新 田  論 作 品 の E-book 版 紹 介

文明の進化へ

神の自叙伝

はじめに

 ニーチェは「神は死んだ」と言って発狂しました。なぜ彼はそう思ったのでしょうか。

神という存在自体が矛盾そのものだと思ったのではないかと私は思うのです。

人は生きることで悩み、苦しみ、そして生あるものには必ず死がやってくるという絶対なる事実に怯える。

逆に、幸せとか、喜びとかに絶対性があるのかと言えば、それは残念ながらノーと言わざるを得ません。

怯える死は絶対性がある。それなら生きることは果たして幸せなのか。

人生を楽しみなさい。とよく言われますが死という絶対的なものに怯える限り、人生を楽しむなんて不可能なことではないでしょうか。

それなのに、人類の歴史で人は変われど、処は変われど、時代は変われど、必ず登場するのが神の概念であります。

未だに人類の初期の生き方をしているアフリカやアマゾンの奥地にいる人たちにも神の概念はあります。

文明の先端をきっている欧米諸国や日本でも神の概念は厳然とあります。

それでは、神の概念は一体どういうところから生まれて来たのでしょうか。

それは、現象は様々であっても、人間が生きていく上で形而下的問題であっても、形而上的問題であっても、要するに苦痛、悩み、苦しみから解放されたいがために神の概念を創ったのではないでしょうか。

神なら救ってくれる。と思ったからでしょう。それなのに神の概念が生まれた太古の時代から未だに問題は解決されていない。

何かが間違っていると思わないのでしょうか。こんなにずっと神を信じ、神に頼ってきた人類なのに、そのために何千、何万、何十万の宗教が生まれてきたのに未だに人間の苦悩はなくなっていない。かえって増えている。それなのに神にたいする概念は変わらない。

わたしは、神の概念を見直すべき、ときが今こそ来たと思うのです。

神の存在の有無を問うのではない。無神論を提唱しているのではない。

神の在り方を考え直すべきだと言っているのです。

今までの神の在り方を定義してきたのは、我々人間であったのですから、我々がその定義を変えることは出来るはずです。

中には、「とんでもないことを言う奴だ、神は人間ではない、遥かに大きい万能の存在であるのに、その神の概念を変えろとは。自分は神の啓示を受けたから、大いなる神の存在を知っている」とおっしゃる方たちがいるでしょう。宗教団体の教祖様たちはみんな口を揃えてそう言われるでしょう。

そういう方々に、敢えて訊ねたい。

ならば、あなたの信者の方々はみんな苦痛、悩み、苦しみはまったくないのですか。苦痛、悩み、苦しみがあるから、あなたのところへ来たのではないのですか。

それに対して、あなたは全部解消してあげることが出来たのですか。

何故、教団の中でもめごと、不満が絶えないのですか。何故、教祖様の後継者問題で争いが起きるのですか。一体あなた方の神は何をしているのですか。

この本質を、神を信じるあらゆる宗教団体の信者の方々によく考えて頂きたい。

わたしはこう思います。「神は決して万能ではない。神にも悩み、迷いがある。だけど神はわたしたち人間を含めて森羅万象すべてのものの為に一生懸命考えていてくださる有り難い存在である」

だから、神を困らせてはいけない。ときには我々人間が神を助けてあげなければならない。

どうやら、神というのはときには悪魔にもなる、地獄に我々を落とす冷酷非情なものである面を持っているものだと思えてなりません。

そうなると、今までの宗教の概念を根底から覆さなければなりません。

神はひょっとして、あなたにとっては非常に都合の悪い存在になるかもしれません。

そのとき、はじめて根本はあなた自身にあるということが解ってくるのではないでしょうか。

それが、悟りというものかもしれません。悟りとは何かを達成するのではなく、簡単な本質をただ知ることだとなると、誰でもすぐ悟ることが出来る。神の概念がその邪魔をしてきたのではないかと思うのです。

したがって、神の立場になって、神の本音を語ってみたいと思いました。

ただ誤解されては困るのですが、こういうわたしも、こういった考えに至ったのはほんの最近のことで、宇宙の中に存在する最も微少な粒子であるニュートリノに質量があるということが解明され、今まで宇宙はビッグバン以後膨張し続けてきたという説が絶対ではなくなりそうで、収縮もあり得ることが解ってきたという事実からです。

