新 田  論 作 品 の E-book 版 紹 介

文明の進化へ

神はすぐ傍

神とは一体何でしょうか。  人知を超えたもの。  それは時間しかないと思わざるを得ない。  神とは時間なりと考えれば、神をより深く理解出来るのではないでしょうか。  そこで、時間が神という前提で、神の全貌を解き明かす試みをしてみたいと思って、書き始めてみることにしました。
文明の進化へ 神はすぐ傍 新田論の人間学書 

  神はすぐ傍 (Man is Space & God is Time) 

        Part IPart

 

まえがき

ニーチェが「神は死んだ」と言ったのは、ある日、大木を見て思ったそうです。

ヨーロッパのキリスト教世界の人々は、天に主なる神がいると思ったのでしょうか。

各国にある大聖堂、いわゆるドームはゴチック建築の粋を結集して建築された、人間技とは思えない奇跡の建造物揃いであります。

天にまします主なる神に少しでも近づきたい想いが、その建物に顕れています。

ニーチェは大木に、そのドームと同じ意味を感じたのですが、ひとつ肝心なものがドームには欠けていました。

大木には、深い大きな根があるのに、ドームには無い。天に向かおうとすれば、地中深くにも向かわなければならない。神を強く求めれば悪魔を求めるのも強くなるはず。天国を求めるなら地獄も覚悟しなければならないはず。これでは自然の摂理に合わない。

だから、聖書にある悪魔の存在を説明出来ないことに気がついたのです。

神が存在するなら、悪魔も必ず存在する。それなら、今までの神の概念では説明がつかない。だから「神は死んだ」のです。

「ジャックと豆の木」という童話があります。

ジャックが、ある日、豆の木の蔓が天からぶら下がっているのを見て、蔓を昇っていったら天国があった。という話しです。

どうして豆の木の蔓が天からぶら下がっているのでしょうか。普通は地から生えた木の幹、そして枝から、ぶら下がっているのではないでしょうか。

どうやら、神や天国は天に存在するらしいが、その天には、人間は行くことが出来ないと、この童話は言っているようです。

だから行きたい一心で天に向かう建物を造るのでしょうが、天に向かえば向かうほど、大木が示すように、地中深く根が向かっていることに気づかなくてはなりません。

奇跡的なドームを見る度に、これらの建造物を完成させるのに、どれだけの犠牲者が地中に眠っているか計り知れない、という思いに馳せるのはわたしだけでしょうか。

この犠牲者こそが、地中深く張り巡らしている根ではないでしょうか。

地中には、地獄が存在していることを知っていながら、見て見ぬ振りしてきたのが、人間が捏造した神の概念でありました。

天と地。

地は我々の住む空間。

天は空間の上に君臨する時間を加えた時空の世界。

これが宇宙のすべてを表現していると思います。

次元という概念があります。

これだけ、科学が進歩しても、我々が見出すことが出来た次元は四次元までであります。

一から四まであるのだから、当然それ以上のものもあるはず。と思うのは人間として至極当然の発想ではあります。

しかし、現実に、我々は四次元以上のものを発見してはいないのです。

宗教の世界では、愛だとか、慈悲だとか、菩薩だとか、その上に神がいる。と主張しているようですが、一体何の根拠を以って言っておるのでしょうか。見たこともないものを、よく言えるものです。

幻想のことをMayaと言います。まさしく宗教はまやかしそのものであります。

わたしは無神論でこんなことを言っておるのではありません。

本当の神なら、万民すべてに平等にするはずであります。

愛や慈悲など、平等の概念からしたら低レベルな概念であります。

何故なら、愛にも、慈悲にも、それぞれ違いがあります。それでは万民平等ではありません。

しかし、四次元までの要因は、そのような観念の世界には在りません。

一次元は線です。二次元は平面です。三次元は立体です。四次元は時空つまり、立体プラス時間であります。

ここまでは科学の世界であるのが、それからが愛だ、慈悲だ、菩薩だ、・・・。

これはいくら何でも余りにも荒唐無稽だとは思わないのでしょうか。

アインシュタインが五次元以上の世界に挑んだようですが、結局発見出来なかった。

「人間の世界で解ることは四次元までで、それ以上は神の世界だ」と言ったことも影響しているように思います。

ここで、発想の転換をひとつしてみようではありませんか。

そもそも次元なんて概念を考え出したのが人間であって、宇宙では、そんなことはどうでもいいことなのです。

ただはっきりしていることは、三次元である立体つまり空間は、時間に支配されているが、時間はすべてのものに差なく同じだけ与えているということを、基本に考えるべきではないでしょうか。

我々人間を含めて、すべてのものは時間を制御することは出来ず、逆に時間に制御されているのですが、差別は一切ない。どんな人間にも、一日二十四時間与えられている。

神とは一体何でしょうか。

人知を超えたもの。

それは時間しかないと思わざるを得ない。

神とは時間なりと考えれば、神をより深く理解出来るのではないでしょうか。

そこで、時間が神という前提で、神の全貌を解き明かす試みをしてみたいと思って、書き始めてみることにしました。

今日ポーランドのクラクフという古い都の郊外にあるアウシュビッツ強制収容所跡を訪問して、人間とはかくも罪深き生きものであるかと思い知らされたショックの消えない間に書き始めたいと思ったのです。

                                      新 田  論


PartⅠ時間が神(God is Time) Chapter1~50  目次

 

Chapter 1 時間の誕生

時間という概念は、一体いつごろ誕生したのでしょう。

古代遺跡には、必ずと言っていいほど時計の原型らしきものが発見されます。

太陽や星座の位置で時刻を決めていたようです。

まだ言語すら生まれていない人類文明においても時間の概念だけは、既にあったようです。

地球が誕生したのは、今から46億年前だと言われており、生命が誕生したのが36億年前で、まず海中で単細胞生物、多細胞生物、海洋生物と進化していき、陸に上がることを知った両生類、爬虫類、哺乳類を経て人間に至っています。

その中で、人間のルーツである人類の誕生は数百万年前で、恐竜時代の終焉と共に登場したのです。

人類が登場した時点で既に彼等は時間の概念を持っていました。

太陽が昇ると朝であり、沈むと夜になるという繰り返しがあることを知っていたのです。

繰り返すことが実は時間の原点であったのです。

繰り返し運動には、二つの方式があります。

ひとつは、線型的(Linear)往復運動。

もうひとつは、円的(Circle)運動。

しかし、究極的には、線型的往復運動も円的運動の変化したものです。

繰り返すとは、円運動することに他ならないのですが、そうなりますと宇宙生成の時点で時間というものがあったということになるわけです。

宇宙は、ビッグバンによって今から150億年前に誕生したと言われていますが、その時から放射線状に宇宙は膨張していったのですが、何故放射線状に膨張したのでしょうか。

これこそ円を形成していき、そこに繰り返しの運動が起きた。

実はその時点で、時間が誕生したのです。

繰り返すということは、間隔があるということです。

間隔があると、そこに長い、短いという区別が起き、それらを等間隔に刻むことによって、長い、短いの判断が出来るようになった。

始まりがあってまた元に戻る終わりがある、ひとつの繰り返し運動が起こった結果、時を刻む必要性が生まれたのが時間の誕生なのです。

そういたしますと、時間というものは人間だけにある概念ではなく、宇宙そのものにある概念であることが分かってきます。

無から有が生じた結果、宇宙が誕生したとするならば、有すなわち形あるものが創造された時に時間がスタートしたのです。

無限の世界には時間はありません。

有限の世界にしか時間はありません。

聖書の中に、「はじめに言葉ありき」と書かれて、天地創造は最初に言葉すなわち光があった。と表現されていますが、「はじめに、時ありき」とした方がより的確ではなかったかと、いまわたしは思っています。

光も時間無くして存在し得ないものです。何故なら光の速度も一定の間隔で時間を刻まれているからです。

光の速度が一定であるのが、その証だと言えます。

アインシュタインは、光が宇宙の中で最も速いもので、光以上の速いものは存在しないと特殊相対性理論で発表しました。

しかし10年後に、一般相対性理論で、その光さえ曲げることの出来る巨大な力が存在する可能性があると発表した上で、それは神の範疇で、人間には踏み込むことの出来ない世界であると結論づけました。

人間にとって、知り得る世界、理解出来る世界の果ては時間の存在する世界、そこまでだと考えられます。

その向こうに何があるかを問うのは無意味であります。

それならば、問うことの出来る究極は時間だと言っていいのではないでしょうか。

 

わたしが、時間こそが人間にとっての究極の神である、と結論づけた根拠はそこにあるのです。

 

 

Chapter 2 人間が超えることが出来ないもの

時間が神だと申しましたが、時間はまた悪魔でもあることを忘れないで欲しいと思います。

神と悪魔は一心同体である。

これを外したら、すべては錯覚の上の楼閣になります。

わたしが宗教を否定するのも、この点に置いて宗教は明確に出来ないからであります。

「神が全知全能であるなら、何故人間を苦しめる悪魔が存在するのか?」の問いに、正確に答えることが出来る宗教はありません。

「悪魔は、神が人間に与えた試練の道具で、試練を乗り越えるために悪魔を敢えて創造した」などとふざけたことを嘯く宗教は論外です。

全知全能であるなら、試練などとややこしいことは不要です。

何の為に、試練が必要なのでしょうか?

