新 田  論 作 品 の E-book 版 紹 介

錯覚の自分とは?

宇宙のしくみにそった新しい考え方

宇宙のしくみにそった新しい考え方
シリーズ名:新田論の自分学書 錯覚の自分とは?  

はじめに

人にはそれぞれの考え方があり、まったく同じ考え方を持った人間など自分以外に一人もいません。

そのことを各自の人間が自覚しているのかどうかはなはだ疑問ですが、ただはっきりしていることがあります。

他人の考え方に疑問を持つのは当たり前だと思っている自分なのですが、自分の考え方に疑問を持つ人間など一人もいません。

人はそれぞれ自分の考え方を疑ったことなど一度もないのです。

考え方とは信念と言い換えてもいいでしょう。

人は誰一人として、自分の信念に疑問を持ったことがないのです。

人生は山あり谷ありですから、谷の時期には自信が揺らぎ、自分の信念に確信が持てなくなることもあるでしょうが、それでも、自分の考え方に疑問を持つまではいきません。

自分の考え方、自分の信念とは、一体いつどこで確立されたのでしょうか。

確たる根拠なしに、人は自分の考え方を確立していったようです。

死をいつどこで知ったのか、誰一人として明確でないにも拘らず、誰一人として自分がいつか死ぬことを疑ったことがないのがその最たる証拠です。

“自分もいつか必ず死ぬ”

これほど確たる信念はないでしょう。

確たる証拠もないのに誰一人疑ったことはないのです。

信念とはそういうものなのです。

それでは、こういった信念はいつどこで確立されたのでしょうか。

人の基盤が確立される子供の頃、特に七才ぐらいまでに母親を中心に植えつけられます。

母親を中心に学校の先生や宗教者によって子供に植えつけられた信念は一生変わることはありません。

自分の信念を疑うことが不可能である根拠がこの点にあります。

自分の考え方を疑うことが不可能である根拠がこの点にあります。

ひとり一人の人間が、自分の信念、考え方を疑うことがないのですから、人間社会は意見の相違のルツボと化すのは当然のことで、その結果、差別・不条理・戦争が罷り通る人間社会になったわけです。

自分の考え方、信念を疑うことなく生きてきた人間に問題があったのです。

自分の考え方、信念ほどいい加減なものはない。

自分を疑ってかかる。

人間ひとり一人が自分を疑ってかかったなら、人間ひとり一人が自分の考え方、信念を疑ってかかったなら、人間社会はどのように変わるでしょうか。

わたくしがライフワークとして主張しています、「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」、「宗教と科学の社会」、「悩みや四苦八苦、挙げ句の果ての、死の恐怖の人生」、そして、「差別・不条理・戦争を繰り返す社会」は消えてなくなるでしょう。

それでは、どうしたら自分の考え方、信念を疑ってかかることができるか。

それこそが、“宇宙のしくみにそった新しい考え方”の基盤になるはずです。

新 田  論

 

第1章 “新しい考え方”の第一歩

人が最も確たる考え方、信念を持っているのが、“自分もいつか必ず死ぬ”という死に対する概念です。

概念とは考え方のことですから、信念とは概念に過ぎないことをまず理解することが“新しい考え方”の第一歩です。

信念(信ずる念い)=概念(概(おおよそ)の念い)ということですから、信念とはそもそもいい加減なものなのです。

人の考え方はそもそもいい加減なものであることを決して忘れないでください。

人の信念はそもそもいい加減なものであることを決して忘れないでください。

それでは、人の信念の中で最も確信のある“自分もいつか必ず死ぬ”という死の概念はいい加減なものであったのか?と疑問を持たれる方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

その通りです。

“新しい考え方”の第一歩として、みなさんの肝に銘じておいて欲しいことは、“自分もいつか必ず死ぬ”という“古い考え方”を疑ってかかることです。

“自分もいつか必ず死ぬ”という考え方をよくよく考えてみますと、他人任せの考え方であることがわかります。

“自分は必ず死ぬ”という考え方なら、自分の意志が表われていますが、“自分もいつか必ず死ぬ”という考え方には、自分の意志が表われていません。

“自分は必ず死ぬ”という考え方には、“自分の死は自分で決めるのだ!”という意志が表われていますが、“自分もいつか必ず死ぬ”という考え方には、“自分はいつかどこかで死ぬはずだ?”という確信のなさが表われている、いい加減な考え方であることがわかるでしょう。

