第三十八節 業報衆生

「しかあればすなはち、ただ人間を挙して仏法とし、人法を挙して仏法を局量(こくりょう)せる家門、かれこれともに仏子と許可することなかれ、これただ業報(ごっぽう)の衆生なり。」

(解釈)
ただ人間界だけを以って仏法を説いたり、人間界と法界だけを以って仏法の局限を推量するような家門を仏子と許可してはならない。
彼らは過去の業の報いを受けて人間として現われているだけである。


現代社会に残存する旧来・新興宗教すべてに対して言えることであります。