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第七十八節 三世諸仏立地聴 「玄沙の道(どう)に『火焔為三世諸仏説法(かえんゐさんぜしょぶつせっぽう)、三世諸仏立地聴(さんぜしょぶつりっちちょう)』といふ、これは火焔たとひ『為三世諸仏説法』すとも、いまだ転法輪すといはず、又三世諸仏の法輪を転ずといはず。三世諸仏は立地聴すとも、三世諸仏の法輪、いかでか火焔これを転ずることあらん。」 (解釈) 玄沙の説く道に、『火焔為三世諸仏説法(かえんゐさんぜしょぶつせっぽう)、三世諸仏立地聴(さんぜしょぶつりっちちょう)』があるが、生きている真実がたとへ三世諸仏の説法といえども、いまだ説法と言えず、また転法輪ともいはず。三世諸仏の法輪を聴くとも、生きている真実とは遠くかけ離れたものでしかない。 知識は聴くもの、実践は説くものであります。 |