新 田  論 作 品 の E-book 版 紹 介

錯覚の自分とは?

人として生きる意味

はじめに

過ぎ去った“過去”の出来事は既知です。

未だ来ぬ“未来”の出来事は未知です。

では、

現に在る“現在”の出来事は既知でしょうか?それとも未知でしょうか?

既知でも未知でもなく、実在です。

そして、

既知は唯一ではなく、未知も唯一ではなく、実在だけが唯一です。

では、

唯一実在するような代物とは一体何でしょうか?

まさに、

死なのです。

そして、

生きる意味とは、死の不在概念に過ぎないのです。

そんな死をわれわれは忌み嫌って生きています。

では、

そんなに死を忌み嫌って生きる意味とは一体何者なのか明確に答えられる人がいるでしょうか?

では、

ひとつ一つじっくりと「人として生きる意味」について考えてみましょう。

新 田  論

 

第1章 夢のはじまり

夜の眠りから覚める直前まで夢を見ているのが大人であって、前の晩に眠りに落ちた瞬間に朝の目覚めが来ていた純真無垢な子供とは、まったく別人のようになってしまったのが、われわれ人間の大人です。

では、

われわれ人間の大人と子供との間に一体何事が起って、別人のようになってしまったのでしょうか?

まさに、

熟睡だけの眠りの人生を送っている人間の子供と、熟睡の後に夢の睡眠があって、その後に、目覚める朝を迎えるのが人間の大人の違いに他ならないのです。

では、

純真無垢な子供は夢を見ないのに、なぜ大人は夢を見るのでしょうか?

まさに、

文字通り、純真無垢なら夢を見ない、純真無垢でなくなったら夢を見ることを示唆しているのです。

純真無垢なら夢を見ない。

純真無垢でなくなったら夢を見る。

この事実は一体何を意味しているのでしょうか?

まさに、

夢を見ることは必要悪の証左です。

言い換えれば、

夢を見ることは、本来必要のないものである証左です。

まさに、

夢のはじまりは、アダムとイヴがエデンの園を追放された物語の象徴に他ならなかったのです。

言い換えれば、

夢のはじまりは、われわれ人間の大人が錯覚の人生に嵌りはじめた象徴に他ならなかったのです。

そして、

そんな錯覚の人生を毎朝はじめるのが、われわれ人間の大人なのです。

まさに、

われわれ人間の大人の人生における生きる意味が、錯覚からはじまっているのです。

先ず、

この歴然たる事実を自覚することが、真の生きる意味を理解する第一要件に他なりません。

言い換えれば、

毎朝目が覚めた時に気づく夢のはじまりが一体どこで発生したのでしょうか?

現に、

夢のおわりは毎朝目が覚めた時に憶えているのに、夢のはじまりは一体どこで発生したのかまるで憶えていません。

なぜなら、

おわりを憶えているのだから、はじまりは必ずあるはずなのに、まるで憶えていないのはなぜでしょうか?

ところが現に、

われわれは、夢のおわりは憶えているのに、夢のはじまりは憶えていません。

ひょっとしたら、

森羅万象、おわりはあるのに、はじまりがないのかもしれません。

まさに、

宇宙のはじまりとするビッグバンなどないかもしれないと主張している所以がここにあるのです。

そうでないと、

毎朝夢のおわりは憶えているのに、夢のはじまりは憶えていないはずがありません。

では、

夢のはじまりを憶えていないのだから、ビッグバンなどないのでは?

そこで、

もし森羅万象、おわりがあるなら、はじまりがあるはずで、だからビッグバンがあるなら、なぜ、夢のはじまりを憶えていないのでしょうか?

もし森羅万象、おわりがあっても、はじまりがないから、夢のはじまりを憶えていないなら、ビッグバンなどないのでは?

もし森羅万象、はじまりもおわりもないのなら、毎朝目が覚めたらおわる夢はおわっていないのでしょうか?

以上の三つの中の一つに真理があるはずです。

まさに、

生きる意味を解く鍵がここにあるのではないでしょうか?