そんないい加減な考え方に、みなさんは最も強い信念を持っておられたのです。

今すぐに、こんないい加減な“古い考え方”を捨て去ることをおすすめします。

“新しい考え方”の第一歩は、“自分は必ず死ぬ”という考え方です。

“新しい考え方”の第一歩は、“自分の死は自分で決めるのだ!”という考え方です。

唯一人間だけが死を知ったのに、“自分もいつか必ず死ぬ”といういい加減な“古い考え方”で自分の人生を棒に振らないでください。

自分の人生の中で唯一最大の権利を、“自分の死は自分で決めるのだ!”という“新しい考え方”で主張してください。

そうすれば、「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」、「宗教と科学の社会」、「悩みや四苦八苦、挙げ句の果ての、死の恐怖の人生」、そして、「差別・不条理・戦争を繰り返す社会」は消えてなくなるでしょう。

 

 

第2章 支離滅裂な“古い考え方”

“自分もいつか必ず死ぬ”という考え方は“古い考え方”です。

“自分もいつか必ず死ぬ”という固定観念を疑ってかかってください。

“自分は必ず死ぬ”という考え方は“新しい考え方”です。

“自分もいつか必ず”が“自分は”に変わるだけで大きな違いがあるわけで、“自分もいつか必ず”には自分の意志がまるで表われていないのに対して、“自分は”には自分の意志が明確に表われています。

理屈っぽい言い方をしますが、言葉の限界をよく理解して頂いて、行間の真意を読み取れる方なら、わたくしの言っている意味が即座に理解できるはずです。

敢えて言葉で説明するなら、“・・もいつか必ず”という表現は論理的に矛盾しているのです。

“いつか”という表現は、時期が定まっていないという意味であって、時期が定まっていれば、“いつか”という表現はしません。

“必ず”という表現は、決定しているという意味であって、当然、時期が定まっています。

“・・もいつか必ず”とは、“明確には定まっていないが、確実に定まっている”という支離滅裂な表現であって、そんなことは、すべての物事が明確な宇宙では通用しません。

宇宙全体、地球、自然社会は、実に明確な世界であることを、理解しておいてください。

複雑怪奇にしているのは、人間社会だけです。

だから、“自分もいつか必ず死ぬ”という支離滅裂な考え方に振り回されるのです。

宇宙全体、地球、自然社会というすべての物事が明確な世界では、“自分は必ず死ぬ”しかないのです。

では、何故、人間社会だけが“自分もいつか必ず死ぬ”という支離滅裂な考え方に振り回されるのでしょうか。

“死”の存在を知ったからです。

自然社会では、“死”の問題はありません。

自然社会では、“食う・食われる”問題だけです。

地球や宇宙レベルでは、“死”の問題はありません。

地球や宇宙レベルでは、相転移現象の問題だけです。

人間社会だけが、“死”という問題を無理やりつくったのです。

その上に、“自分もいつか必ず死ぬ”という支離滅裂な考え方を信じ込むという大変な錯覚を起こしてしまったのです。

すべての物事が明確な世界では、“自分は必ず死ぬ”しかないのです。

すべての物事が明確な世界では、“自分の死は自分で決めるのだ!”しかないのです。

 

 

 

第3章 信じる=信じない

“自分もいつか必ず死ぬ”という考え方は、両方の考え方に保険を掛けているという姑息なやり口です。

相反する二つのもの両方に保険を掛けておくという手法は、宗教の十八番のやり方です。

古来、日本の仏教には、自力本願を教義とする禅宗系、他力本願を教義とする浄土宗系に大概の日本人は収まっていますが、自力本願でも他力を頼り、他力本願でも自力に頼っているのが実態です。