人間が不完全だから?

「そんな不完全な人間を創造したのは、全知全能のあんたではなかったのか?

いい加減にしろ!」と神に言いたくなります。

神という言葉自体が人間の造ったものですから、仮に神なるものが存在したとしても、それは神なんて知らないと言うでしょう。

人間とはかくなるものである。それに対して神とはかくなるものである。

そこまでしか言えないと思います。

だから、わたしは人間と神なるものを比較するなら、人間には出来ない事、考えも及ばない事、人間には無いもの・・・が神なるものと言うしかないのです。

人間があらゆる生物の中で知能が最も発達したものであることは、脳を観察するとわかります。

人間の大脳は、新皮質と古皮質の二重構造になっており、それ以外の動物は霊長類の一部を除いて古皮質だけしかありません。

古皮質は、条件反射的、本能的と言いますか、それぞれ固有の動物が、その進化の長い過程の間で学習した価値ある情報を判断する機能を持つもので、産まれたての赤ん坊でも何をすべきかを知っているのは、価値あるものが何かを、古皮質は赤ん坊に教えているのです。

一方、新皮質は古皮質を通して入って来た価値ある情報を、より良くするためにはどうしたらいいのかを考える機能を持っています。いわゆる知力はこの新皮質によって発揮されるのです。

どうやら、より高度な機能が必要になると大脳皮質の層が増えていくようだと考えられます。

そこで、人間にとって超えることの出来ないものは何かという問題になってくるわけです。

アインシュタインが言った、「光の速度を超えるものは存在しない」ここにヒントがありそうです。

速度という概念は時間をベースにしていることはご承知でしょうか。

単位時間当たりどれだけの距離を移動出来るかが速度です。

従って時間の概念がなければ速度というものもありません。

数学に微分・積分という学問がありますが、これは一体何をする学問かといいますと、三次元立体物すなわち空間(スペース)を時間で微細に分けたり、積み分けたりすることによって、その空間の特性を分析するのがその目的なのです。

何故そんなことをする必要があるかと言いますと、我々が住んでいる宇宙というものは、空間プラス時間で構成されているものでして、それを時空の世界、四次元の世界と言っておるのですが、我々は、その時空の世界の、ある限られた部分に存在していて、それは時間というナイフで切られた断面の世界であるのです。

例えば、今わたしは2002523日午前415分、ベルリンのCharlotten-straβe通りにあるフォーシーズンズというホテルの524号室の、ベッドの上で執筆しているのですが、これから後45分ほどで書き終えて、日課である運動の為に、すぐ近くにあるFriedrich-straβe通りを北上して、Friedrich-straβe駅を越したところにある運河沿いに歩くことにしています。

そうしますと、2002523日午前416分-さきほどより1分ほど経過したでしょうから-という時間のナイフで、新田論という人間の実在する時空間を切りますと、ホテルのベッドで執筆している新田論が出現するわけで、これを今-わたしは出来ませんが-時間というナイフが午前5時-あと44分後のことですが-で切りますと、ベッド上の新田論からFriedrich-straβe駅の横の運河沿いを歩いておる新田論が出現するのです。

一方、アメリカのブッシュ大統領が昨日訪独してベルリンのホテル・アドロンというホテルに泊まっていますが、同じ時間のナイフでジョージ・ブッシュの実在する時空間を切りますと、ホテル・アドロンの部屋で寝ているアメリカ大統領が出現するのです。

時空の世界では同時出現出来るわけです。

しかし我々は空間(スペース)で生きており、時間の流れに支配されていますから、時間を早めたり、戻したり出来ないのです。

すなわち微分・積分というのは、宇宙を構成している時空という四次元の世界で、時間という神に支配されながら三次元空間に実在する我々の立場認識をさせてくれる貴重な学問であるのです。

この微分・積分の基本が時間なのです。

ニュートンがこの学問を確立させたのですが、何故この学問を考案したのかと言いますと、その後彼の偉大な発見となる、熱力学第一・第二の法則、慣性の法則、作用反作用の法則はみんなこの学問を基礎にして発見したのです。

 

それほどに、時間というものは我々の世界では推し量ることの出来ない要因であるのです。

Chapter 3 空間というケーキを切るナイフ

Chapter 4 夢の中の時間

Chapter 5 時間の伸び縮み

Chapter 6 時間の基準(相対性か絶対性か)

Chapter 7 一日二十四時間の意味

Chapter 8 時間の観念の無い人間

Chapter 9 時間の観念を持っている人間

Chapter 10 時間とは時と時の間の四次元世界

Chapter 11 時が解決する

Chapter 12 齢の取り方

Chapter 13 一時間60分は無用

Chapter 14 太陽の恩恵

Chapter 15 人間生活の基本単位・時間

Chapter 16 幸福感は苦痛の時間の長さで決まる

Chapter 17 実在と実存

Chapter 18 時間と力の関係

Chapter 19 時間の変化

Chapter 20 過去と未来は時間ではない

Chapter 21 あなたの時間・わたしの時間

Chapter 22 「神との契約」の欺瞞性

Chapter 23 惑星の一日と一年

Chapter 24 体内時計

Chapter 25 規則正しく生きる

Chapter 26 継続すること

Chapter 27 一日・一年は一回帰

Chapter 28 時間の矢

Chapter 29 実時間と虚時間

Chapter 30  人間の時間の始まり

Chapter 31 夢は虚時間での出来事

Chapter 32 リアルタイムは虚時間

Chapter 33 RealとImaginary(実と虚)

Chapter 34 垂直方向の時間の矢

Chapter 35 四次元世界は時間が止まる

Chapter 36 なぜ神はすぐ傍か

Chapter 37 神のみが時間を静止できる

Chapter 38 体内時計のぜんまい

Chapter 39 一生の長さ

Chapter 40 ユークリッド的・時空の世界

Chapter 41 虚時間の中を生きる

Chapter 42 時間の始まりと終わり

Chapter 43 人間の時間の始まり

Chapter 44 時差の発生原因

Chapter 45 人間の時間の終わり

Chapter 46 時間を悟る

Chapter 47 時間と仲良く付き合う

Chapter 48 時間とエネルギー

Chapter 49 新しい人間復活の時代

 

 

Chapter 50 一日を大切にする

Chapter27の「一日・一年は一回帰」で、人間のみならず、地球上の物質すべてにとって、意義のある時間の概念は、一日と一年だけであると、お話しました。

特に、我々地球人にとって最も大事な出来事は、地球号という宇宙船が、秒速30㎞ものスピードで、我々地球人を乗せて太陽の周りを46億回も回る宇宙の旅をしてきたという事実であります。

そして秒速30㎞で走る地球号という宇宙船は、秒速500メートルで回転するエンジンを搭載しているのです。

我々が、一日と言っているのが、地球号が太陽の周りを一年掛けて秒速30㎞で遊覧しているエンジンの回転なのです。

その中で、人間は非常に重要な立場にあります。

それは、地球号のエンジン速度が徐々に速くなっており、その原因が人間にあるからです。

星の自転速度は質量に比例すると以前お話しました。

地球の質量は5.972×10²¹トンでありますが、一方地球号の乗客の中で一番多いのが人間で63億人もいて、その重さが約3×10⁸トンもあるのです。

そしてあと50年もすれば、その重さが倍になる予想です。

そう致しますと、人間の重さが、地球の質量の20兆分の1から10兆分の1になるのです。

これは、地球号に乗っているものからしたら、たかがしれた変化としか思われないでしょうが、宇宙レベルの時間は、人間レベルの時間感覚とは桁違いのスケールですから、これだけの質量変化によって自転速度に与える影響は多大なものになるのです。

たとえば、一日24時間で自転していたものが、23時間になって、一日23時間になると、我々地球上の生命体の多くが、地球上に住めなくなります。

一番大きな影響は重力(引力)の変化です。

回転速度が速くなる、すなわち質量が増えるということは重力が増すということです。

普通の人間は、海面下3メートルに潜ることすら出来ません。

それは水圧が増すからです。

重力(引力)も同じ力ですから、地球の質量変化は、地球上に住む生命体にとっては命取りになります。

何故このようなことを、お話しするかと言いますと、我々は一日24時間と、何気なく思って日々を過ごしておりますが、この24時間が23時間59分59秒に変化することが、どれだけ大きな影響を蒙るか想像出来ないのです。

そう考えますと、一日24時間というものは、たとえ1秒、0.1秒でも疎かには出来ないのであります。

ところが、地球上の人間はほとんど無意識状態で、この一日24時間を無為に過ごしているのです。

時間を疎かにすることは、神を冒涜することに他ならないことを肝に銘じて頂きたいと思います。        

「神はすぐ傍」Part I ―終り―

 


Part II 神はすぐ傍(God is always within you)

Chapter51~100  目次

 

Chapter 51 あなたの神

Part I「時間が神」では、時間と空間で織り成す時空宇宙に、できるだけ形而下学的アプローチをしながら、形而上学的課題である人間の存在理由を検証してきました。

それでは、人間の存在理由というのは,所詮宗教あるいは形而上学的課題でしか在り得ないのでしょうか。

人間も、大きな銀河宇宙の中にある数千億、数兆の恒星の一つである太陽の惑星・地球に生命体として厳然と存在しているのですから、その存在理由を何らかの方法で形而下学的に説明できるはずであります。