すなわち、

生きる意味を解く鍵とは、はじまりとおわりの意味を解く鍵と同じなのではないでしょうか?

まさに、

死(おわり)を知ったわれわれ人間の大人にとっての生きる意味とは、はじまりとおわりの意味を解くことに他ならないのです。

 

 

第2章 はじまりもおわりもない世界

自然社会の生きものや人間社会の純真無垢な子供が生きている世界は、おわりのない世界です。

なぜなら、

彼らは、最期に死ぬことを知らないで生きているからです。

まさに、

結末がわからない生放送のドラマに他なりません。

一方、

われわれ人間社会の大人が生きている世界は、おわりのある世界です。

なぜなら、

われわれ人間の大人は、最期に死ぬことを知って生きているからです。

まさに、

結末がわかっている再放送のドラマに他なりません。

では、

どちらの世界がおかしいのでしょうか?

自然社会や純粋無垢な人間の子供社会が正常で、われわれ人間の大人社会がおかしいのは火を見るよりも明らかです。

では、

なぜわれわれ人間の大人社会がおかしいのでしょうか?

言い換えれば、

最期に死ぬことを知ったことがおかしかったのでしょうか?

まさに、

文明社会を興した人類は、決して進化してきたのではなく、退化していっているのでしょうか?

それなら、

人類は必ず絶滅するはずです。

では、

そんな人類を地球はなぜ生んだのでしょうか?

表現を換えれば、

では、

そんな人類を神はなぜ生んだのでしょうか?

まさに、

二元論世界の存在所以(そんざいゆえん)が、ここにあるのです。

言い換えれば、

必要悪としての二元論世界の存在所以に他なりません。

まさに、

人類は、地球にとって必要悪の存在に他ならない証明です。

言い換えれば、

地球が必然性に基づいて自転、公転しているなら、必要悪に過ぎない人類など、まったく無用の長物なのである。

ところが、

ミクロ世界からマクロ世界まで貫く世界、すなわち、森羅万象は、偶然性に基づいているから、必要悪である人類が必要になるのです。

なぜなら、

森羅万象、すべてが確率論に基づいているからです。

まさに、

はじまりもおわりもない世界とは、確率論の世界=偶然性の世界=神の存在しない世界=必要悪の人類が存在し得る世界に他ならないのです。

 

 

第3章 強い人間原理 & 弱い人間原理

はじめに人間ありき、然るに、宇宙ありきとする考え方を科学の世界では「強い人間原理」と言います。

一方、

はじめに宇宙ありき、然るに、人間ありきとする考え方を科学の世界では「弱い人間原理」と言います。

従って、

宇宙のはじまりをビッグバンとする考え方は「強い人間原理」に基づいているわけです。

なぜなら、

最初の一撃が必要であるはじまりがある世界は、必然性の世界だからです。

そして、

最初の一撃を加える者こそ、神に他ならないからです。

そうするなら、

宇宙のはじまりをビッグバンとするなら、宇宙のおわりであるビッグクランチもなければならないはずです。

なぜなら、

必然性の世界なら、おわりがないだらだら世界は許されず、必ず最後の一撃も必要になるからです。

そして、

最期の一撃を加える者も、神でなければならないからです。

まさに、

はじまりとおわりがある世界は、神が創造した世界ということになります。

そして、

神の概念を創造した者こそ、われわれ人間に他なりません。

では、

われわれ人間を創造したのは、一体誰でしょうか?

神とは言わせませんよ!