そうすると、上がり下がり、喜び哀しみ、幸・不幸、健康病気、……といった現象と符合する。

神の概念とは符合しなかったことが、やっと符合できたと思ったとき、神は「やっと、自分のことを解ってくれた、よかった」と言っておられるような気持ちになりました。

だから、僭越だとは思いましたが、表現してみようと思ったのであって、決してわたしが悟ったなんて思ったからではありません。

2000(平成12)年10月21日  新 田 論

 

 

 

 

神の自叙伝 反省編

わたしは 50億年前に 地球とともに 神として 生まれた

その前 溯ること100億年前に

宇宙とともに 生まれたものがあったらしいが

わたしは そのことは 何も知らない

わたしは この地球上に すべての 物の支配者として 生まれた

最初の物は 水だった

そして 水が 無い物ねだりをしたので

つい 神心が出て 水の遊び相手を創った

それが 土だった これが わたしの最初の間違いだった

土は 水に弄ばれ とうとう 逃げてしまった

そして 水と 一線を画した

それが 陸の誕生だった

そして 水は対抗して 海を創った

これが ボタンの かけ間違いの はじまりだった

この海と陸が わたしの中にも生まれた

そして わたしの中に 自由という悪魔が 生まれたようだ

それ以来 わたしは 悪魔と同居している

わたしが 何かしようとすると 悪魔が言う

自分にも 何かさせて欲しいと

わたしは また 神心を出して それを許す

そして とうとう 悪魔に とんでもない物を 創らした

それが 人間という 生き物だ

わたしは しまった! と思ったが 手遅れだった

だが 悪魔の創った人間は まだ悪魔の心の中だけにいた

わたしは なんとかしなければ! と思って必死に考えた

そして 海の中に 最初の 実体のある 生き物を 創った

だが 陸も それを 欲しがった

つい また神心が出て 陸にも生き物を与えた

それが また わたしの間違いだった

陸の生き物の中に 悪魔が入りこんだ

悪魔の狙いは 実体のある人間を創りだすことだった

陸の生き物の中に 想像だけだった人間が入りこんだ

あとは 悪魔の思う壷だった

悪魔が生んだ人間が やりたい放題

わたしは 後悔して 反省しても 間違いの繰り返し

それ以来 わたしは 何とかしなければ! の繰り返しだ

いつに なったら 悪魔と袂を分かつ時が来るのだろう

多分 わたしが 死なない限り 悪魔は 離れないだろう

だけど わたしは 死ぬ勇気が出せない

そして つい 悪魔に迎合する

人間は 悪魔を神と信じている

わたしは 思う

何とかしなければ!

それが わたしの 終わりのない一生だ

 

 

 

第一章 わたしの幼少時代

 

わたしが生まれたのは わたしの曽祖父の宇宙が生まれた100億年後のことです。

父は太陽と言って、父の太陽が生まれてから20億年後に兄の水星、金星に続いて地球という名で生まれました。

だからと言ってわたしの名が地球というのではありません。誤解しないで下さい。

わたしは 太陽や地球といった形のあるものではなくて、そういった形のあるもの、すなわち肉体といってもいいでしょうが、その肉体の中で住んでいる「想い」といったものなのです。

肉体は想いによって動かされています。飛行機と飛行機のパイロットとの関係みたいなものです。

わたしがパイロットで、地球が飛行機ということになるでしょう。

だから、わたしが地球を操縦するようになった訳ですが、何故か知りませんがそのときから わたしのことを神とみんなが呼ぶようになりました。

曽祖父の宇宙を操縦する「想い」は「意識(以後 イシキ と呼ぶ)」という名前で、祖父の星雲を操縦する「想い」の名前は「銀河(以後ギンガと呼ぶ)」、父の太陽を操縦する「想い」の名前は「光(以後 ヒカリ と呼ぶ)」という名前だったようです。長男・水星の「想い」の名前は「水(以後 ミズ と呼ぶ)」、次男・金星の「想い」の名前は「空(以後 クウと呼ぶ)」という名前だったようです。

何故 地球の「想い」であるわたしの名前が「神(以後 カミと呼ぶ)」になったか知りません。

長男のミスは常に父のヒカリと一緒のときが多く、わたしは次男のクウといつも遊んでいました。クウはわたしの性格とまったく逆の性格を持っておりましたが、父のヒカリが「お前たちは、いつも一緒にいなさい。性格が完全に反対だから、お互いに助け合うことが大切だ」と言っていたからです。父の命令は絶対でしたので服従していましたが、実はわたしとクウはいつも喧嘩しては、まったく口もきかないことの方が多かったのです。