しかし、今までこの問題は、あくまで宗教や哲学といった形而上学に任せてきた感があったことは否めない事実であります。

科学者ですら、それを認めてきたのです。

そして、その中で神という概念が主人公となってきました。

時には太陽自身が神であったり、また時には太陽の中で水素が核融合してヘリウムガスになる際に起こす爆発によって生じる光を神と崇めてみたりして、人知を超えた存在を、とにかく神として自らを納得させて人類は生きてきたのです。

一方、「これ以上は神の範疇である」と言いながら、科学者の方々は、貪欲にも「これでもか、これでもか」と、神の範疇を侵し続けているのです。

21世紀はバイオテクノロジーの世紀だと言われていますが、遺伝子工学なるものが流行になり、人工頭脳-人工知能ではなくて-を創り出そうとしたり、挙句の果てにはクローン人間をも創りかねない昨今のお宅科学者たちで溢れています。

わたしは、冒頭にて申しましたように、形而上学も形而下学も、本来そのような区分けなどないはずであって、形而下学で検証されるものは形而上学でも認められ、かつ適応されるべきであり、逆に形而上学で思考されるものは、形而下学でも実証されるはずであり、されるべきだと言う見地に立っております。

一体、神とは誰がどんな目的で創造したのでしょうか。

人間が創造したことは間違いないでしょう。

理解出来ないが、現実に起こっている現象を経験して、その原因が不明なものは、みんな神の仕業で片付けてしまうのが、その根本の狙いであったのでしょう。

それは宗教家であっても、哲学者であっても、科学者であっても、根本的姿勢は同じではなかったでしょうか。

結局の処、解らないことを、無理やり解ろうとする、人間だけが持っている知的欲望の為せる技ではないでしょうか。

『解らないことは、解らないままでいい』

自然と融合している生き物は、そう思っているはずです。

解らなくても、その場になったら、自然に最善の対応ができることを知っているからでしょう。

自然を信じていると言ってもいいのでしょうが、わたしは、自分を信じていると言った方が適切ではないかと思うのです。

それでは、自分自身を100%信じることが出来るには、どうしたらいいのでしょうか。

神という言葉を使うなら、神が自分の中に一緒にいてくれることではないでしょうか。

いくらイエスキリストが立派であっても、自分ではありません。

いくらお釈迦さんが素晴らしい知性を持った人間であっても、自分ではありません。

ましてや、巷の教祖様も同じであります。

自分自身を信じることが、すべての問題解決の要諦であるのに、他人様を信じても-実際には信じている振りをしているだけでしょうが-、何の問題解決の役にも立ちません。

この21世紀という、科学で代表される形而下学と、宗教で代表される形而上学とが混在する混沌とした世界で、自分自身を信じることのできる人間になることが大切なことであり、その方便として、神が自分の傍にいてくれていることを確信する自分作りをするべきではないでしょうか。

 

 

Chapter 52 人間が創った神

Chapter 53 自然が創った神

Chapter 54 地球が創った神

Chapter 55 ミクロとマクロは反物質関係

Chapter 56 時間が光の産みの親

Chapter 57 2001年宇宙の旅

Chapter 58 月の世界

Chapter 59 速度

Chapter 60 あなたは一枚のコイン

Chapter 61 空間と運動(?)

Chapter 62 空間と運動

Chapter 63 アナログとデジタル

Chapter 64 超特急地球号での旅

Chapter 65 楽しい人生

Chapter 66 苦しい人生

Chapter 67 楽しいと正しい

Chapter 68相対の時代から絶対の時代へ

Chapter 69 時間が顔を現す

Chapter 70 虚時間は手招きする

Chapter 71 瞬間を体感する

Chapter 72 「神はすぐ傍に」を感じた体験

Chapter 73 月の不思議な力

Chapter 74 我々の星雲・銀河

Chapter 75 一日と一年の感覚

Chapter 76 昼と夜

Chapter 77 重力の影響

Chapter 78 朝と夕方

Chapter 79 太陽と地球の間のあなた

Chapter 80 時間が傍にいる

Chapter 81 Time is neither Money nor God

Chapter 82 脳と引力

Chapter 83 人間の潜在能力

Chapter 84 体内時計の精度

Chapter 85 固定観念

Chapter 86 ぜんまいの錆び

Chapter 87 寿命というもの

Chapter 88 生命とは

Chapter 89 宇宙の一生と人間の一生

Chapter 90 事実と真実と真理

Chapter 91 五次元世界

Chapter 92 虚空間に生きる我々

Chapter 93 存在し得ない質問

Chapter 94 存在エネルギーの極大化

Chapter 95 神の連想ゲーム

Chapter 96 五次元世界への一歩

Chapter 97 存在エネルギーの極大化の考え方

Chapter 98 実空間と虚空間

Chapter 99 あなたの時間は神?悪魔?

 

 

Chapter 100 時間からのメッセージ

わたしは今から138億年前に無から有のものが誕生した時に一緒に誕生した

わたしが誕生するまでは 静止した静寂の暗闇と沈黙の無だけだった

ところが 急に猛烈な爆発音と共に すべてが動きだした

その動きは もの凄い速度で ばらばらに拡がっていった

爆発音から ほんのちょっとしてから 何か引っ張られるものを感じた

わたしも 一緒に動き始めていたが その力で 動きに変化が起きた

ばらばらな動きから、整然とした運動になっていった

それから またちょっとしてから もの凄い力を受けた

わたしは その力を受けて 今までよりも遥かに速い動きをし始めた

それから しばらくして 今度は 二種類の力が一緒に働きかけてきた

わたしは その二種類の力が強い力を抑えてくれたお陰で ゆったりとした

それ以来 わたしは ゆったりした流れの中で動き続けている

それは 渦巻きのように回るものだった

それから100億年ちょっと経って 大きく拡がった渦巻きに変化が出た

真っ赤に燃える星が爆発して そのかけらから 突然変異の星が誕生した

その星は 最初は赤く燃えた星だったが そのうちに青い星に変わっていった

その星が誕生するまで わたしはただ流れる動きをするだけのものだった

ところが その青い星が誕生してから40数億年経った時に 変化が起こった

その星から わたしにシグナルを送ってくるのだ

わたしは気になって こちらからも流れのリズムのシグナルを送った

そうすると その星が わたしのシグナルに気づいたらしい 

わたしのシグナルに返事をしてくるのだ

わたしは 今まで余りにも単調だったので 嬉しくなった

そして その青い星に 一所懸命 シグナルを送り続けた

そのうちに お互いに シグナルの意味を理解し合うようになった

その星から こう言ってきた

わたし達を導いてくれる有り難いもの 時間という名前にしたという

わたしは 有頂天になって それ以来 その星に夢中

ところが 近頃 その星の反応が おかしくなった

わたしのリズミカルなシグナルに 合わせないようなシグナルを送って来る

はじめのうちは 余り気にしていなかったが ますますひどくなる

とうとう わたしも我慢し切れなくなって シグナルのリズムを変えた

すると また以前と同じシグナルを送ってきた

わたしは 一安心

それも束の間 またおかしいシグナルを送ってきた

しかも 前よりひどいシグナル

わたしも それではと まったく違うシグナルを送った

そうすると また前に戻す

こいつは 油断ならないぞと 思って いま思案中

今度 同じことをしたら 二度とシグナルを送らないと決断した

わたしの流れのシグナルを受けない星は動けなくなってしまう

動かないものは 自然に消えてしまう

この青い星も そうならないことを祈るばかりの今のわたし

 

   青い星の定めた時間:時間という名のわたしより PartⅡ-終り-

 

 

Part I &Ⅱ あとがき

「神はすぐ傍(そば)」という言葉は、あのポーランドにある古都クラクフのホテルで、オシフィエンチェムとポーランドでは呼ばれている、映画「シンドラーのリスト」の舞台となったアウシュヴィッツの今でも叫び続ける亡霊に衝撃を受け、ニーチェは「神は死んだ」と言ったけれど、それでは一体、人間はこれからどう生きていったらいいのか、何を基準にすれば、少しでも心穏やかな人生を送ることが出来るのかを、わたしなりに考えてみたいという衝動から書き始めたのです。

「神」という言葉をタイトルにした作品を書くのは、内心、もの凄い抵抗があるのですが、「神の自叙伝」を書いた時も、同じ想いから、「神」という言葉を敢えて使いました。

これだけ科学が発達した世になると、人間は、ますます両極に走ってしまいます。

「神」さえ信じていれば、幸福に生きられると思っておられる信仰深い方々。

「神」などと、まやかしの言葉に惑わされて生きることは愚かだと思っている知的な方々。

わたしは、本質のところでは、人知を超えた存在を信じています。

従って、表現方法はいろいろあるが、人知を超えた存在としての「神」を信じています。

しかし、人間と神という特殊な関係にあるような「神」などあるわけがないとも確信を持っています。

「神」という言葉を使うことに、複雑な気持ちになる理由でありますが、敢えて使ったのは、わたしの生来のあまのじゃくな性格の故でしょうか。

「神」という言葉を使わずに、「時間はすぐ傍」としても良かったのですが、

最初に湧き上がった言葉が、「神の自叙伝」の時もそうであったように、「神はすぐ傍」だったからであります。

実は、Chapter100「時間からのメッセージ」のあとにPart I,Ⅱの「あとがき」として書いていて、突然に湧きあがって来たのが、「もう『神』という言葉はもう使わない」と決心したからです。

そこで、Part Ⅲは「神からのメッセージ」ではなく、新しいタイトルが必要となって、それが「時間からのメッセージ」であり「Time bless you up」としたのが、神ではなく「時間」が、あなたを祝福しているからです。各章もChapterではなく、貴方への祝福「Message」です。

新 田  論 

 


PartⅢ 時間からのメッセージ(Time bless you up)  Message 101~150 目次

Message 101 わたしは永遠の恋人

あなたは、わたしのことをいつ頃から意識し始めたか憶えている?

