第八十一節 赤鬚胡・胡鬚赤
「三世諸仏の聴法は、諸仏の法なり、他よりかうぶらしむるにあらず。
火焔を法と認ずることなかれ、火焔を仏と認ずることなかれ、火焔を火焔と認ずる事なかれ。まことに師資の道(どう)なほざりなるべからず。
将謂赤鬚胡(しょういしちしゅう)のみならんや、さらにこれ胡鬚赤(うしゅしち)なり。」

(解釈)
三世諸仏の聴法は、諸仏の法であり、他にはない。
火焔という時、仏と法の対立がないからこのように言う。
師である雪峰と弟子の玄沙の間柄であるから尚更言えるのである。
赤鬚の胡(西域人)と思っていたら、胡(西域人)の鬚が赤かっただけのことであるという南泉普願の語の通りである。


仏が鶏か、法が卵かの論理であります。