クウとわたしは2億歳の違いで、わたしが凸とするなら、クウが凹といった感じで喧嘩しては、仲直りし、仲直りしてはまた喧嘩するといった具合で幼少時代を過ごしました。

わたしの体である地球は酸素ガスという生地で出来た大気という服を着ていましたが、クウは炭酸ガスという生地で出来た大気という服を着ていました。

父のヒカリや長男のミスは大気という服は着ずにガスという生地そのものを覆っていただけでした。

あるとき、父のヒカリに

「どうして、お父さんや、ミス兄さんは ガスという生地を纏っているだけで、わたしやクウみたいに、生地を縫った服を着ないのですか」と訊ねると

「お前とクウとは、30億年後に一緒に住むことになるだろう、そしたらいつも一緒だから、何もかも丸見えだとお互いに飽きてしまうといけないから、少し隠してお互い解らないところがあった方がいいと思ったからだ」と答えてくれたので、わたしもクウも、充分理解出来なかったが父の言うことは絶対だと信じていたので納得していました。

父が怒ったら自分たち子供は生きていけないことをみんな知っていました。実はミス、クウ、そしてわたし以外に父は1700以上の子供を持っていましたが、父に逆らったために、追い出されて 今はどこにいるのか 迷い星になっているのです。中には追い出されて、せいせいとした気分だと言って、自由気ままに遊んでいる星もたくさんいますが、わたしもクウも父には絶対服従しています。

父に対するこういった思いが、反動となったのか、わたしが操縦する地球という肉体にはわたしは絶対服従を命じてしまったのです。地球は常にわたしにピリピリしながら気を遣っていて、わたしの言うことには絶対に逆らうことはしませんでした。

今から考えてみますと、それが良くなかったのかもしれません。

絶対服従は別の見方をすると、完全依存ということにもなります。その完全依存が地球を甘やかす結果となってしまって、わたしは後悔をし、しばらくは寛容な態度で地球に接するようになったのは もうそれからだいぶん経ってからのことでした。

だけど、幼少時代のわたしはいつもクウと無邪気に遊ぶことが続く楽しいものでしたから、地球に対する寛大な想いもそれほど忍耐の要るものではありませんでした。

クウもわたしと一緒に遊ぶことが楽しかったと思います。

しかし、楽しいことはそう長く続くわけがありません。

それが、わたしが青年になったということだったのでしょうか、神として地球を操縦する術も知識も増えてきたとき、自分の中に大きな変化が起きていたのです。

神であるわたしは、如何にあるべきか、どう行動するべきか、どう地球を操縦するべきか、といつも考える時が多くなりました。

それが、わたしの一生において大きな事態になるとは、そのときは気づきませんでした。

わたしの幼少時代は 初恋の人を見て ただ歓喜し、かける言葉もなく、呆然とした、迷える少年であったと思います。

だけど、わたしの肩には地球という大きな荷物がのしかかっているのです。

しかも、その地球はどんどん密度が濃くなって重くなっている。

わたしは もっとしっかりしなければならないし、もっと鍛えてどんどん重くなるこの地球を支えなければならない運命を背負わされていると思うと目の前が真っ暗になる気持ちでした。

  

 

第二章 宵の明星・明けの明星 クウとカミ

 

わたしとクウとは喧嘩をするとまったく口もきかないのですが、父のヒカリが西に沈むとき、その右の傍でわたしに向かって「バイバイ」と言っているように燦然と輝くのです。

わたしは、そのときのクウを宵の明星と名づけました。

また父のヒカリが東からその姿を現すとき、その左の傍で「ハーイ」と言っているようにまた燦然と輝くのです。

わたしは、そのときのクウを明けの明星と名づけました。

あるとき、クウに「どうして、いつも父が沈むとき、現れるとき、傍にいるんだ?」と尋ねました。

クウもわたしと同じ気持ちだったのです。

「お父さんは、いつも兄のミスと一緒で自分やカミと遊んでくれないので、せめてお父さんが眠る前と、起きたときぐらいは傍にいたいと言って、許してもらったんだ」とクウはわたしに言いました。

