第八十五節 烈焔瓦天・瓦天烈焔
「園悟いはくの、『侯白(こうはく)』と『将謂(しょうゐ)』する、さらに『侯黒(こうこく)』をさへざる『互換(ごかん)の投機(とうき)』、それ『神出鬼没』なり。これは玄沙と同条出すれども、玄沙に同条入せざる一路もあるべしといへども、火焔の諸仏なるか、諸仏を火焔とせるか。黒白互換(こくびゃくごかん)のこころ、玄沙の神鬼に出没すといへども、雪峰の声色(しょうしき)、いまだ黒白の際にのこらず。しかもかくのごとくなりといへども、玄沙の道是(どうし)あり。道不是(どうふし)あり。雪峰に道拈(どうねん)あり、道放(どうほう)あることをしるべし。
いま園悟さらに玄沙に同ぜず、雪峰に同ぜざる道(どう)あり、いはゆる『烈焔瓦天(れつえんかんてん)はほとけ法をとくなり、瓦天烈焔(かんてんれつえん)は法ほとけをとくなり』」

(解釈)
園悟いわくの、『侯白(こうはく)』と『侯黒(こうこく)』いずれ劣らぬ奸智に長けた悪人と『将(まさ)に謂(おも)へり』は互換の投機、それ神出鬼没のたとえなり。
これは玄沙の神出鬼没の言い換えと同じであり、雪峰が言うところの黒い白いの問題ではない。
玄沙は是を説き、不是を説く。
雪峰も是を説き、不是を説く。
いま、園悟は玄沙に同ぜず、雪峰に同ぜず。
いわゆる、『烈焔という形で諸仏(自己の正体)が生きている真実を実現し、生きている真実が烈焔という諸仏となっているのである』


『侯白』や『侯黒』は悪人であるが、彼らが善人を生み出しているのです。
生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄は二律背反関係にあるのではなく表裏一体であり、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄が真実なのです。