記憶の始まりを憶えている?

そう、あなたの記憶の始まりは、誰か怖い顔をしたお婆さんが、あなたの顔をじろっと見ていて、その怖い顔を初めて見たあなたが、「オギャー」と泣き叫んだ時が、あなたの記憶の始まり。

多分、あなたはそのことを、今は憶えていない。

だが、あなたがいま生きているのは、その時に、わたしと知り合ったから。

「オギャー」と泣いたのは、実は、泣いたのではなく、息をし始めた証。

息をし始めたら、あなたは「すべて」と一体になる。

それまで、あなたはお母さんとずっと一緒だった。

だから、息をしなくても、お母さんが代わりにしていてくれた。

だが、あなたのお母さんは、大きくなったあなたを、もうこれ以上支えられなくなった。

お母さんは、苦しくなって、あなたを放り出した。

あなたは、気持ちのいい温かいお母さんの体の中で、何も考えずにずっといた。

突然、あなたは冷たい、息苦しい世界に放り出された。

その時、わたしは、あなたの傍にそっと寄って囁いた。

「さあ、これからあなた独りで息をするんだよ。そして息をするのを止める時がやって来るまで、独りで息をし続けるんだよ。わたしが傍にいて息をするのを手伝ってあげるからね」

わたしの囁きに、あなたは初めて気がついた。

そして、「オギャー」とわたしに返事した。

あなたの返事で、わたしは安心して、ちょっとの間だけ、あなたの傍を離れた。

また、どこかで、新しい息吹のうめき声が聞こえてきて、わたしは、そちらの方に行かなければならなかったから。

「オギャー」と叫んで、あなたは晴れて独立した。

重いあなたを放り出した、あなたのお母さんが楽になって、あなたに温かさを再び与えた。

あなたは、お母さんの温かさと、鼓動を聞いて、安心という心地好さで、再び眠ってしまった。

わたしは、忙しくて、いつもあなたの傍にいることができないが、時折そっとあなたの傍に行く。

あなたはまだ眠っている。

しばらくすると、お母さんが再び、あなたを放り出そうとした。

突然、あなたは眠りから起こされて、「オギャー」と泣いた、あの日のことを思い出した。

そして、わたしを探し始めた。

わたしは、あなたの傍にいて、「ここにいるから安心するんだよ」とあなたに囁いた。

それを聞いたあなたは安心して、わたしに笑顔を見せた。

それが、あなたの記憶の始まり。

 

その時、わたしは、あなたの永遠の恋人になった。

 

 

Message 102 わたしは流れる

Message 103 わたしの名づけ親

Message 104 ぼたんの掛け違い

Message 105 「すべて」はわたしの親

Message 106 混沌の誕生

Message 107 わたしの役目

Message 108 変身したきっかけ

Message 109 気づきの方法

Message 110 わたしはただまわる

Message 111 「すべて」の世界には神がいない

Message 112 決断に迫られるわたし

Message 113 法則を守らないあなた

Message 114 架け橋を持たないあなた

Message 115 十字架の意味

Message 116 高い瞬間(とき)・低い瞬間(とき)

Message 117 三つの基本ルール

Message 118 わたしとあなたの戦い

Message 119 スパイス(ニュートラル)の価値

Message 120 ただ!今!ここ!

Message 121 いつか帰る瞬間(とき)

Message 122 わたしを独占しては駄目

Message 123 静止と運動の間にいるわたし

Message 124 暗闇と光の間にいるわたし

Message 125 沈黙と音の間にいるわたし

Message 126 エネルギーとわたし

Message 127 これからのあなたとの関係

Message 128 「時間」と「時の流れ」

Message 129 わたしが支配する混沌の世界

Message 130 あなたに言っておきたいことがある

Message 131 「すべて」は五次元世界

Message 132 シンプルが一番

Message 133 過ちを繰り返すあなた

Message 134 喜怒哀楽はわたしとの戦いの結果

Message 135 わたしを恋人と思う効能-1(瞑想)

Message 136 わたしを恋人と思う効能-2(祈り)

Message 137 過去の正体

Message 138 未来の正体

Message 139 現在の正体

Message 140 わたしが流れる川は天の河

Message 141 あなたの世界は何次元?

Message 142 わたしは本当に四次元要因か

Message 143 流れは長さか、速さか

Message 144 マクロとミクロ

Message 145 考え方を変えない限り

Message 146 この世は理屈が通らない

Message 147 わたしが呼ぶ・あなたが呼ぶ

Message 148 あなたは独りでいなければならない

Message 149 わたしは絶対平等の実行者

 

Message 150 わたしの名前は「時間」

いま、わたしは、あなたと戦っている。

恋人同士でなければ、事は簡単。

勝負は最初から明白。

あなたが、わたしに勝てるはずがない。

だが、わたしは、あなたに人質を奪われた。

人質とは、あなた以外の総ての実在する、わたしの恋人たち。

わたしは、大きなハンディキャップを背負わされた。

絶対平等だけは死守しなければならない。

しかし、人質の恋人を犠牲にするわけにもいかない。

あなたは、とても賢い。

あなたの方から条件闘争を仕掛けてきた。

あなたが名づけた名前をすべて、わたしが認めることを条件にしてきた。

わたしの名前は、「時間」。

わたしには、他のセカンドネーム、サードネーム・・・がある。

時間をいろいろな名前に色分けする。

あなたの系の中心の星の周りを一回転するのを一年。

あなたが自分で一回転するのを一日。

一日を24刻みして、1刻みを1時間。

1時間を60刻みして、1刻みを1分。

1分を60刻みして、1刻みを1秒。

これだけ、わたしの名前がある。

わたしは、訳が分からなくなった。

これが、あなたの戦略。

わたしを混乱状態に陥し入れ、わたしを支配する魂胆。

人質のことが心配なので、わたしは、あなたの条件を呑む。

更に、あなたは欲深く、条件をつける。

名前は、ただの名前だから大したことはない。

あなたは、とんでもないことを要求してきた。

わたしの流れを制御させろと要求する。

わたしは、本来流れそのもの。

流れを制御することは、わたしを支配すること。

わたしを支配することは、混沌の世界を支配すること。

わたしは、断じてこれを拒否した。

だが、あなたは再び巧妙な仕掛けをする。

もしも、あなたが想像も出来ないような速い乗り物を創ることが出来たなら、流れは自然に変化すると、あなたは主張する。

わたしが誕生した直後に、光の力で、暗闇から光が誕生した。

光が誕生した経緯は、あなたのどす黒い汚れた欲望のエントロピーを正物質にして使用可能にした、あの忌まわしい出来事。

正物質と反物質のX粒子が対消滅して、光が誕生した。

その瞬間(とき)、一個だけ正物質のX粒子が多かった。

その一個の正物質X粒子が、混沌世界の初めての実在するもの。

そこから、水素ができ、ヘリウムができ・・・となって、今の混沌世界が誕生した。

だから、この混沌の世界は、すべて正物質の世界。

ところが、この正物質の中に、まさにあなた流の世界で言えば、DNAが組み込まれたように、どす黒い汚れたエントロピーがエントロピーでなく、エネルギーとして入り込んだ。

だから、あなたは光の誕生の過程を熟知していて、光よりも速い乗り物は存在しないと決めつけた。

そしてその上で、光に限りなく近い速度の乗り物を創ることを企んでいる。

あなたが流れの制御を出来る条件として、光との速度競争に挑む提案を、わたしにする。

わたしは、あなたの能力がどこまでのものか確かめるために、あなたの提案を受け入れた。

そして、あなたにとって晴れて、わたしの名前は、「時間」となった。

まだ決着はついていない。

だが、それは、もう間近に迫っている。

あなたは、それに気づいている?

わたしは、それに気づいている!

?!?!?!?!・・・・ああ!どっちで終る?

だけど、わたしのメッセージはここで終る!

