社長含みのオッファーがあったので、飛びついたのだ。 欧米企業では、ヘッドハンティングによって、会社を代わる度にステップアップすると一般には言われているが、実態は決してそうではない。 やはり、ヘッドハンティングによって採用した人間は、会社にとっては使い捨てなのだ。 大事な社員は、永年抱えているものだ。 フォードやGMの工場で働いているフォアーマンつまり、現場の職長たちは、自慢げに、こう言う。 「俺は、フォードに勤めて三代目だ。祖父の代からフォードのフォア−マンをやっているんだ」 伝説的人物であるヘンリーフォードに、こんな逸話がある。 『世界初の自動車を発明したメルセデス・ベンツ社を見学する為に、ヘンリーフォードがドイツを訪問した。彼がドイツに着いて、エージェントにホテルの予約を頼んだ際、一番安ホテルを取って欲しいと言った。ヘンリーフォードは、既に伝説的人物として世界的な著名人であったことを知っていたエージェントは、「あなたほどの人がどうしてそんな安ホテルを要求されるのですか?あなたの息子さんが来られた時は最高級のホテルに泊まられ、また最高級のスーツを着ておられたのに、あなたはぼろぼろの服を着ておられる。何故ですか?」と訊ねた。ヘンリーフォードは静かに答えた。「わたしの息子は、自分が一体何者であるかを解っていない。わたしは、安ホテルに泊まろうが、この服は死んだ父の服だが、中身は紛れもなくヘンリーフォードだよ。わたしの工場で働いてくれている人たちは、紛れもなくT型フォードを作ってくれているフォードの社員だよ。わたしは息子より、彼らの方がかわいいね」とエージェントに言った。後々、ドイツ経済を立て直したヒットラーは、フォードのこの話を聞いて、アウトバーンとフォルクスワーゲンを作りだした』 外様意識を持つ社員は、会社に対する愛着心を持っていない。 高度経済成長で、飛躍的に伸びた、日本の大企業は、アメリカの表面的な面しか見ず、安易にヘッドハンティングをして、会社に愛着心を持っている一番大事な底辺の人たちを粗末に扱う風潮が、サラリーマン社長によって為されて来た。 苦労をせずに偉くなった連中では、この困難な日本経済を建て直すなど、とうてい無理だろう。 石原にも、そんな心の姿勢が見受けられた。 吉永の讒言を鵜呑みにしていたのだ。 茂樹の四苦八苦が、その時に始まったのである。 |