わたしは「いいなあー」と言うとクウは「何を言ってるんだ、カミだってそうしているじゃないか、お父さんの傍で」と言われて「ああ、そうなんだ」と気がついたのです。

それほどにわたしやクウにとって父は絶対的な存在でした。

あるとき、クウがわたしに質問を投げてきました。

「自分はよく思うんだが、お父さんが西の空に沈むとき、いつも悲しげな表情をして沈んでいくとは思わないか。そしてその表情を見ているうちに自分も悲しい気持ちになり、今まで明るく輝いていた自分が突然、暗闇とともに消えていく。お父さんの傍で輝いているカミが暗闇とともに、忽然と消えていくのを見て、自分もそうだと思って恐くなったよ」

わたしも実は同じ気持ちを持っていたとクウに答えました。

「それじゃ、お父さんに聞いてみよう」ということになってお父さんの傍に行けるときを待っていました。

お父さんは、昼間はミスを連れて仕事に忙しいらしく、宵方にならないと会うことが出来ません。

あるとき、お父さんの傍に行ったときクウと話したことを言ってみました。

すると、お父さんはニコッと微笑って、だけど神妙な表情で教えてくれました。

「カミよ、わたしたち一家はあと50億年後にこの宇宙から消えていく運命にある。それは、お父さんがブラックホールという星になるときだ、ブラックホールになるということは死ぬということだ。お父さんが死んでブラックホールになると、お前たち息子たちも一緒にブラックホールに吸い込まれて死んでいく」

わたしは、驚いて震えていると

「だけど、みんなで新しい宇宙に旅立つことでもあるんだから、そんなに恐がることはない。ブラックホールになったわたしたち一家は長いトンネルを通って新しい宇宙に飛び出るんだ。そこでお父さんはホワイトホールになって生まれ替わるんだ」

わたしは、不安に思って聞いてみた。

「じゃあ、ぼくたち子供はどうなるの?」

「いいかい、よく聞くんだよ。新しい宇宙に行ってホワイトホールになると、お父さんは、お母さんになる。そしてお母さんになったホワイトホールは娘たちを産む。お前たちも娘になって生まれかわるんだ」

父の話しはよく理解出来なかった。

「これが、わたしのおじいさんであるイシキが創った世界なんだ。ブラックホールとホワイトホールの間を結ぶパイプがあって祖父のイシキはいつも往復していて向こうにはおばあさんやお母さんが住んでいる、娘たちも住んでいる。わたしの姉や妹たちだ」

「じゃあ、僕たちのお姉さんや妹もいるの?」と聞くと「いや、それはいない。お父さんはまだ向こうの世界に行ったことがないから。向こうの世界に行くにはブラックホールにならないと行けない」

わたしは、ますます解らなくなってしまった。

父はそのあと、まだ50億年後のことだから、わたしの仕事を地球上でしっかりやるようにと言いました。

だけど、まだわたしははっきりと自分の仕事のことを分かっていませんでした。

そのとき父は、わたしの仕事は大事な仕事であること、だけど困難で大変な苦労をするだろうと言って、励ましてくれていました。

「そんなに、地球を操縦する仕事は大変なことなんだろうか」とわたしは思ったのです。

  

 

第三章 やっかいな相手・地球人

 

父のヒカリが言っていた、わたしの仕事が大事だが困難だということが分かる事件が起きました。

それまで地球はクウの操縦する金星と同じようにわたしの操縦する命令通りに動いていたが、ここ最近操縦操作をしても命令を無視する動きが多くなってきたのです。

クウに相談すると、金星は操作通りに動いていると言う。

どうして地球だけが操作通りに動かないのだろう。

わたしはクウのアドバイスもあって、地球上に調査員を派遣して調べさせてみることにしました。そして調査の結果驚くべき事実が判明したのです。

わたしのミスだった。

絶対服従を緩めて少し寛大な扱いをしたのが仇になったのです。

酸素の多い地球だからと思って地球の願いで水を創ってやり、また土を創ってやり、それが海と陸とになり、海の中に生物も創ってやったこと、そして陸にも生物を創ってやったことは承知していましたが、陸に住む生物に、とてつもないモンスターが生まれていたことに気づかなかったのです。

人類という種類の動物で、まさにモンスターでした。このモンスターが、言うことをまったく聞かないで勝手放題しているらしい。その結果、他の生物に多くの犠牲が出ているという報告でした。

