第二十六章  運命の対面

石原から翌日、茂樹に電話が入った。
「和田君。明後日の金曜日に東郷さんと、大阪の日航ホテルで会うことになった。君も来ないかい?」
茂樹は、内心では嬉しかったが、石原の決意の程を計る為にあえて断った。
「東郷さんは石原さんのこと、お気に入りだから二人で会われた方がいいんじゃないですか」
「そうかね。東郷さんは、僕のことをそう思ってくれているかね?」
まんざらでもない気持ちなのか、石原は嬉しそうに言った。
「僕と東郷さんは二つ違いだから、東郷さんも僕にはやりづらいんじゃないですか。石原さんには、兄貴のような気持ちでいるような気がしますよ」
東郷に猛烈なライバル意識を持っているのは、実は茂樹の方だった。
彼の実力を認めざるを得ないことは重々承知しているのだが、恵まれた環境で育ち、その中でやりたい放題のことをしてきた東郷の人生と、苦学しながら大学を出た自分との、余りの違いを容認出来なかったのだ。
『嫉妬以外の何者でもないことは承知している。しかし、この気持ちは、どうしようもない』
茂樹は、自分の頑なさに対して自己嫌悪に陥るのだが、どうしても石原と一緒に、頭を下げる気になれなかった。
「これから、石原さんは動きづらくなるでしょうから、新しい会社の立ち上げは、全部、僕に任せてください。その代わり、東郷さんとのパイプは石原さんにお願いします。いいでしょう?」
納得した石原は、電話を切った。
東郷と会う前日の木曜日の朝、再び、石原から電話があった。
「東郷さんが、是非とも和田君も同席して欲しいと言ってるんだ」
力のない声で喋る石原だったが、茂樹は、今更ながら、東郷の化け物のような凄さに驚嘆した。
『あの若さで、石原さんの器の大きさを見抜いている。恐ろしい男だ』
茂樹は、淡々と返事をした。
「いいですよ。東郷さんが、そうおっしゃるなら行きましょう」
翌日、新幹線の東京駅で待ち合わせた二人は、隣り同士の席に座った。
石原が憔悴しているのが、目に見えてわかる。
『これでは、和議の話し合いだけで、神経が参ってしまうだろうな。東郷さんも、充分そのことを解かっているから、この俺を呼んだのだ。俺の値踏みをしようという魂胆なのか、畜生!』
魂の抜け殻のような石原を横目で見ながら、茂樹は腸が煮えくりかえるような気分だった。
新横浜を過ぎても、じっと黙って外を眺めていた茂樹の心情に、やっと気がついたのか、石原から話かけてきた。
「和田君。何か気になることでもあるのかい?」
「いいえ、別に」
素っ気無い返事をする茂樹に、能天気の石原は安心したらしく、「あ、そう。それならいいんだが」
と言って、鞄の中から一冊の本を出して、読み始めた。
『これからの人生が掛かった話合いをすると言うのに、のんびり読書なんかする神経は、一体どうなってんだ!』
ますます怒りが収まらない茂樹は、そのまま寝入ってしまった。
「和田さん、久し振りですね。相変わらず、向う意気だけは強そうですね」
東郷が、笑いながら、茂樹を挑発している。
「いえいえ、わたしは至って気の弱い方で。向う意気が強いなんて、とんでもない」
唇を噛みしめながら、我慢している茂樹に、東郷はますます挑発してくる。
「ほらほら、唇を噛んで。腸が煮えくり返っているのでしょう。顔が赤くなってきましたよ。ははははっは!」
小馬鹿にしたような東郷の態度に、堪忍袋の緒が切れた茂樹は、東郷の顔に自分の顔を摺り寄せるようにして叫んだ。
「若僧が、偉そうな口を叩きやがって。いい加減にしろ!」
「いい加減にしろ!」
列車の中が響きわたるぐらい大きな声で茂樹が寝言を言った。
「和田君!どうしたんだ!」
目を醒ますと、石原が茂樹の顔を覗き込んでいた。
「なんだ!夢だったんですか」
茂樹が汗を掻いて、ふっと溜息をついて言った。
「なんだ、寝ていたのか。一体何ごとが起こったのかと、びっくりしたよ」
石原の方も、冷や汗を掻いて、しきりにハンカチで顔を拭いていた。
『この人は、根っからの善人なんだ』
そう思うと、先ほどまでの怒りもどこかに消えてしまっていた。
新大阪駅に午後5時に着いた二人は、地下鉄御堂筋線に乗り換えて、日航ホテルのある心斎橋まで行った。
東郷との約束が午後7時だったが、日航ホテルにチェックインした二人は、7時前まで、部屋で休憩を取ることにした。
『東郷という男は、底の知れない奴だなあ!杉本とヤクザ相手にあれだけのひと悶着をした時も、死ぬか生きるかの瀬戸際だったのに、こんなには緊張しなかった。
ただ会って話するだけなのに、こんなに緊張するのは何故だろう?』
ベッドの上に、靴を履いたまま仰向けになって、両腕で頭を抱えて部屋の天井を見つめていた、茂樹は溜息をついた。
溜息をつくことなど、今まで経験したことのない茂樹を、ここまでの気分にさせる東郷英之介。
腕時計を見ると、7時前だった。
「よいしょ!」
まだ30代の若い男が、老人が吐くような言葉を発して、自分で苦笑いをするのだった。
2階がロビーになっているホテルのエレベーターを下りたら、エレベーターホールで石原が待っていた。
「どうしたんですか?」
茂樹が訊くと、照れ笑いをしながら石原は言った。
「いやあ!ちょっと緊張してねえ!一人で行くのは・・・」
気後れしている石原の顔を見ながら、心の中では、『俺もそうなんですよ』と呟いていた。
加藤商事で、雲の上の存在だった、福本副社長の首を刎ねた男であるから、二人が緊張するのも当然であった。
二人が、エレベーターホールからロビーに出ると、東郷がロビーの真中で立って待っていた。
『相変わらず迫力のある男だな』
心の中で、二人は同じ言葉を呟いていた。
「石原さん、和田さん。お久しぶりです」
実に丁寧に挨拶する東郷に、茂樹は拍子抜けするどころか、ますますプレッシャーが掛るのだった。
「もうチェックインされたのですね。それじゃ、どうしましょう?大事な用件を先に済ませましょうか?それとも夕食を先にされますか?」
二人は何も言えず、ただ、「すべて、お任せします」と言うのだった。
東郷は、それを聞いて微笑んで言った。
「すべてですか?それじゃ先に夕食にしましょう」
以前の東郷なら、先頭を切って歩いて行くのだが、この日は二人の後をついて行こうとする。
「まあ、どうぞ」
石原が東郷を促しても、彼は茂樹の後に控えて歩いた。
不気味な気分ではなく、何とも言えない清々しい気分になって、却って落ち着く二人を労わるような態度の英之介だった。
『彼を誤解していたようだ』
茂樹の頑なな心が既に氷解していた。
英之介は、茂樹の顔を覗くようにして見て、微笑むのだった。
『俺は、まだまだだなあ!』
独り言を呟くばかりの茂樹は、ふと美沙子のことを思った。