第六十五節 狸奴白牯
「かくのごとくの眼耳鼻舌身意、光明功徳の熾然(しねん)なるゆえに、不知有(ふちう)を保任せる三世諸仏あり、却知有(きゃちう)を投機せる狸奴白牯(りぬはくく)あり。この巴鼻(はび)あるは、この眼睛(がんぜい)あるは、法の行仏をとき、法の行仏をゆるすなり。」

(解釈)
このように、人の五感と第六感である眼耳鼻舌身意は、まさしく光明功徳の恩恵であるゆえに、自己の真実のほかにいかなるものもないという境地を続けている三世諸仏は、狸や牛のように特別なもののあることを知る人のために教えを垂れ、捉まえどころのないものであるが、ただただ自己に備わる諸法が行仏であることを許容するのである。


五感と意すなわち「想い」で以って、三世諸仏は狸にもなり得、牛にもなり得るのであります。