      「神はすぐ傍」Part III 「時間からのメッセージ」-終り-

 

 

Part Ⅲ 終りに

Part IIの、あとがきで、神という言葉を使うのは、わたしの本意ではないので、本来Part Ⅲの「時間からのメッセージ」を、別作品にすると申しました。

事実、わたしの原稿を公開しているサイトでは、「時間からのメッセージ」という作品で掲載していました。

しかし、Messageを積み上げていく度に、やはりこの作品は、「神はすぐ傍」の締め括りとして最適だとの想いが強くなってきました。

どうしても、「神」という名のタイトルは、わたしの全作品のテーマからして、受け入れ難いものです。

しかし、現代世相を俯瞰してみますと、神をただ否定するだけでは、人間社会は、もう収拾がつかないところまでやって来ているように思えてなりません。

これだけ多くの旧来宗教、及び新興宗教が乱立する中で、至難の技のような気がしますが、旧来の神という言葉からイメージするものとは、まったく違うコンセプトを、もう一度、神という言葉で置き換えることは出来ないものでしょうか。

それとも、いっそ神という言葉を避ければ、事は簡単です。

しかし、それでは尻尾を巻いて逃げたイメージを払拭できません。

考え抜いた結果、結局、「神はすぐ傍」のPart Ⅲにすることに決めました。

敢えて、困難な道を選ぶことにしたのです。

発刊済の「神の自叙伝(文明の進化)」を書き上げた時には、もうこういう類の作品を書くことはないだろうと、思っていました。

しかし、ポーランドのクラクフのホテルで、書き始めたこの作品は、予想も出来なかった作品に仕上がったと思っています。

発刊済の「心の旅の案内書(本当の自分へ)」は永年、胸の中に暖めてきた作品だけに、一字一句隅から隅まで、はっきり憶えています。

ふっと「神の自叙伝(文明の進化)」というタイトルが湧いてきて書いた作品は、結構インスピレーションで書いた部分が多く、どんなことを書いたか、失念しているものが、かなりの部分あります。

同じように、ふっと湧いた「神はすぐ傍(そば)」は、クラクフのホテルで書き始めた時から、ほとんどインスピレーションで書きました。

特に、Part Ⅲ「時間からのメッセージ」は詩的文章で書いたものですから、文章というより、唄であります。

唄には、理屈はありません。

詠んだわたしの感性が、詠まれた読者の感性をどれだけ打って響かせるかです。

だから、何を書いたのか、思い出そうとしてもなかなか思い出せません。

それだけに、読み直すと、一読者としての新鮮さを感じる歓びがあります。

これは,今までにない感動でありました。

どうか、詩を詠むように、このPart Ⅲを何度も詠んで楽しんでください。

                新 田  論


Part Ⅳ 2種類の神(時間)(God (Time) is not one)  Chapter 151~200 目次

はじめに

Part Ⅲの終りで、こう締めくくりました。

・・・・・・・・・・・・どうしても、「神」という名のタイトルは、わたしの全作品のテーマからして、受け入れ難いものです。

しかし、現代世相を俯瞰してみますと、神をただ否定するだけでは、人間社会は、もう収拾がつかないところまでやって来ているように思えてなりません。

これだけ多くの旧来宗教、及び新興宗教が乱立する中で、至難の技のような気がしますが、旧来の神という言葉からイメージするものとは、まったく違うコンセプトを、もう一度、神という言葉で置き換えることは出来ないものでしょうか・・・・・・・。

「神はすぐ傍」Part IからPart Ⅲまでは、飽くまで、時間を神として論じてきましたが、結局は、時間を神として扱う以外の方法は見出せませんでした。

そして、あれから8年以上の歳月が経ちました。

その間に、筆者の考えも根本のところでは変わりはないのですが、表現方法は大きく変わりました。

そして今では、時間は2種類あることに気づいたのです。

「遍在するもの」という神の絶対条件からすれば、神が2種類あるということは、「偏在するもの」になるわけですから、宗教者からすればとうてい容認できないでしょう。

しかし、時間は間違いなく2種類ある。

本作品を書き終える時には、タイトルである「神はすぐ傍」を「神はほど遠い」と変えなければならないかもしれないという覚悟で、PartⅣを書きはじめることにした次第です。

  新 田  論

 

 

Chapter 151 時間の概念は星によって違う

自転運動をする地球では、一回自転することによって、太陽が昇ると朝になり、沈むと夜になり、再び、太陽が昇ると朝になるという繰り返しがある。

一回の自転=一日

という地球の一日という時間の概念の誕生です。

また、

太陽の周りを公転運動する地球では、一回公転することによって、太陽と地球の位置関係の変化で、春になり、夏になり、秋になり、冬になり、再び、春になるという繰り返しがある。

一回の公転=一年

そして、

一回の公転=365.25回の自転

つまり、

一年=365.25日

という地球の一日と一年という時間の概念の誕生です。

一方、

自転運動をする地球の隣の金星では、一回自転することによって、太陽が昇ると朝になり、沈むと夜になり、再び、太陽が昇ると朝になるという繰り返しがある。

一回の自転=一日

という金星の一日という時間の概念の誕生です。

また、

太陽の周りを公転運動する金星では、一回公転することによって、太陽と金星の位置関係の変化で、春になり、夏になり、秋になり、冬になり、再び、春になるという繰り返しがある。

一回の公転=一年

そして、

一回の公転=1.9回の自転

つまり、

一年=1.9日

という金星の一日と一年という時間の概念の誕生です。

ところが、

一日=24時間という地球の「時間(hour)」の概念で計算しますと、

地球の一年=24*365.25=8,766時間ということになります。

一方、

金星の自転=一日は、地球の「時間(hour)」で観測しますと、2,808時間になります。

従って、

金星の公転=一年は、地球の「時間(hour)」で観測しますと、

金星の一年=2,808*1.9=5,355時間ということになります。

つまり、

一日=24時間という地球の「時間(hour)」の概念で計算しますと、

地球の一日=24時間、一年=8,766時間

金星の一日=2,808時間、一年=5,355時間

ということになります。

従って、

金星の一日=地球の117日、

金星の一年=地球の0.61年、

ということになります。

言い換えれば、

金星の一年=地球の222.8日

ということになります。

ところが、

前述したように、

地球の一年=365.25日

金星の一年=1.9日

つまり、

地球の「時間(hour)」では、

金星の一年=222.8日であるのに対して、

金星の「時間(hour)」では、

金星の一年=1.9日であるわけです。

従って、

時間の概念と言っても、地球の一日と一年という時間の概念と、金星の一日と一年という時間の概念は違うのです。

 

 

Chapter 152 時間の概念は人によって違う

地球の一年=365.25日

金星の一年=1.9日

というように、時間の概念と言っても、

地球の一日と一年という時間の概念と、

金星の一日と一年という時間の概念は違うのです。

因みに、

それぞれの惑星の一年と一日の関係は、

水星の一年=1.5日

火星の一年=669.38日

木星の一年=10,477日

土星の一年=24,134日

天王星の一年=43,314日

海王星の一年=90,399日

冥王星の一年=14,151日

ただし、

それぞれの惑星の一年と一日の関係は、自転(一日)と公転(一年)との関係であって、地球の一日=24時間という時間の概念とはまったく関係のない時間の概念であることを忘れてはなりません。

従って、

一年=365.25日という時間の地球上で生きている平均寿命80才の日本人にとっては、365.25回、朝・昼・夜を繰り返したら一才歳を取り、29,220回、朝・昼・夜を繰り返したら寿命が尽きるのに対して、

一年=1.9日という時間の金星上で生きれば、同じ平均寿命80才といっても、1.9回の朝・昼・夜を繰り返したら一才歳を取るわけですから、152回の朝・昼・夜を繰り返したら寿命が尽きることになるわけです。

これほどに、それぞれの星によって、時間の概念が違うわけで、その理由は、自転と公転の関係で決まることがわかります。

つまり、

時間とは、

自転(一日)と公転(一年)の関係で決まることがわかります。

逆に言えば、

一日=24時間というのは、

時間の本質に基づく概念ではないのです。

まさに、

それぞれの物体の自転・公転の関係によって、それぞれの物体の時間の概念が決定されることがわかってきます。

従って、

(1)それぞれの物体には、必ず、自転と公転運動がある。

(2)それぞれの物体には、必ず、独自の時間の概念がある。

まさに、

(1)人それぞれにも、必ず、自転と公転運動がある。

(2)人それぞれにも、必ず、独自の時間の概念がある。

ということがわかってきます。

まさに、

人それぞれの寿命が違う所以がここにあるのです。

 

 

 

Chapter 153 2種類の寿命

Chapter 155 運命的寿命を全うできない人類

Chapter 156 2種類の神を乱用する人類

Chapter 157 哲学の凋落を惹き起こした科学の欺瞞

Chapter 158 神の一撃=唯一の力が時間の生みの親?

Chapter 159 時間の誕生

Chapter 160 運命的(公転)寿命の誕生

Chapter 161 宿命的(自転)寿命の誕生

Chapter 162 星と人間

Chapter 163 2種類の時間

Chapter 164 三の法則

Chapter 165 わかる世界 & わからない世界

Chapter 166 わかる=わからない & わからない=わかる

Chapter 167 33.333%の世界 & 66.666%の世界

Chapter 168 全体観 & 全体感

Chapter 170 逆さま現象

Chapter 171 球体空間の固有項と共有項

Chapter 172 有限の中の無限

Chapter 172(円)運動宇宙の真理

Chapter 174 数の無限性=円運動の無限性

Chapter 175 光の速度を超えるものは一切ない?