人が神社仏閣に手を合わせて、無病息災、家内安全、災厄忌避、受験合格などを祈願する動機は、神社仏閣を全面的に信じているからではありません。

近代医学を当てにする一方、他方で神社仏閣にも保険を掛けているのです。

自らの力で家内安全を図る一方、他方で神社仏閣にも保険を掛けているのです。

魔がさすなんてまさかと思う一方、他方で神社仏閣にも保険を掛けているのです。

受験勉強を一所懸命がんばる一方、他方で神社仏閣にも保険を掛けているのです。

両方のやり方に保険を掛けるということは、両方とも信じていないことの顕れです。

両方のやり方に疑いを掛けながらも信じようとしているだけで、本音は、両方とも信じていないのです。

自分自身の心の中で、疑う心と信じたい心とに分裂しているだけで、実は両方とも信じていない心なのです。

“・・もいつか必ず”という考え方は、何事も信じない心が更に分裂した結果生じる想いなのです。

この分裂した考え方こそが、“古い考え方”の根幹を成しているものなのです。

ここで忘れてはならないことは、何事も信じないことは、何事も信じていることと同じであることです。

問題は分裂していることにあります。

“・・もいつか必ず”という考え方は、まさに、分裂した心の顕れなのです。

何事も信じないか。

何事も信じるか。

どちらか一つに絞ることが、“新しい考え方”の基本です。

 

 

 

第4章 “ふたつの考え方”と“ひとつの考え方”

何事も信じるなら、分裂した心は生じません。

何事も信じないなら、これもまた分裂した心は生じません。

信じること=信じないことの証明です。

ところが、人は自分の心の中に信じることと信じないこととが混在しているのが当たり前だと思い込んでいます。

たとえば、誰でも“この人は信用できるが、あの人は信用できない”という気持ちを持っています。

たとえば、誰でも“この人は好きだが、あの人は嫌いだ”という気持ちを持っています。

ここで理解しなければならない極めて重要なことがあります。

“この人は信用できるが、あの人は信用できない”という気持ちを持っている人は、実のところは、誰も信用していないのです。

前提条件の下で時には信用するが、前提条件が崩れたら信用しなくなるのです。

しかも、前提条件は自分ではどうすることもできない自然現象のようなものですから、結局のところは、条件付きの信用は、信用していないのと同じことなのです。

信じるということは無条件で信じることなのです。

信じないということも無条件で信じないことなのです。

信じる=信じないことの証明です。

そうしますと、問題は何処にあるかが、だんだん見えてきます。

信じるか、信じないかが問題ではなくて、条件付きか無条件かが問題であることがわかってきます。

条件付きの心は分裂していますから、“この人は信用できるが、あの人は信用できない”という気持ちになります。

条件付きの心は分裂していますから、“この人は好きだが、あの人は嫌いだ”という気持ちになります。

無条件の心は分裂していませんから、“誰でも信用できる”若しくは“誰でも信用できない”かのどちらか一方です。

無条件の心は分裂していませんから、“誰でも好きだ”若しくは“誰でも好きでない”かのどちらか一方です。

条件付きの心は相対的であるのに対して、無条件の心は絶対的であるわけです。

相対的(条件付き)なものは何事も映像(幻想)であって実在しません。

絶対的(無条件)なものだけが実在するのです。

どちらかひとつに絞ることが鍵であるわけです。

今までの“古い考え方”では、ふたつの考え方両方に保険を掛けることが好いことだというわけです。

これからの“新しい考え方”では、どちらかひとつに絞ることが大切になってきます。

 

 

目 次

第5章 “明快(シンプル)な世界”と“複雑(怪奇)な世界”

第6章 ガラクタ人間

第7章 高齢化社会における考え方

第8章 人間の本質に迫る劣等感

第9章 地上で最も弱き生きもの

第10章 ジャングルに囲まれた人間社会

第11章 地球から観察されている人間社会

第12章 地球から監視されだした人間社会

第13章 自然社会のならず者=人類

第14章 人間社会は刑務所

第15章 “多過ぎても少な過ぎてもよくない”

第16章 拝金主義と超拝金主義

第17章 お金の本質

第18章 人類最大の過失

第19章 “時は金なり(Time is money)”は幻想

第20章 追いかけるのは実在するもの

 

第21章 自分以外のものはすべて映像

第22章 “自分以外のものはすべて映像”である証明

第23章 現実の世界=映画

第24章“自分”とは

第25章 “わたし”と“私”