わたしは父に相談して指示を仰いだのですが、父は何も教えてくれずに自分で処理するようにと言うだけで、ただ一言、この人類という怪物はなかなかずる賢い生物で、わたしの弱点である情の深さを見抜いて、わたしを出し抜いて父であるヒカリに一生懸命、追従をしにきていることを教えてくれました。わたしの怠慢だとも言って父から叱られ、このままだと地球という星はわたしたち一家が50億年後に新しい宇宙でホワイトホールになる前に父から追放された迷星や遊星と同じようになってしまうかもしれないとわたしは悩みました。

そして自分自身で処置をしに地球上に行くしかないと決断したのです。

最初に困ったのは言葉でした。わたしの想いを地球に伝えるにはどういう方法がいいかと随分考え、そして宇宙を遍在している波の中から音に変えることができる波を選び、音で伝えようとしました。地球上にあるすべての物質が受信できる音を発信することでわたしの想いを伝えようとしたのですが、その方法は正しかったと思います。

みんなわたしの音によるメッセージを受信してくれて、指示通りに動いてくれました。

人類も最初は聞いてくれていたのですが、父のヒカリが言っていたように、この人類は非常に賢く、狡猾な生き物で、わたしのあみ出した音によるメッセージの言葉を自分達流に作り変えてしまったのです。自分達の都合で時にはわたしの波長に合わせ、都合が悪くなると波長を変え、わたしからの指示を黙殺することを考え出したのです。

父が言った通り、やっかいな仕事になってきたようです。

わたしも、こうなったら引き下がるわけにはいきません。

このやっかいな地球人と徹底的に対峙するしかないと決断したのです。

この戦いが、その後わたしが考えていた以上に長引くとは思っていませんでした。

ここでも、またわたしの甘さが露呈してしまったのですが、わたしは地球の支配者です。

面子にかけても、人類に負けるわけにはいきません。

ここでも、あとから考えるとわたしの若さが出てしまいました。

人類を甘く見過ぎたのです。

わたしは、他の物質、生き物が従順であるのに、人類の犠牲になっていることに気を取られて彼等の為に地球のカオス状態をまず正常化しようと思ったのです。

人類に対する処方はそのあとでやればいいと思ったのがまたまた仇になってしまいました。

すでに、人類が地球上の物質・生物を支配下に置いていたことに気づかず、わたしが彼等を何とかしてやろうと、いろいろ話し合いをしたその背後に人類がいて睨みを利かしているとは露とも気づかず、結果的には彼等の中でわたしを信頼して事実を話してくれたものたちが、またまた人類の報復を受け犠牲になってしまったのです。

「もう許す訳にはいかない」と決断し、人類を消滅する手段に出たのです。

そのとき、父のヒカリも見かねて応援をしてくれることを約束してくれました。

あとは、如何にこの人類という怪物をお仕置きするか、父はわたしに一任してくれました。

わたしも、今回のことで少しは大人になっていたので、そうやすやすと人類の好き放題はさせないという覚悟で臨みました。

 

第四章 地球への旅立ち

第五章 地球のへそ

第六章 地球上での神

第七章 混乱の世界

第八章 「想い」のレベル

第九章 悪と善

第十章 タイムスリップ

第十一章 現代へタイムスリップ

第十二章 テンシの恐ろしさ

第十三章 理解できる人間

第十四章 神は あっちこっち

第十五章 最初のお仕置き

第十六章 人間の種類

第十七章 痛快な独裁者

第十八章 宇宙の法則

第十九章 人種と民族

第二十章 海と陸の対立

第二十一章 凡人の恐ろしさ

第二十二章 魔がさす時代

第二十三章 遠くの泣き声

第二十四章 泣き声の実体

第二十五章 良心と道徳

第二十六章 奴隷の城・エルミナ

第二十七章 非道の原因

第二十八章 宇宙観と宗教観

第二十九章 親子喧嘩

第三十章 神の功罪

第三十一章 原罪

第三十二章 懲りない人間

第三十三章 大人の美しさ

第三十四章 無数の星

第三十五章 欲望の渦

第三十六章 テンシ降臨

第三十七章 現代犯罪のルーツ

第三十八章 テンシの罠

第三十九章 地球人類と月人間

第四十章 殺戮のクライマックス

第四十一章 殺戮のクライマックス(1)

第四十二章 殺戮のクライマックス(2)

第四十三章 殺戮のクライマックス(3)

第四十四章 殺戮のクライマックス(4)

第四十五章 殺戮のクライマックス(5)

第四十六章 悪の根本原因

第四十七章 テンシを探して

第四十八章 テンシのはなし

 