Chapter 176 光速度 & 三つ子素数

Chapter 177 3、5、7 & 300,000KM/秒

Chapter 178 数の罠

Chapter 179 相対性理論の罠

Chapter 180 絶対性理論 & 相対性理論

Chapter 181 科学者とは一体何者?

Chapter 182 0と1のない素数

Chapter 183 数の特異点

Chapter 184 線形数 & 円形数

Chapter 185 見えるものはすべて実在しないもの

Chapter 186 実(実在)素数 & 虚(映像)自然数

Chapter 187 五感世界は映像世界

Chapter 188 人間社会だけが逆さまである原因

Chapter 189 見えないものが実在

Chapter 190 “自分”の正体

Chapter 191 素数は無限に存在しない

Chapter 192 悪循環社会

Chapter 193 悪循環人間社会=振り子運動社会

Chapter 194 通過点 & 折り返し点

Chapter 195 ブラック・ホール(見えないもの)は存在するか?

Chapter 196 やはり宇宙は静止している(1)

Chapter 197 やはり宇宙は静止している(2)

Chapter 198 不確定性原理の真意

Chapter 199 “自分”は確定できない

  

 

Chapter 200 科学の欺瞞性の証明

時間の概念である過去・現在(最も近い過去若しくは最も近い未来)・未来に想いを馳せて生きている者こそ、“自分”という意識がある世界に生きている。

一方、

時間の概念のない『今、ここ』を生きている者こそ、“自分”という意識がない世界に生きている。

まさに、

“自分”は確定できない。

では、

時間の概念である過去・現在(最も近い過去若しくは最も近い未来)・未来とは一体何でしょうか?

一方、

時間の概念のない『今、ここ』とは一体何でしょうか?

天文物理学では、

三本の時間の矢という概念があって、

(1)宇宙は膨張し続けるという宇宙論的時間の矢。

(2)エネルギーは秩序状態から無秩序状態に移るという熱力学的時間の矢。

そして、

(3)過去→現在→未来という一方通行の心理学的時間の矢。

まさに、

天文物理学では、

過去・現在・未来が時間に他ならないわけです。

つまり、

実時間という云うわけです。

一方、

過去・現在・未来という実時間に対して、垂直方向(90度回転した方向)に虚時間という概念を科学者は編みだした。

まさに、

実際にはないが、概念としての時間だから、虚時間と云うわけです。

そこで、

素数は、無限に存在する。

そして、

現在発見されている最大の素数は12,978,189桁の243,112,609 ‐1である。

一方、

双子素数は、無限に存在する。

そして、

現在発見されている最大の双子素数は100,355桁の65,516,468,355 × 2333,333 ± 1である。

従って、

100,355桁の素数から12,978,189桁の素数までの間には、双子素数がないわけです。

まさに、

12,978,189(桁)- 100,355(桁)= 12,877,834(桁)の間の素数には双子素数が存在しないことが判明しているが、12,978,189桁以降の素数には、双子素数は必ず存在する、と云うわけです。

そして、

現在まで発見されている最大の素数は12,978,189桁の243,112,609 - 1までだが、三つ子素数は、3、5、7だけであり、12,978,189桁以降の素数にも、三つ子素数は絶対存在しない、と云うわけです。

つまり、

素数の無限存在は証明されているから、素数の全容は判らないが、必ず、無限に存在する、と云うわけです。

同じく、

双子素数の無限存在も証明されているから、双子素数の全容は判らないが、必ず、無限に存在する、と云うわけです。

一方、

三つ子素数は3、5、7だけしかない証明はされているから、全容がわからない無限素数だが、3、5、7以外の三つ子素数は絶対存在しない、と云うわけです。

まさに、

科学者たちのこの論理は、観測事実(判明事実)よりも、理論(証明)の方が間違いない、と云うわけです。

ところが、

理論(証明)とは、観測事実(判明事実)に合致してはじめて正しいと判定されるのが、彼らの姿勢であるはずです。

言い換えれば、

観測事実(判明事実)によって、理論(証明)は正しかったと判定されるはずです。

そうしますと、

観測事実(判明事実)では、素数はまだ12,978,189桁の243,112,609 ‐1までしか発見(観測)されていないのですから、素数は無限に存在するとは断定できないはずです。

逆に言えば、

すべての素数が式化されてはじめて無限に存在することが確定されるべきです。

その姿勢が従来の科学であったはずです。

まさに、

科学者の欺瞞性が露呈された証明に他なりません。

神はすぐ傍 Ⅳ 2種類の神(時間)-完-

 

 

Part Ⅳ おわりに

“自分”という意識がある宇宙は、“運動の光と音と臭いと味と肌触りの宇宙”という映像宇宙に他ならなかった。

一方、

“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無触覚の宇宙”という実在宇宙では、“自分”という意識などない。

では、

“自分”という意識がある世界、

と、

“自分”という意識がない世界、

とは具体的にどう理解すればいいのか?

まさに、

時間の概念である過去・現在(最も近い過去若しくは最も近い未来)・未来に想いを馳せて生きている者こそ、“自分”という意識がある世界に生きている。

一方、

時間の概念のない『今、ここ』を生きている者こそ、“自分”という意識がない世界に生きている。

まさに、

“自分”という意識がある映像世界だけに、時間の概念があるわけです。

逆に言えば、

“自分”という意識がない実在世界では、時間の概念などないわけです。

言い換えれば、

時間を四次元要因とする四次元世界などないわけです。

まさに、

素数(一次元世界)は(無限に)存在する。

双子素数(二次元世界)は(無限に)存在する。

三つ子素数(三次元世界)は(有限に)存在する。

ところが、

四つ子素数は一切存在しない。

これは一体何を示唆しているでしょうか?

まさに、

三次元世界までしかなく、

四次元世界など存在しない。

言い換えれば、

四次元時間とは、虚時間であるわけです。

一方、

いわゆる(実)時間とは、三次元空間に過ぎないのです。

まさに、

2種類の神(時間)があったわけです。

        新 田  論

 


Part Ⅴ 悪魔の世界(The Human society)      Chapter 201~250 目次

はじめに

2011年に入って、世界はますます混沌の色を増しています。

その最たるものは、北アフリカ諸国で勃発している革命の嵐でしょう。

北アフリカ諸国は古くからイスラム社会でしたが、アラビア半島のイスラム社会とは異質で、文明の臭いをプンプンさせる国が多く、チュニジアは、嘗て、カルタゴと呼ばれ、古代ローマ帝国と覇権を争った国であり、エジプトは、まさに、古代文明発祥の地の一つでした。

これらの国々で革命の嵐が吹き荒れている。

何故?この時期に?

まさに、古代、中世、近代、現代と連綿と続いてきた文明社会が今崩れようとしているように思えてなりません。

一方、

宇宙や地球上の自然社会は、何ら昔と変わりありません。

銀河系星雲においても、太陽系惑星群においても、惑星の一つである地球においても、地球の自然社会においても、昔と変わりなく運行しています。

人間社会だけが、山あり谷ありの様相を繰り返しているわけです。

わたくし風に言えば、差別・不条理・戦争の横行する支配・被支配二層構造の世襲・相続という差別社会こそが、人類の文明社会に他ならず、宇宙の法則から明らかに外れているのが人間社会だと言えます。

             新 田  論

 

Chapter 201 2種類の時間

時間という概念について、一般の人間はよく考えないで生きてきたようです。

まるで、

健康という概念について、一般の人間はよく考えないで生きてきたのと同じです。

その証拠に、

健康って一体何ですか?

と問われると、大抵の人間は即答できず、よく考えた挙句、“健康とは病気でない状態だ”と答えるしかないことがわかります。

まさに、

健康とは、病気無しで存在し得ない概念に過ぎなかったことがわかるわけです。

一方、

病気って一体何ですか?

と問われると、大抵の人間は、“痛いとか、苦しいとか・・・風邪だとか、癌だとか・・・病気はいくらでもある”と即答します。

まさに、

“人は病の器”という諺どおりで、新田風に言えば、人間は生きている限り“病(やまい)”状態にあり、“病の甲”状態→“病の乙”状態→“病の丙”状態の円回帰運動をするもので、“病の丙”状態の時を病気(発病)と呼んでいるだけです。

だから、

「病」という文字は、「病垂に丙」と書くわけです。

まさに、

病気が実在で、健康は病気の不在概念に過ぎない証です。

では、

時間とは一体何者でしょうか?

これからよく考えることにしましょう。

大抵の人間は、“時間とは、過去・現在・未来のことで、過去は過ぎ去ったことで取り戻すことはできないし、未来は未だ来ぬことで引き寄せることはできないし、現在は・・・よくわからない・・・”と答えるでしょう。

では、

今は、2011年2月20日午前2時33分33秒・・・ですが、これは時間ではないのでしょうか?