まさに、

われわれ人間は、イタチごっこする臭いイタチ、自分の尻尾を追いかける阿呆な犬以外の何者でもない証明です。

われわれ人間を含む森羅万象を創造したのは神で、神の概念を創造したのはわれわれ人間で、われわれ人間を創造したのは神で・・・。

まさに、

はじまりがあり、おわりがある世界は、臭いイタチの世界であり、阿呆な犬の世界に他ならないのです。

従って、

「人間原理」に強いも弱いもなく、ただの「人間原理」に過ぎないのであって、問題は「人間原理」にあるのではなく、強いか?弱いか?に問題があるのです。

なぜなら、

強い=弱いが、強弱二元論の本質だからです。

言い換えれば、

強いか?弱いか?は二律背反する考え方で、二元論の本質ではないからです。

逆に言えば、

強い=弱いは補完し合う考え方で、二元論の本質がここにあるからです。

まさに、

「強い人間原理」と「弱い人間原理」は二律背反する間違った二元論に他ならず、「強い人間原理」=「弱い人間原理」で補完し合う正しい二元論なら、「強い」と「弱い」を超えること、すなわち、強いも弱いもない考え方になり、畢竟、二元要因を超えることが鍵なのです。

まさに、

一元論→二元論→三元論の過程は、始点(実在点)→円周(映像線)→終点(実在点)と同じなのです。

更に、

始点=終点だけが実在で、間の円周は映像(幻想・錯覚)という必要悪なのです。

まさに、

「人間原理」という表現そのものが、映像(幻想・錯覚)そのものであるが、それが三元論(終点)に辿り着くための過程(必要悪)であることが鍵なのです。

 

 

第4章 二元論=必要悪の存在意義

「人間原理」という表現そのものが、映像(幻想・錯覚)そのものであるが、それが三元論(終点)に辿り着くための過程(必要悪)である。

まさに、

人間の存在意義とは、必要悪の存在意義に他ならないのである。

そして、

地球上の生命体の頂点に立った人類は文明社会を築き、古代→中世→近代の先端として現代人間社会まで辿り着いたが、その原動力こそ、必要悪の存在に他ならないのである。

逆説的に言えば、

人類以外の他の自然社会の生きものは、地球と一体感を持ち、必要悪など、文字通り不要の不要善として生きてきたゆえ、文明社会を築くことなど不要だったのである。

まさに、

文明は、地球という母なる大地にとって、必要悪以外の何者でもなかったのです。

では、

地球という母なる大地にとって、必要悪は絶対に必要だったのでしょうか?

言うまでもなく文字通り、

地球という母なる大地にとって、必要悪は本質的に不要であり、相対的に必要だっただけです。

言い換えれば、

地球という母なる大地にとって、人類は条件つきで必要だっただけです。

では、

条件つき必要とは、一体何なのでしょうか?

まさに、

不要善に回帰するために必要だったのです。

まさに、

必要悪は不要善の不在概念に他ならなかったのです。

まさに、

必要悪と不要善は二元論を形成し、不要善が実在し、必要悪は不要善の不在概念に過ぎなかったのです。

では、

この事実は一体何を意味しているのでしょうか?

まさに、

必要悪の存在意義に他なりません。

従って、

人類は決して万物の霊長ではなく、本来、つまり、地球にとっては無用の長物に他ならないことを、われわれ人間は自覚しなければならないのです。

まさに、

われわれ人間社会が、二元論世界=必要悪世界の社会に他ならないことが、何よりの証明に他なりません。

 

 