第四十九章 人間の良し悪し

 

テンシの山での経験は、わたしの人間観をも変えました。

一緒に山を下りようとテンシに言ったのですが、テンシはもう少しこのままでいたいと言うので、それを受け入れて、イクサと一緒に山を下りました。

途中、イクサもテンシの話には何か感じるものがあったらしく、我々「想い」が肉体という星をコントロールすることが絶対正しいことだと思っていたが、肉体の中に「想い」を閉じ込められていることにも良さがあることを知ったことなのです。

わたしもそう思いました。

地球の支配者で神と呼ばれても人間に対して無力感を感じていたのも、神には持っていない人間だけの悦びもあるというのが原因で人間を羨ましいと思っていた。それが、人間に対して劣等感として感じていたことを知ったのです。

支配者が被支配者を羨ましく思って、劣等感を持つ。おかしな話ですが事実は事実なのです。

テンシも言っていましたが、人間にはどうやらプラスの面とマイナスの面が必ずどんなことにもあるのが法則らしい。その法則が48個の法則の一つかどうかは分かりませんが、つまり難しい言い方をすれば2元論の世界のようです。

だから、一面的な判断を人間に対してはしてはいけないということなのです。

このルールに関してはわたしもイクサもテンシも完全に意見が一致しました。

今まで見てきた人間の非道はそのマイナスの面が現れたのであって、それだけですべて悪いと決めつけられないのが人間だと言うことが結論でした。

伊勢に帰ってから父のヒカリに相談したら、ヒカリもその通りだと言ってくれ、人間という有機生命体は非常に複雑な生命体で、小宇宙と言われているように、我々にとって未知の世界の全宇宙、いやまだその向こうの絶対宇宙にも通ずる法則が人間の心という「想い」を包みこんだ肉体には働いているようだ。自分には分からないが。と父のヒカリは最後に助言をくれました。

そう言えば、父のヒカリが教えてくれた絶対宇宙の「一定量」という唯一の法則が「ポジティブな意識」「ネガティブな意識」「ニュートラルな意識」の三つに全宇宙で分化された後はすべてプラスとマイナスの分化の連続であることを思い出しました。

まさに、人間はそれを顕現しているのです。

非道な人間はマイナスの人間であって、プラスの人間もいるという観点で人間の罪に対する対処をしていかなければならないことを知りました。

 

 

第五十章 反省の総括

 

地球上の人間がおりなすいろいろな問題点に気づいて地球に降り立ってから500年の歳月が経ちました。

テンシとの冷えた関係も、やはり親子です。わたしも妥協した点は多々ありましたが、彼も本人の性格から考えたら大幅な譲歩をしてくれたと思います。

たしかに、テンシの言う通り人間という生命体の複雑さを考えると最終的には月で生きる無機生命体かも知れません。いや多分そうでしょう。

しかし、今の地球にとって人間はやはり欠くことの出来ない生命体であることも事実だし、テンシもそれは認めました。

いい意味での人間という地球上の有機生命体が進化して、太陽系恒星群が星雲に成長し、惑星が恒星に成長し、衛星が惑星に成長していく中で、月がわたしの肉体である地球が太陽のように惑星群を持つ恒星になったとき月が現在の地球の立場である惑星になって、一歩進んだ無機生命体として惑星としての月の中心生命体になってくれるのがわたしのみならず父であるヒカリも兄弟のミス、クウ、イクサそして父のヒカリと一緒に他の太陽系恒星と共同作業で新しい星雲を創造する使命を持った木星、土星、天王星、海王星、瞑王星たちも願ってくれていることだと思います。

ただそこまでに到達する道のりは長いし、いろいろな困難にも遭遇するでしょうが、通り過ぎて行かなくてはならない、避けて通っては行けない道だと思います。

テンシは月が惑星に成長していくための準備に集中し、人間の受け入れ準備もしておくと言っておりますので、これからはわたし一人で地球の面倒を見て行かなくてはなりません。地球を支配している身ですから当たり前と言えばそれまでですが、今まで父のヒカリ他兄弟や子供の応援を受けてきただけに、独りでやってゆけるかと聞かれると、はい、と自信を持って答えられないのが正直な気持ちですが、500年前に地球に降り立った時に比べたら随分わたしもいろいろ経験をして成長したし、自信もつけることが出来たことは確かです。

