第七十九節 転法輪・説法輪
「為三世諸仏説法する火焔、又転大法輪すやいなや。玄沙もいまだいはず、転法輪はこのときなりと。転法輪なしといはず。しかあれども、想料すらくは、玄沙おろかに転法輪は説法輪ならんと会取(ういしゅ)せるか。もししかあらば、なほ雪峰の道(どう)にくらし。」

(解釈)
三世諸仏の説法とは生きている真実であり、説法とはそもそも三世諸仏の説法である。
玄沙はいまだ三世諸仏立地聴のときと言わず。
しかし想い計るに、玄沙が愚かに転法輪を説法であると会得しているなら、雪峰にまだまだ及ぶものではない。


自己の真実の実現が説法であるのです。