第八節 不染汚不無

「しかあればすなわち、修証は無にあらず、修証は有(う)にあらず、修証は染汚(ぜんわ)にあらず。無仏無人の処在に百千万ありといへども行仏を染汚せず。ゆえに行仏の修証に染汚せられざるなり。修証の不染汚なるにはあらず、この不染汚、それ不無なり。」



(解釈)
従って、発心修証とは、有無を超えたものであり、染汚を超えたものである。
更に、発心修証とは、仏もなく、人もない。
従って、発心修証とは、森羅万象すべてに顕れるものであり、発心修証明の実践である行仏は、有無、染汚を超えたものでなければならない。


発心修証とは、『今、ここ』の在り方であり、行仏とは、『今、ここ』に生きることを決断する考え方であります。