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第五十二節 回光返照 「行尽明尽、これ強為(こうい)の為(ゐ)にあらず、迷頭認影(めいとうにんよう)に大似なり。回光返照(ういこうへんしょう)に一如なり。 その明上又明(めいじょういうめい)の明は、行仏に弥綸(みりん)なり。 これ行取(あんしゅ)に一任せり。この任々の道理、すべからく心を参究すべきなり。その参究の兀爾(こつじ)は、万回(ばんうい)これ心(しん)の明白(めいびゃく)なり。」 (解釈) 行によって明らかに強いてするものではない。 鏡の中の自分と実物の自分の違いを知って逃げ惑う故事である、迷頭認影によく似たことである。 自己の光明をめぐらして自己を照らすことを体現する。 座禅の姿(兀爾)とは、まさに明上又明の明であり、行仏とは明をすべ治めることである。 何万回座禅をしても、究極は心を明にすることに尽きる。 鏡の中の自己を実物の自己と勘違いしている限り、心の明を会得することはないのであります。 鏡の中のものはすべて映像であることを確信することが明であります。 |