第十二章  正夢

「美沙子!美沙子!」
茂樹は叫んだ。
しかし、美沙子の姿は、どんどん遠ざかって行く。
そうすると、ひとりの老人が、美沙子の傍にいるではないか。
『親父だ!』
蒸発した茂樹の父親が、茂樹の女房である美沙子の肩を抱いているのだ。
『美沙子に何をするんだ!俺の女房だぞ!』
そんな茂樹の必死の叫びが聞こえないのか、その老人は美沙子の腰を抱きながら接吻をしようとしている。
美沙子も、その男に為されるままで目をつぶっている。
頭に来た茂樹は叫んだ。
「ふたり共殺してやる!」
そうすると、突然美奈子が姿を現わし、茂樹に囁いた。
「茂樹さん!彼らのことはいいじゃないの・・・。ねええ・・!」
そう言って茂樹の腕を引っ張っている美奈子が裸体であることに気づいた茂樹は、再び叫んだ。
「美奈子さん、一体どういうつもりなんだ!」
美奈子は悩ましい表情で微笑んでいる。
「茂樹さんは、ずっと前から、わたしのこと欲しかったんでしょう?」
裸体を摺り寄せて来る美奈子に圧倒されながらも、茂樹は美奈子を抱いた。
「茂樹さん!どうしたの?」
母親の声で目を醒ました茂樹は、夢であったことにやっと気づいた。
「何か悪い夢でもみたの?」
心配そうに茂樹の顔を窺がう母親に、夢の内容を言うわけにはいかないと思った。
「うん、嫌な夢を観たんだ」
顔の汗を腕で拭きながら、茂樹は言った。
「だけど、美沙子さんの名前を呼んでいたわよ・・・」
『寝言を言っていたのか・・・』
目を醒ますと、夢の内容を直ちに思い出せないものだが、徐々に美奈子のことを思い出した茂樹ははじめて、「ギクッ」とした。
「美沙子の名前を呼んでいただけですか?」
茂樹は、母親に思い切って訊いてみた。
「ええ、そうよ。どうして?」
母親の微笑が妙に引っ掛かるのだが、それ以上何も言わなかった。
『それにしても、どうしてあんな変な夢を観たんだろう・・・』
布団の中で、しばらく考え込んでいた茂樹に、母親が言った。
「もう午前7時だから、起きないと・・。朝食の用意をしてあるから・・・」
不愉快な夢を観た茂樹は、食欲がなくなる程、引き摺っていたのだが、せっかく母親が用意した朝食を食べないわけにもいかなった。
「じゃ、行くよ」
と言って、茂樹は家を出て行ったが、背中に感じるものは何もなかった。
『親父が蒸発したのも、お袋のこういった面に原因があったかもしれない・・・」と駅までの道を歩きながら、茂樹は呟いていた。
国分町の朝は寂しい。
ごみくずがいっぱい道端に捨ててあって、夜のネオンに飾られた華なやかな雰囲気と対照的だ。
ラウンジ・ロンドンの前にやって来た茂樹は、中から叫び声が聞こえてくるのに気づき、急いで店の中に入った。
恵津子が、もの凄い形相で震えている。
服はぼろぼろに引き裂かれ、顔から血が流れている。
「どうしたんだ!」
茂樹が恵津子に訊くと、カーテンの奥から、ひとりの女が幽霊のように音もなく現われた。
「美奈子さん!」
茂樹が叫んだ。
美奈子の手には、真っ赤に染まった包丁があった。
「一体、どうしたんだ!」
茂樹は大声で叫びながら、まわりを見渡した。
カーテンの奥に、男の足が血に染まって横たわっているのを見つけた茂樹の体は戦慄で震えた。
『まさか!』