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第二十五章 奇跡の大魔人 東郷英之介。 サンシー電気(株)貿易部第一課長。 33才の新進気鋭の貿易マンで、22才でサンシー電気に入社後、すぐに中国上海に駐在。 10年間の上海駐在中に、サンシー電気のテレビの生産工場移転を皮切りに、同社のほとんどの生産拠点を中国に独資進出で果した男である。 中国政府筋でも、東郷の名前は、日本の政治家よりも通っていて、北京の官界で、『日本で一番パワフルで将来性のあるNo.1ビジネスマン』と折り紙を付けられていた。 更に、中国共産党報道紙「新華社」も、また中国で一番信頼の高い経済紙「経済日報」にも、東郷英之介の名前や写真は、再三掲載されていた。 サンシー電気の役員幹部連中が、一貿易課長の彼に気を遣うのも、まんざら噂だけではなかった。 『実質上の将来の日本のドン!東郷英之介』という見出しが掲載されたこともあったぐらいだから、経済界では知る人ぞ知る存在であった。 強烈な正義感の持ち主で、相手が中国の国家主席であろうと、堂々と渡り合う度胸と勇気を兼ね備えていた。 それが、ますます彼の名声を高め、今や中国共産党の幹部の間でも、東郷英之介以上の人材は日本には有り得ない、という定説になっていた。 その名声を以って、彼は昨年11月に上海から日本に帰任して、サンシー電気本社貿易課長に就任した。 33才という若さゆえ、日本の大企業では課長レベルが常識で、本人もそれで納得していたが、収まらないのが、海外の、特に中国の政府、経済筋のトップであった。 『日本の首相よりもパワーのある東郷が、何故、一企業の課長なのだ。せめてサンシー電気の社長か、社長含みの副社長が当然なはずだ!』 サンシー電気のトップのみならず、政府、行政筋にも、中国当局が圧力をかけてきた経緯が昨年あり、財界では、有名な話になった。 今や、東郷英之介という存在は、サンシー電気という大阪出身の一家電メーカーの貿易課長ではなく、日本国の顔になっていた。 茂樹や、石原がいた加藤商事は、中国に一番積極的に進出を果した大手総合商社だけに、英之介の名声は十分承知していた。 ある日、加藤商事の北京事務所に、英之介が乗り込んで来たことがある。 加藤商事の福本副社長が北京訪問した際のことであった。 サンシー電気と中国一の家電メーカー三杯とが業務提携する話合いがなされ、加藤商事の出水北京事務所長と英之介による、三杯のトップとの間での調印式があった。 ところが、その日、加藤商事の福本副社長が北京を訪問、自社の北京事務所員全員に招集命令を出した。 サラリーマンである出水北京所長は、客先との調印式よりも、自社の副社長の招集を重視して、英之介に代理を依頼した。 「東郷さん、後生だから、今日の調印式には一人で行ってくれませんか。後で契約書のコピーを頂きに行きますから・・・」 英之介は、「いいですよ、僕一人でやっておきますから」と軽く受けたのだ。 ところが、その日の午後に、英之介は加藤商事の北京事務所にやって来て、「福本副社長に面談したい」と申し入れした。 その時、福本副社長は、200人以上いる北京事務所員を前に演説をぶっていた。 そこへ、英之介はずかずかと入って行った。 「やあ、東郷さん。どうしたのですか、こんな処に」 福本の挨拶にも、軽い会釈だけで、演壇に立って全員に向かって話始めた。 「加藤商事北京事務所のみなさん。わたしはサンシー電気の東郷英之介と申します。今日、中国の家電メーカー三杯と業務提携の契約を締結しました。本来の経緯から考えると、加藤商事さんも契約当事者であるべきところでしたが、出水北京所長が、福本副社長の訪中と重なったという理由で、調印式に出席されず、わたしに代理を依頼してきました。わたしは、こんな無作法な話はないと思い、加藤商事を外して契約調印をするよう三杯に求めたところ、首尾よく了解され、サンシー電気との直接契約に調印した次第であります。 ここに伺った理由は、個人的な問題であれば、放っておけばいいのですが、日本という国の恥を考えますと、単に加藤商事の一不祥事では済まされないと思ったからであります。 わたしは、加藤商事の社員ではありませんが、同じ日本人として恥を晒した、福本副社長と出水事務所長の懲戒免職を提案致します」 200人を超える所員は、しばらく沈黙を保っていたが、現地採用の社員が、「あなたの言われることが正しい。わたしは、あなたの提案を支持します」と言って拍手喝采をしたのだ。 そして怒涛の歓声がおこり、英之介は一躍、加藤商事でもヒーローになった。 福本副社長と出水所長は、英之介の提案が通り、懲戒免職になったのだ。 他社の一課長が、大手総合商社の副社長の首を刎ねたのだ。 この噂は日本のみならず、世界中に広がった。 『日本に東郷あり!』 正に、『ドンここにあり!』を地で行く、東郷英之介の伝説だった。 |