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第六十一節 活發々地条々耳 「さらに始覚・本覚等の所及(しょぎゅう)にあらず。いはんや外道二乗、三賢十聖(さんげんじゅっしょう)の所及ならんや。この威儀、ただこれ面々の不会(ふうい)なり、枚々の不会なり。たとひ活發々地(かっぱつぱつじ)も条々耳(じょうじょうにい」なり。」 (解釈) 任心任法・為法為身の道理は、更に覚りの一瞥においても、覚り自体においても、外道極まる者においても、三賢十聖のような人物においても況やであります。 この作法こそ、面々枚々の交錯であります。 魚が元気活発に泳ぐ様はまさに面々枚々夫々がただそれだけである。 森羅万象生きとし生けるものはすべて、法つまり法則に則っているのであります。 |