第26章 “静止”と“運動”

第27章“相対性理論”とは錯覚理論

第28章 二重の錯覚の原因

第29章 “自分”と“自分以外のもの”

第30章 真理とは“無常(変化)” か “不変” か

第31章 真理とは

第32章 事実・真実・真理

第33章 冗談にも程がない宗教

第34章 死は常に傍にいる

第35章 常識を全否定する

第36章 自分を否定する

第37章 錯覚の張本人=“自分は・・・”

第38章 「時間」・「空間」・「時空間」

第39章 過去・現在・未来は「空間=記憶」

第40章 “逆さま”&“正さま”

 

第41章 過去・現在・未来は幻想

第42章 過去・現在・未来の概念

第43章 過去・現在・未来は両側通行

第44章 過去・現在・未来は両側通行である証明

第45章 過去・現在・未来に対する“新しい考え方”

第46章 過去・現在・未来を制御する者

第47章 地球だけの「時間」

第48章 知性はどうして生まれたか

第49章 地球との戦争がはじまった

第50章 地球からのメッセージ

第51章 地球からの宣戦布告

第52章 あなたは旅人?

第53章 今こそ“新しい考え方”で・・・

第54章 死の理解

第55章 「死」は“厄”ではなく“役”である

第56章 「死」が厄介だと「生」も厄介になる

第57章 生きることの厄介さ

第58章 「生」と「死」

第59章 死んだ人と会話できるか?

第60章 現代人は総音痴

 

第61章 自覚する人生

第62章 音痴の正体

第63章 幸福・不幸の正体(1)

第64章 幸福・不幸の正体(2)

第65章 人生の鍵

第66章 男性社会と女性社会

第67章 “幸福論”と“新・幸福論”

第68章 逆さま生きもの人間

第69章 不幸の条件

第70章 人間社会の価値基準は逆さま

第71章 神の正体

第72章 常識を覆す時がやって来た

第73章 自然社会と人間社会が逆さまである証明

第74章 純粋な感情と汚れた感情

第75章 歪められた精神

第76章 人間の精神

第77章 人間=地球

第78章 侵略は宇宙規模の罪

第79章 科学者に疑問の目を!

第80章 宗教と科学

 

第81章 見るもの(自分)と見られるもの(他者)

第82章 何も知らない科学者

第83章 宇宙開発は侵略行為

第84章 宗教と科学の欺瞞性

第85章 錯覚の現代社会

第86章 微妙な違い

第87章 科学は客観性の追求では決してない

第88章 「主観の世界」と「客観の世界」

第89章 誰が?ではなく何が?

第90章 「実在の世界」と「映像の世界」

第91章 阿呆は誰か?

第92章 何も知らない宗教・科学

第93章 性悪説は必要悪

第94章 必要悪の必要性

第95章 性善説と性悪説は同じ

第96章 世界は“新しい考え方”を待っている

第97章 “古い考え方”が元凶

第98章 “自分は何をしているのかわかっていない”

第99章 悪意の人間社会

第100章 悪意の根

 

第101章 好いとこ取りの罪

第102章 二元論の宿命

第103章 みんなで渡るから怖い

第104章 逆さま社会

第105章 逆さまから正さまへ

第106章 逆さまに気づく

第107章 社会、政治、経済のない社会

第108章 蓄積の概念が元凶(1)

第109章 蓄積の概念が元凶(2)

第110章 人間の原罪

第111章 差別意識の誕生

第112章 時間を意識する生き方

第113章 貧乏とお金持ちの違い

第114章 サラ金はまもなく消える

第115章 勘違いの連鎖反応

第116章 勘違いの連鎖反応の原因

第117章 人口増加がもたらすもの

第118章 一番性質(たち)の悪い者

第119章 意識した悪人と無意識の悪人

第120章 二層構造の社会

 

第121章 性悪説と性善説の罠

第122章 世襲・相続の悪慣習こそ元凶

第123章 差別・不条理・戦争の根元

第124章 善悪の判断

第125章 善悪の判断の罪

第126章 現在と『今』

第127章 実在と映像

第128章 自分と他者

第129章 『絶対性の法則』&『相対性理論』

第130章 “わたし”と“あなた”

