第二十四章  怪物・東郷英之介

「石原さん!どうしたんですか?」
茂樹は、赤木の話である程度察しがついていたが、直接本人から訊いてみるしかなかった。
「しあわせ銀行がミクアマアンテナから手を引くと言うんだ」
弱々しい声で喋る石原は呆然としている様子だった。
「手を引くということは倒産するという意味ですか?」
茂樹の声はしっかりしていた。
「まあ、そういうことだよ」
「負債総額はいくらなんですか?」
茂樹の質問に石原は答えられないのだ。
海外の企業と取り引きしているミクアマ・リミテッドは充分採算の合う商売をしており、ミクアマのブランドも中堅ながら浸透していたから、肝心のメーカーであるミクアマアンテナが供給出来なくなるとメーカー責任の問題が生じてくることを茂樹は憂慮していた。
「100億円を超えていると思うが、詳細は判らないんだ。僕も個人保証しているから、結局個人破産になるしかないね」
茂樹は苛だった。
『個人破産だなんて、何を言っているんだ!迷惑をかけた人達のことを先ず考えるのが道理だろう。自分の破産なんて、殺される訳でもないのに、たかが知れているだろう!』
そう思った茂樹は、先のことを考えて、石原に言った。
「日本国内や海外の代理店への供給責任をどうするのですか?その辺は石原さんはアメリカの取り引き先を良くご存じだから、考えているんでしょう?」
しかし、今の石原には、自分の足下の火を消すことで精一杯だった。
「石原さん、いいですか!先を読んでください。ミクアマアンテナが倒産しても、僕には関係ないです。僕はミクアマ・リミテッドを継続することしか頭にはありません。石原さんは、大阪のサンシー電気の貿易課長とは親しいんでしょう?」
茂樹は思い出した。
加藤商事を辞め、ミクアマ・リミテッドに入社した時、死んだ佐藤社長と石原と三人で、大阪の電気メーカーであるサンシー電気に挨拶に行ったことがある。
そこに、貿易課長で、東郷英之介という怪物がいた。
貿易の第一線のGo-getterで、業界では彼の名は轟いていた。
茂樹より2才年下であったが、その威風堂々たる押しの強さと、日本人離れした体躯は、欧米白人のビジネスマンもかすんでしまう程のものだった。
『日本人にも、こんなすごい奴がいるんだなあ!』
負けん気の強い茂樹も一瞬引いてしまったぐらいだ。
英之介は、外見だけではなく、多くの面で多才ぶりを発揮していた。
サンシー電気といえば、大阪の老舗で、家電メーカーとしては中堅だが、立派な大企業である。
その大企業の単なる一課長でありながら、既にその地名度は、社長を凌ぐもので、役員連中は、遥か下の地位にいる英之介に神経をぴりぴりさせていた。
『この状態を切り抜ける器量のある人間は、東郷さんしかいないだろうなあ!だけど、自分は良く知らない。ここは石原さんに頑張ってもらうしかない』
そう思った茂樹は、石原に言った。
「東郷さんがいるじゃないですか!石原さんは、サンシー電気の東郷さんとは親しいんでしょう?」
茂樹の言葉で目が醒めたのか、石原の声にも少し力が入ってきた。
それ程に、東郷英之介という人物には強烈なカリスマ性があった。
「そうだなあ!彼に一度相談してみるか!彼はサンシー電気の窮地を何度も救ってきた功績がある。本当だったら社長になっても不思議ではないんだが、まだあの若さだから貿易課長に留まっているだけだ。実質上サンシー電気の看板だからなあ」
東郷英之介は、茂樹も悔しいが、石原の言う通りだけの人物であることを認めざるを得なかった。
「石原さん、すぐに東郷さんに会っては如何ですか?」
茂樹の提案に、石原も百パーセント同意した。
それから1時間後、石原から再度電話がかかって来たが、その声はまるで別人のように元気のあるものだった。
「和田君。さすがは東郷さんだね。電話したら、心配してくれてね。そして、僕に新しい会社をつくれと言うんだよ。サンシー電気が全面バックアップすると言ってくれているんだ」
声が生き生きとしている。
今更ながらに、東郷の怪物ぶりに茂樹は舌を巻いた。
「彼といえども、あれだけの大企業の一課長でしょう。その彼が、サンシー電気がバックアップすると言っても、大丈夫ですかねえ?」
茂樹も内心、『あの東郷さんが言ったのだから、へなちょこ役員連中なんか何でも言うがままだろうな』と、思っていたが、念には念を入れた。
「その点は、僕も危惧しないわけではなかったが、彼の過去の実績を考えると信じざるを得ないと思ったよ」
『石原さんの言う通りだ』
茂樹は思った。
優等生というのは、余裕がないと、からっきし力を発揮できないが、ひとたび自分のペースに入ると、頭脳がシャープになる。
大蔵省筆頭の高級官僚がその典型である。
石原もその要素を持っていて、自分のペースで事の処理をし始めた。
そして準備万端整った時点で、東郷英之介に大阪のホテル日航であった。
「石原さん、大丈夫ですか?亡くなった佐藤社長は、こんな経営内容を解っていて、石原さんに押しつけたのなら、ちょっと問題ありですね。まあ、もうこの世にいない方を、非難するつもりはないですが」
東郷の親身になって心配してくれる態度に、痛みいった石原は思った。
『外見は、横柄で態度のでかい男だが、中身は心の優しいシャイな人なんだ』
「東郷さん、ミクアマアンテナは御社にも不義理をしています。それでもバックアップして頂けるのでしょうか?」
石原は、ずばり切り込んだ。
この相手には、姑息な手は絶対通用しないことを知っての上だ。
「うちの国内営業が2億円程の焦げつきを、くらったようですね。サラリーマン経営者だから、何とも思っていないでしょうが、保身のためにいろいろ嫌がらせをするでしょう。そんなのは蹴ちらせばいいんですよ。ははははは・・!」
高笑いしている東郷の顔を見た石原は、『この人なら、すべて信頼しても大丈夫だ』と思った。
結局、ミクアマアンテナは和議申請を提出した。
そして、石原はミクアマアンテナの代表取締役専務だったので、個人保証をしている関係で、表には出ずに、茂樹を社長にして、ワダエンジニアリングを創設し、ミクアマアンテナの商権を引き継いだ。
そしてサンシー電気が全面バックアップすることでワダエンジニアリングは順調に船出に漕ぎつけることができた。
『それにしても、東郷英之介。正に怪物だな」
茂樹と東郷の本格的な人間関係が始まる瞬間だった。