第七十五節 火焔為火焔・転大法輪
「雪峰の道、まさしく転法を道取すれども、転法の処在かならずしも聴法不聴を論ずるにあらず。しかあれば、転法にかならず聴法あるべしときこえず。
又、『三世諸仏、為火焔説法』といはず、『三世諸仏、為三世諸仏、転大法輪』といはず、『火焔為火焔、転大法輪』といはざる宗旨(そうし)あるべし。」

(解釈)
雪峰の道は、まさしく自己が法を転じ、法が自己を転ずる転大法輪なれど、その所在は決して法を説く問題にはあらず。
転法必ずしも説法とは言えない。
説法する者に対して説法される相手があると言っているのではない。


法すなわち真理の教えとは、説法する者、説法される者といった自他の区分けを超えた処にあるのです。