第四十五節 拕泥滞水
「把定(はちん)して自己を礙(げ)すといふとも、起首にあらず、いま行仏威儀の無礙なる、ほとけに礙せらるるに、拕泥滞水(たでいたいすい)の活路を通達しきたるゆえに無罫礙なり。」

(解釈)
捉えてみれば自己そのものであり、決してはじまりがあるのではなく、行仏はいかなる罪根もさまたげない。
泥まみれ、ずぶぬれになり、人のためにする苦労をする中に活路を見出すことで、拘りのない自己を発見することができる。


自己のことばかり考えることは、自己のことを粗末にしていることに外なりません。