だから、これからは積極的に人間の進むべき正しい道を指導していきたいと思っています。

しかし、人間の方もわたしに頼りきるのではなく、神は全知全能などと思わずに、神よりも、ある面では人間の方が優れていると思って助け合って地球の成長に努力して欲しいと思うのです。

わたしには地球の「想い」という大きなエネルギーは持っていますが、人間のような精巧にできた肉体は持っていません。これは人間にとって大きな財産です。

人間の肉体は小宇宙と言われるように、非常に素晴らしい機能を持っています。しかも心というユニークな「想い」も持っています。この心を正しく使っていくならば、わたしなど神よりも遥かに優れた存在になり得る可能性を持っていると、これはわたしだけでなく父のヒカリも子供のテンシも言っています。

そのためにも、今までの間違った心の使い方をよくよく反省して、正しい心を育んでいって欲しいと思います。

わたしも影ながら応援してゆきたいと思っています。

「神の自叙伝」(反省編) -完-

 

 

 

(反省編)終わりにあたって

当初 わたしがこの「神の自叙伝」を書くきっかけになったのは「はじめに」で述べましたように宇宙の実体について科学の発達で未知だったものがどんどん解明されていくと、それにともなって人間の精神世界の概念まで変わらざるを得なくなってきたと感じたからです。

精神世界はこれまで、唯物的考えであっても、唯心的考えであっても、人間は考えることが出来るものであるということにおいては意見の違いはなかったはずであります。

その考えることが、肉体の脳で考えるのか、肉体とは別のものがあってそれが心であるのかの違いだったはずであります。

しかし、物質の微少な世界でニュートリノのように人間の目ではとうてい見ることが出来ない素粒子にも、人間の体と同じように質量があることが解明された現在、目にはっきり見えるもの以外は存在しないという唯物論は、その考えが正しいかどうかではなく、少なくとも今までの考えを見直す必要があることは否定できないでしょう。

同じように、目に見えない世界が存在するという唯心論も、目に見えないものも物質であるのだから、やはり今までの考えを見直す必要があることは否定できないでしょう。

結局、唯物論も唯心論も同じであって観点の違いだけだ。というのがわたしの意見です。

見ている自分の場所が違うだけで、見ているものは同じものだということです。

それなら、その考えは各個人の主観であって客観的事実ではないということであります。

ここのところが過去何千年、何万年前に人間が文明をつくった最初にボタンのかけ間違いをした重大なミスであったのではないかと思うのであります。

つまり、人間が思ったり、考えたりすることには、客観性はなく、すべてその人間だけの主観であり、従ってどれが正しいとか間違っているとかの問題ではなく、同じ考えか、違った考えかの問題であり、究極的にはすべて違った考えがあるという事実だけであります。

そのそれぞれすべて違った考えを、ある考えに無理やり客観性を与えて、その考えに収斂させてきたのが宗教であり、神であったように思えてなりません。

だから、当然いろいろな客観的考えがどんどん出てくるといった矛盾が生じてくるのです。

「いろいろな客観的考え」なんて有り得る訳がない。

客観性はただ一つしかないのです。

だから、いろいろな客観的考えが唯一性の争奪戦をやるのです。自分以外の客観的考えは全部間違っているから排斥せざるを得ないのです。

すべての宗教が抱える最大の問題であります。

本当の宗教とは、本当の神とは、各個人対自然、各個人対宇宙、各個人対絶対との問題であり、各団体やら、各人種やら、各民族やら、各国家との問題ではないのです。

自分という主観と絶対という客観との相対的関係である。これが結論であります。

わたしの「神の自叙伝」はわたしの主観による絶対という客観についての、わたしの神の「想い」の綴りであります。

みなさんにも、それぞれの主観による神の概念を持って頂きたいという思いからこの「神の自叙伝」というサンプルを創ってみたのです。

神は他人から押しつけられるものではありません。自分が自由に創造すればいいのです。

今回の「反省編」は最初の試みでありました。その途中で分かったことは、人が自分の日記を書くように、自分が対峠する神の日記が、わたしの場合この「神の自叙伝」であり、わたしが生あるかぎり自分の日記と同じように、自分の神の日記を書き綴るべきだと。