“いや、それは時間ではなく、時刻だ”と答えるでしょう。

どうやら、

現在という時間を表現する際にだけ、2011年2月20日午前2時33分33秒・・・というように時刻を使うようです。

まさに、

過去・現在・未来という、天文物理学の世界で云うところの、三本の時間の矢の一つである心理学的時間の矢は、厳密には、過去・未来という時間と、現在という時刻に分けられることがわかってきます。

まさに、

この区分けこそ、2種類の神(時間)の原点にあったわけです。

 

 

Chapter 202 時間 & 時刻

Chapter 203 現在 &『今』

Chapter 204 制御可能な時間 & 制御不可能な時間

Chapter 205 人間にとって不可能=宇宙にとって可能

Chapter 206 人間が一歩進化する時代=二十一世紀

Chapter 207 『今』 & 『今、ここ』

Chapter 208 円回帰運動の鍵は静止一点にある

Chapter 209 病気の正体

Chapter 210 歴史(過去)は変えられる

Chapter 211 “病”の真の意味

Chapter 212 健康と病気の関係

Chapter 213 Gel & Sol

Chapter 214 二元論の意味=欺瞞

Chapter 215 二元論の存在意義=気づき

Chapter 216 未来(死)を知る恩恵

Chapter 217 映像と映像の間のギャップ

Chapter 218 人間社会=悪魔の世界

Chapter 219 神=悪魔

Chapter 220 神と悪魔を超える

Chapter 221 生と死を超える

Chapter 222 観測=客観視

Chapter 223 真理を知る=超えること

Chapter 224  “他者が先ず好かったらいい”が新しい考え方の基本

Chapter 225 病気の実相

Chapter 226 死の実相

Chapter 227 自己否定が鍵

Chapter 228 実相=相転移現象(位相の変化)

Chapter 229 神は地獄に住んでいる

Chapter 230 神が逆さま人間をつくった

Chapter 231 宗教が消滅する世紀

Chapter 232 客観視=観測=人間原理

Chapter 233 人間最大の錯覚

Chapter 234 「森(全体)を観る」 & 「木(部分)を見る」

Chapter 235 革命的発見(1)

Chapter 236 革命的発見(2)

Chapter 237 本当の宇宙=小宇宙

Chapter 238 見える=観えない & 見えない=観える

Chapter 239 聞こえる=聴えない & 聞えない=聴える

Chapter 240 匂える=嗅げない & 匂えない=嗅げる

Chapter 241 味わう=玩味しない & 味わえない=玩味する

Chapter 242 触る=撫でない & 触れない=撫でる

Chapter 243 五感する=気づかない & 五感しない=気づける

Chapter 244 意識する & 意識しない

Chapter 245 自分独りしかいない

Chapter 246 『人間とは何者?』という哲学的命題(1)

Chapter 247 『人間とは何者?』という哲学的命題(2)

Chapter 248 『人間とは何者?』という哲学的命題(3)

 

 

Chapter 249 『万物の霊長』としての人間

『自分とは、一体何者?』

この問いかけに対する答えを発見することこそ、

『人間とは何者?』という哲学的命題に対する解答になるのです。

そして、

あなたが、意識して息をしているなら、あなたは本当の自分です。

あなたが、意識して飲んでいるなら、あなたは本当の自分です。

あなたが、意識して食べているなら、あなたは本当の自分です。

あなたが、意識して見ているなら、あなたは本当の自分です。

つまり、

あなたが、観ているなら、あなたは本当の自分です。

あなたが、意識して聞いているなら、あなたは本当の自分です。

つまり、

あなたが、聴いているなら、あなたは本当の自分です。

あなたが、意識して匂っているなら、あなたは本当の自分です。

つまり、

あなたが、嗅いでいるなら、あなたは本当の自分です。

あなたが、意識して味わっているなら、あなたは本当の自分です。

つまり、

あなたが、玩味しているなら、あなたは本当の自分です。

あなたが、意識して触っているなら、あなたは本当の自分です。

つまり、

あなたが、撫でているなら、あなたは本当の自分です。

そして、

あなたが、意識しているなら、あなたは本当の自分です。

一方、

あなたが、無意識で息をしているなら、あなたは偽(エゴ)の自分です。

あなたが、無意識で飲んでいるなら、あなたは偽(エゴ)の自分です。

あなたが、無意識で食べているなら、あなたは偽(エゴ)の自分です。

あなたが、無意識で見ているなら、あなたは偽(エゴ)の自分です。

つまり、

あなたが、ただ見ているなら、あなたは偽(エゴ)の自分です。

あなたが、無意識で聞いているなら、あなたは偽(エゴ)の自分です。

つまり、

あなたが、ただ聞いているなら、あなたは偽(エゴ)の自分です。

あなたが、無意識で匂っているなら、あなたは偽(エゴ)の自分です。

つまり、

あなたが、ただ匂っているなら、あなたは偽(エゴ)の自分です。

あなたが、無意識で味わっているなら、あなたは偽(エゴ)の自分です。

つまり、

あなたが、ただ味わっているなら、あなたは偽(エゴ)の自分です。

あなたが、無意識で触っているなら、あなたは偽(エゴ)の自分です。

つまり、

あなたが、ただ触っているなら、あなたは偽(エゴ)の自分です。

そして、

あなたが、無意識でいるなら、あなたは偽(エゴ)の自分です。

詰まる処、

あなたが、意識しているなら、あなたは人間として生きているのです。

一方、

あなたが、無意識でいるなら、あなたは人間として生きていないのです。

まさに、

万物の霊長とは、単なる人間というのではありません。

万物の霊長とは、意識して生きている人間のことに他ならないのです。

 

 

Chapter 250 『自分とは、一体何者?』

『自分とは、一体何者?』

この問いかけに対する答えを発見することこそ、

『人間とは何者?』という哲学的命題に対する解答になる。

そして、

あなたが、意識しているなら、あなたは人間として生きている。

一方、

あなたが、無意識でいるなら、あなたは人間として生きていない。

まさに、

万物の霊長とは、単なる人間というのではない。

万物の霊長とは、意識して生きている人間のことに他ならない。

そして、

『意識して生きる』とは、

“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無触覚の宇宙”という実在世界を生きることに他なりません。

言い換えれば、

『意識して生きる』とは、

暗闇の中を観て、沈黙の中を聴いて、無臭の中を嗅いで、無味の中を玩味して、無触覚の中を撫でて生きることに他なりません。

つまり、

『意識して生きる』とは、

内なる世界を生きることに他なりません。

言い換えれば、

自分独りの世界を生きることに他なりません。

一方、

『無意識で生きる』とは、

“運動の光と音と匂いと味と触覚の宇宙”という映像世界を生きることに他なりません。

言い換えれば、

光の中を見て、音の中を聞いて、匂いの中を匂って、味の中を味わって、触覚の中を触れて生きることに他なりません。

つまり、

『無意識で生きる』とは、

外なる世界を生きることに他なりません。

言い換えれば、

自他の区分けがある世界を生きることに他なりません。

まさに、

あなた自身(自分)が、人間として生きるか?

あなた自身(自分)が、人間として生きないか?

問題はこのことだけです。

つまり、

他者には一切関わりのないことです。

まさに、

あなた自身(自分)がいるのは、自分独りの世界なのです。

 

 

Part Ⅴ おわりに

2011年に入って、世界はますます混沌の色を増しています。

その最たるものは、北アフリカ諸国で勃発している革命の嵐でしょう。

北アフリカ諸国は古くからイスラム社会でしたが、アラビア半島のイスラム社会とは異質で、文明の臭いをプンプンさせる国が多く、チュニジアは、嘗て、カルタゴと呼ばれ、古代ローマ帝国と覇権を争った国であり、エジプトは、まさに、古代文明発祥の地の一つでした。

これらの国々で革命の嵐が吹き荒れている。

何故?この時期に?

まさに、古代、中世、近代、現代と連綿と続いてきた文明社会が今崩れようとしているように思えてなりません。

一方、

宇宙や地球上の自然社会は、何ら昔と変わりありません。

銀河系星雲においても、太陽系惑星群においても、惑星の一つである地球においても、地球の自然社会においても、昔と変わりなく運行しています。

人間社会だけが、山あり谷ありの様相を繰り返しているわけです。

わたくし風に言えば、差別・不条理・戦争の横行する支配・被支配二層構造の世襲・相続という差別社会こそが、人類の文明社会に他ならず、宇宙の法則から明らかに外れているのが人間社会だと言えます。

ここ、Part V の「はじめに」で「悪魔の世界(The Human Society)」について論じてみたいと思いますと記したのが2011年2月20日でした。

そして、それから21日後の3月11日に、世界を震撼させる大災害が日本で起こりました。

まさに、人間社会だけが悪魔の世界(The Human Society)そのものの様相です。

私たち人間は、もういい加減、自分に問いかけてみるべきです。

『人間とは、一体何者?』

『自分とは、一体何者?』

まさに、

『人間原理』の人間とは、『万物の霊長』としての人間に他ならないのに、悪魔の世界の様相です。

まさに、

あなた自身(自分)が、人間として生きるか?

あなた自身(自分)が、人間として生きないか?

問題はこのことだけです。

つまり、

他者には一切関わりのないことです。

まさに、

あなた自身(自分)がいるのは、自分独りの世界なのです。

この真理を理解しない限り、更なる大災害がこれでもかこれでもかと、悪魔の世界(The Human Society)に襲ってくるでしょう。

             新 田  論

 


Part Ⅵ 確定性原理(Certainty Principle)            Chapter 251~290 目次

はじめに

私たち人間は、もういい加減、自分に問いかけてみるべきです。

『人間とは、一体何者?』

『自分とは、一体何者?』

まさに、

『人間原理』の人間とは、『万物の霊長』としての人間に他ならないのに、悪魔の世界の様相です。

まさに、

あなた自身(自分)が、人間として生きるか?