【目 次】
第5章 生きる=必要悪
第6章 大人になるということは悪人になること
第7章 必要悪の階層
第8章 歴史の階層性
第9章 階層の歴史
第10章 階層の時間
第11章 相対歴史→絶対歴史
第12章 階層構造の歴史→唯一の歴史
第13章 階層の歴史 V. S. 唯一絶対の歴史
第14章 階層の歴史→唯一絶対の歴史
第15章 『今、ここ』=『唯一、絶対』
第16章 『今』=『唯一』の根拠
第17章 『ここ』=『絶対』の根拠
第18章 『唯一』&『絶対』=『実在』V. S.『複数』&『相対』=『映像』
第19章 唯一絶対の歴史観
第20章 所謂現実=映像世界
第21章 組織社会=映像社会=錯覚社会
第22章 選民思想の恐ろしさ
第23章 選民思想=最悪の二元論思想
第24章 差別・不条理・戦争 V. S. 平等・公正・平和
第25章 映像世界 & 実在世界
第26章 映像の歴史 & 実在の歴史
第27章 従来の歴史は主観の歴史
第28章 「主観の歴史観」の大罪
第29章 客観性に基づく常識
第30章 客観性に基づく常識(その1)
第31章 客観性に基づく常識(その2)
第32章 客観性に基づく常識(その3)
第33章 客観性に基づく常識(その4)
第34章 客観性に基づく常識(その5)
第35章 客観性に基づく常識(その6)
第36章 客観性に基づく常識(その7)
第37章 客観性に基づく常識(その8)
第38章 客観性に基づく常識(その9)
第39章 主観の歴史=建前論 V. S.客観の歴史=本音論
第41章 歴史学の正体
第42章 歴史学の正体=詐称の歴史
第43章 歴史の本質=真実の歴史
第44章 点の歴史観
第45章 線の歴史観
第46章 面の歴史観
第47章 人類の立体の歴史観
第48章 生物の立体の歴史観
第49章 地球の立体の歴史観
第50章 太陽系の立体の歴史観
第51章 銀河系の立体の歴史観
第52章 全体宇宙の立体の歴史観
第53章 絶対宇宙の立体の歴史観
第54章 静止と運動の本質
第55章 はじめに言葉ありきの欺瞞
第56章 静止宇宙・運動宇宙二元論
第57章 現代宇宙論は映画論
第58章 新しい宇宙論
第59章 客観宇宙論=実在宇宙論
第60章 主観=他者主観視 & 客観=自己客観視
第61章 主観=他者主観視=過去・現在・未来 & 客観=自己客観視=『今、ここ』
第52章 動的歴史観=主観的歴史観 & 静的歴史観=客観的歴史観
第63章 歴史の嘘
第64章 畜生の歴史
第65章 人類の歴史
第66章 ボタンのかけ間違った歴史
第67章 かけ間違いをしたボタンの正体
第68章 ボタンのかけ間違いの張本人
第69章 虚構の歴史=勝利者 V. S 真実の歴史=敗北者
第70章 歴史の本分=真実の歴史=敗北者の歴史
第71章 現象・実体・本質
第72章 実体
第73章 現象
第74章 本質→実体→現象
第75章 本質→実体→現象→実体→真理
第76章 本質(本当)の歴史 V. S.真理の歴史
第77章 本質(本当)の歴史→真理の歴史
第78章 真理の歴史=真理
第79章 歴史=真理
第80章 真理=歴史
第81章 真理の意味
第82章 現象と本質の相対性
第83章 二元論=相対性
第84章 三元論=絶対性
第85章 否定語=嫌われ語
第86章 科学の欺瞞性
第87章 宗教と科学の相似性
第88章 二元論の落とし穴
第89章 文明の正体
第90章 明の意味
第91章 文明を文明する是すなわち非文明
第92章 非=超える
第93章 超歴史観
第94章 超歴史観の意義
第95章 選択する学問から超える学問へ
第96章 超える学問
第97章 新しい価値観
第98章 従来の価値観
第99章 学ぶ意義
第100章 学ぶ価値
おわりに

真理は真実の積み重ね。

真実は事実の積み重ね。

事実は『今、ここ』の積み重ね。

過去・現在・未来という時間の概念など実体のない(実在しない)、人間が勝手につくった幻想(映像)世界の誤謬道具に過ぎません。

この真理に辿り着くことこそ、真の生きる意味に他なりません。

ところが、

いつの頃からか、人類は自覚症状の無い音痴に成り下がってしまった。

その結果、

善・善、悪・悪がそれぞれ1.5%で計3%

善・悪、悪・善がそれぞれ48.5%で計97%

不要が計3%

必要が計97%

世の中を変えていくのが、計3%の人間しかいなくなってしまったのです。

女性は男性よりも一世紀進化が遅れている。

男尊女卑社会のたわごとです。

女性の方が男性より十世紀精神が進化している。

これからやって来る平等社会の常識です。

 

新 田  論

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