第131章 “わたし”の世界と“あなた”の世界

第132章 混在する世界

第133章 二つの世界

第134章 夢の世界

第135章 夢といわゆる現実の違い

第136章 夢の人間と現実の鳥

第137章 人間と鳥の勘違い

第138章 人間(鳥)の勘違い

第139章 名前のない鳥

第140章 『区分けの社会』&『区分けのない社会』

 

第141章 差別・不条理・戦争の本質

第142章 分裂状態

第143章 問題は分裂状態

第144章 人間社会だけにある問題

第145章 オス社会とメス社会

第146章 「実在の世界」&「映像の世界」

第147章 人間社会と自然社会

第148章 “静止の暗闇と沈黙の世界”&“運動の光と音の世界”

第149章 生と死の問題

第150章 “静寂の世界”&“喧騒の世界”

第151章 “逆さまの考え方”&“正さまの考え方”

第152章 “喧騒の世界”=人間社会

第153章 ギャーギャー騒がしい人間社会

第154章 地球が変われば月も変わる

第155章 特異双子星=生命体星=地球&月

第156章 地球も生命体

第157章 月は地球の死の鏡

第158章 始めと終わり

第159章 オクターブの法則

第160章 無から有へ

 

第161章 一年=一日

第162章 意識して観察する

第163章 無意識に生きている証拠

第164章 人間の価値

第165章 地球人

第166章 この世的成功

第167章 この世的成功者はみんな自覚症状のない音痴

第168章 好いとこ取りの相対一元論

第169章 言葉が元凶

第170章 “はじめに言葉ありき”

第171章 “生きる”世界は映像の世界

第172章 二元論の落とし穴

第173章 67億総懺悔

第174章 67億総懺悔の根拠

第175章 個人と組織

第176章 重大な事実

第177章 差別・不条理・戦争の本当の原因

第178章 悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の本当の原因

第179章 人間の表と裏

第180章 分裂生きものによる分裂社会

 

第181章 自分に嘘をつくとは

第182章 信念と真実の虚偽性

第183章 分裂生きものの行く着く先

第184章 線往復運動する人間社会

第185章 本音と建前の生き方

第186章 嘘の正体

第187章 事実・真実・真理

第188章 真実(Reality)の正体

第189章 三種類の人間

第190章 四種類の人間

第191章 似非正常と似非音痴

第192章 イエス・キリストとキリスト教

第193章 宗教の真の狙い

第194章 二番目の錯覚

第190章「四種類の人間」で述べました。

第195章 二番目の錯覚=偽善性

第196章 人生の選択

第197章 自然社会が選択したもの

第198章 人間社会が選択したものは不可能なこと

第199章 どぶねずみの暴走

第200章 最後の審判

 

 

おわりに

現代人間社会は二重の錯覚によって、思惟する能力を完全に失ってしまったようです。

原因は宗教と科学にあります。

特に、先進国と言われる国では科学万能信仰が蔓延して、利便性ばかりを追求してきた結果、人間の潜在能力をますます減退させ、大半が思惟能力のないロボット化人間に成り下がってしまったのです。

しかも、そのことに本人たちがまるで気づいていないのです。

一方、未だに宗教を絶対視した国も多い。

キリスト教信者が24億人。

イスラム教信者が14億人。

仏教信者が8億人。

彼らも、大半が思惟能力のないロボット化人間に成り下がってしまったのです。

まさに、二重の錯覚が為せる業なのです。

新田哲学で言うところの、

事実のカテゴリー化と真実のカテゴリー化の違いが、人類の第一番目と第二番目の錯覚を生み出したのです。

その結果、我々人間社会だけが、

「オス社会」を頂点にして、「宗教と科学」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングル(三角形)構造の社会になってしまったのです。

その結果、我々人間社会だけが、

差別・不条理・戦争を繰り返す社会になってしまったのです。

その結果、我々人間社会だけが、

悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる社会になってしまったのです。

一刻も早く、この二重の錯覚から目を覚まさなければなりません。

その為には、

一刻も早く、“宇宙のしくみにそった新しい考え方”に変わらなければなりません。

 

                新 田 論

 

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