あなた自身(自分)が、人間として生きないか?

問題はこのことだけです。

つまり、

他者には一切関わりのないことです。

まさに、

あなた自身(自分)がいるのは、自分独りの世界なのです。

では、

自分独りの世界と、今まで考えてきた従来の世界とは、一体何が違うのでしょうか?

それを論じるのが、この作品の狙いです。

             新 田  論

 

 

Chapter 251 過去は変えることができる

2011年3月11日に、日本で東北関東大震災が起こった。

今回の災害は、地震だけに止まらず、津波、そして、原子力発電所事故と、これでもかと人間社会を襲ってくる。

まさに、

悪夢の様相です。

夢なら、目が覚めれば、現実でなかったことに気づき、ほっとします。

悪夢でも、目が覚めれば、現実でなかったことに気づき、更に、ほっとします。

ところが、

余りの酷さの悪夢だと、目が覚めた後でも、しばらくは延き摺ります。

現実でなかったことに気づき、更に、ほっとするはずなのに、まるで現実であったかのように、しばらくは延き摺るのです。

なぜこのような現象が起こるのでしょうか?

まさに、

夢という映画(映像)の源泉が記憶にある所以と関係あるわけです。

逆に言えば、

夢という映画(映像)の源泉が忘却にある所以と関係あるわけです。

つまり、

夢という記憶は忘却によって消去される。

悪夢という記憶も忘却によって消去される。

更に酷い記憶はなかなか忘却されず、消去されず、しばらくは延き摺るのです。

しかし、何時か必ず忘却によって消去されるのです。

結局の処、

今回の東北関東大震災という悪夢も、何時か必ず忘却によって消去されるのです。

嘗ての阪神大震災という悪夢も、結局の処、何時か必ず忘却によって消去されるのです。

この事実は一体何を示唆しているのでしょうか?

まさに、

過ぎ去った過去も変えることができるということを示唆しているのです。

私たち人間は、

未だ来ぬ未来を引き寄せることはできないし、

過ぎ去った過去を取り返すこともできないと、

信じてきました。

しかし、

夢のメカニズムをよく理解すると、どうやら、そうではないことがわかってきます。

まさに、

確定できる世界、

確定できない世界、

の違いは、

確定できる世界とは静止世界、

確定できない世界とは運動世界、

との違いであることがわかってきます。

まさに、

“運動の光と音と臭と味と触覚の世界”が不確定の世界であり、

“静止の暗闇と沈黙と無臭と無味と無触覚の世界”が確定の世界であることがわかってきます。

そうしますと、

今回の東北関東大震災も、所詮は、悪夢の不確定の世界の話であることがわかってきます。

従って、

今回の東北関東大震災という悪夢の過去も、変えることができることがわかってきます。

そのためには、

『今、ここ』に立っている私たち人間が、悪夢の過去に繋がっている現在の位置を変えなければなりません。

言い換えれば、

『今、ここ』に立っている私たち人間が、従来の考えを変えなければなりません。

まさに、

『今、ここ』の位置を変えることによって、唯一の過去と思ってきた事象も変えることができるのです。

 

 

Chapter 252 この世はバクチの世界

Chapter 253 戦争はバクチをする神の所為

Chapter 254 バクチ勝利法

Chapter 255 バクチ=人生に問題がある

Chapter 256 道から外れた人生

Chapter 257 堂々めぐりの人生

Chapter 258 確定の世界 & 不確定の世界

Chapter 259 成就する世界 & 成就しない世界

Chapter 260 『今、ここ』の世界 & 『現在』の世界

Chapter 261 不特定多数の自分(エゴの自分)

Chapter 262 ジャンプするのは自分ではない

Chapter 263 自分とは一体何者?

Chapter 264 世界?

Chapter 265 自己否定=清水の舞台からのジャンプ

Chapter 266 死の発見=革命的発見

Chapter 267 静止宇宙から運動宇宙へ

Chapter 268 『静止宇宙』=空の世界 & 『運動宇宙』=色の世界

Chapter 269 ビッグバンなどなかった!(1)

Chapter 270 ビッグバンなどなかった!(2)

Chapter 271 ビッグバンなどなかった!(3)

Chapter 272 複数の宇宙=複数の自分

Chapter 273 第2の軸の時代

Chapter 274 21世紀は死を超える世紀

Chapter 275 『今、ここ』でビッグバンは起こっている

Chapter 276 大宇宙 & 小宇宙

Chapter 277 ビッグバンの真の意味

Chapter 278 過去も未来もない、あるのは『今、ここ』

Chapter 279 “自分は”という自我意識(エゴ)& “他者は”という他我意識(エゴ)

Chapter 280 二種類のエゴ

Chapter 281 対立か?仲間か?

Chapter 282 自分と他者は同じ自分

Chapter 283 独りの世界

Chapter 284 独りの世界の自分と他者

Chapter 285 “他者は” & 他者

Chapter 286 自分独りだけの宇宙

Chapter 287 確定的な静止宇宙 & 不確定的な運動宇宙

Chapter 288 静止宇宙は何処に?

Chapter 289 確定寿命 & 不確定寿命

 

 

Chapter 290 神の存在意義が消滅する時代

ミクロの世界では、すべてが不確定性の上に成り立っているのに対して、

マクロの世界では、すべてが確定性の上に成り立っている。

つまり、

ミクロの世界では、ハイゼンベルグの不確定性原理が厳然と機能しているのに対して、

マクロの世界では、ニュートン力学からアインシュタイン相対論と続いた決定論に基づく理論が厳然と機能している。

詰まる処、

ミクロ世界は不確定性世界。

マクロ世界は確定性世界。

という。

そこで、

こういった天文物理学の表現を平たく云うと、

ミクロ世界は神のいない世界。

マクロ世界は神のいる世界。

ということになります。

現に、

ニュートンやアインシュタインは神の存在を信じていました。

一方、

ハイゼンベルグは神の存在を信じられませんでした。

ただし、

マクロ世界の確定性は、飽くまで近似値計算に基づいている。

平たく言えば、

神の存在は、飽くまで近似値計算に基づいているわけです。

ハイゼンベルグは、そんな神の存在を信じられませんでした。

まさに、

神の存在意義について、

イギリス、アメリカを中心に発展した経験主義哲学に基づく自由主義思想と、ドイツ、フランス、ロシアを中心に発展した合理主義哲学に基づく啓蒙主義思想の違いが背景にあることを忘れてはなりません。

だから、

同じ白人社会でありながら、アメリカ、イギリスとドイツ、ロシアは水と油の関係であり、フランスも基本的にはドイツ、ロシアと同じ穴の狢なのです。

そして、

それ以外の国は、彼らにとっては鬼畜以外の何者でもないのです。

歴史、特に、近代以降の歴史は、この構図によって展開されてきたのです。

ところが、

二十一世紀に入って、世界は大きく変わろうとしているのです。

まさに、

二十一世紀に入って、神の存在意義が大きく変わろうとしているのです。

 

神はすぐ傍 Part Ⅵ 確定性原理-完了-

 

 

Part Ⅵ おわりに

この作品の Chapter 287 確定的な静止宇宙 & 不確定的な運動宇宙 を配信した2011年5月17日に、物理学者のスティーブン・ホーキングが遂にローマバチカンの反撥を覚悟の上で「天国も死後の世界もない、天国や死後の世界は、暗闇を怖れるゆえのおとぎ話に過ぎない・・・」と世界に発表しました。

最終章Chapter 290 神の存在意義が消滅する時代 で締めましたように、まさに、二十一世紀は宗教が消滅する世紀に間違いなくなる予兆の一つではないでしょうか。

あなた自身(自分)がいるのは、自分独りの世界なのです。

では、

自分独りの世界と、今まで考えてきた従来の世界とは、一体何が違うのでしょうか?

それを論じるのが、この作品の狙いでした。

Part IからPart Ⅲ を2002年5月の時点での心境と、いまこうして、Part IVからPart VI を書き終えた2011年5月の時点での心境は、まるで別人のようです。

神を「時間」と置き換えて書いた2002年に対して、神の存在を論議するどころか、神という概念すら欺瞞であると断じたいまの心境を如実に表わしているのが、最終章Chapter 290 神の存在意義が消滅する時代 を記して、この作品の締めくくりにするのが妥当だと判断した次第です。2011年頃から「二十一世紀には宗教が消滅する」と論じてきたわけですが、その内容において大きく変わりました。

それは一重に著者自身の変化であり、その変化模様は、まさに、円回帰運動そのもののようです。

「神はすぐ傍」を書き出したのは、ベルリンからクラクフへの旅の中でしたが、その前に書いたのが日本での「神の自叙伝」であり、そして、ラスベガスでの「心の旅の案内書」でした。

円回帰運動を完結するためには、この先の流れに任せてみたいと思います。

 

[神はすぐ傍 -完-]

新 田 論 

 

 

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