第七十一節 転大法輪
「『転大法輪』は転自転機あるべし。展事投機なり、転法・法転あるべし。
すでに転法輪といふ、たとひ尽大地これ尽火焔なりとも、転火輪の法輪あるべし、転諸仏の法輪あるべし、転火輪の法輪あるべし、転三世の法輪あるべし。」

(解釈)
『転大法輪』とは、自己が自己を転じ、自己に働きかける展事投機のことである。
自己が法を転じ、法が自己を転ずる。「夫れ仏道を学するに、はじめて門に入る時、知識の教えを聞きて教えの如く修業する。この時知るべきこと有り。
いわゆる法、我を転じ、我、法を転ずるなり」
尽大地であり、尽自己であり、尽自己を通じて仏法とすることが、諸仏を証して生きてゆくことである。


部分である自己から全体である法を見て、全体である法から部分である自己を観じることが、全体と部分の相対性の法則に則した生き方であります。