「反省編」のあと「改正編」「決断編」そしてわたしが死に直面したと同時にわたしの神も直面する死についての「懺悔編」と綴っていきたいと思っています。

読者のみなさんも、自分の日記と同時に、自分の神の日記を綴ってみられたらいかがでしょうか。

そのときの参考にこの本がなれば、この上ない悦びであります。

2000(平成12)年11月23日 新 田  論

神の自叙伝 改正編

はじめに

「神の自叙伝」(反省編)では、人類から進化した人間が文明を開花していく中で最初は自然崇拝であったものが、だんだん人間的なものを崇拝するようになった結果、神という概念と共に宗教が興っていった過程を書き、その過程において人間がいかに地球レベルでは自然というか、つまり宇宙世界と乖離していくことが人間世界にも大きな不幸をもたらしたかを検証してみました。

その中で宇宙の意識がそれぞれのレベル、すなわち無限の世界、果てのない世界と言ってもいい絶対宇宙から、我々地球や太陽や銀河星雲を構成している全体宇宙、その中で我々太陽系恒星が無数にある星雲、また星雲の中に存在する太陽系恒星、そしてその惑星群とその惑星である地球、その地球の衛星である月。

これら7つの意識である「想い」が、それぞれの対応した星やその集団にどのような影響を与えてきたかを推論し、特に人間が住む地球の意識がその上にある太陽と、その下にある月との相対性を守りながら、地球に住む人間との関りにおいて神と崇拝されながらも、人間のご都合主義に振りまわされてきたかを象徴的に書いてみました。

ある意味で人間を創った結果、地球という星が逆に人間に振り回され、地球の意識が深く悩んでいく姿を描いてみました。

意識が悩むことは本来ありません。しかしそれは高いレベルの意識であって絶対宇宙とか大宇宙とか星雲宇宙といったレベルではそうでしょうが、肉体を持った、つまり一個体としての物体を持った星である太陽のような恒星になりますと意識だけではなく肉体をも持つ意識レベルになると悩みが生じる。そのあたりから意識の中に悩み苦しむ機能というか能力を持った心というものが、意識が多様化されて生まれてきました。そしてその意識の多様化した末端レベルに人間という地球上に住む生命体があり、その生命体と地球の意識の多様化した「想い」である心と、地球から物体として分化した月の意識の「想い」である心とがおりなす相対関係の中での葛藤、すなわち悩みの発生原因をそれぞれの立場で人間的に表現してみました。

その中で「反省」するということが、多様化した、分化した、言いかえればばらばらに無秩序になってしまった意識を結晶化させて、本来の悩み苦しむことのない意識に戻れることが出来る一つの方法である、と結論づけました。

しかし反省が反省だけで止まっていては、せっかく結晶化した意識もまた無秩序な状態の心にすぐに戻ってしまいます。逆にもっと高い意識レベルに上げていくためには反省だけで止まらず、常に正しい心に改めていこうとする姿勢が必要となります。

ここではそれを「改正編」として描いていこうと思っています。

高い意識への道距はまだまだ果てしのない遠いものであります。

2000(平成12)年11月24日  新 田 論

 

 

第五十一章 改正の道

 

さて、いよいよ人間の改正のはじまりです。

これは神であるわたし自身の改正でもあります。

わたしにとっての肉体は地球で、意識はカミという名の心です。

人間にとっての肉体は体であって、意識はエゴという名の心です。

これから人間のことをエゴと呼ぶことにします。

また月であるテンシの肉体は月であり、意識はテンシという名の心です。

地球と月と体という肉体の三角関係。

カミとテンシとエゴという心の三角関係。

カミとテンシとエゴがお互いに影響し合い、そして地球、月、人間もお互いに影響し合い、その結果それぞれの心と肉体との間に三角相対性が生じます。

これが地球、月、そして地球上にいながら地球と月の影響を、肉体のみならず意識まで影響し合っている人間との三角相対性理論といいます。

このことをまず一番大事な法則としてきっちり頭の中に入れておいてください。

すなわち、絶対・全体宇宙・星雲宇宙・太陽系恒星・太陽系惑星群・地球・月という1から7までに細分化された(多様化された)宇宙世界の中で、我々太陽一家にとって親・子・孫三代であるヒカリ・カミ・テンシは、「想い」のみの意識から肉体を持つ心の意識をその「想い」の中に包含するようになったことは、前編の「反省編」でお話ししました。

そして「想い」だけであれば太陽・地球・月であったものが、肉体を持つことによる心の発生で地球上に人間という地球の子ができてしまいました。この子が突然変異でできた子ですから、本来地球の子である月との間でややこしい関係になってしまいました。

分かりやすく言えば、地球上のすべての物質は地球という肉体の一部分(部品と言った方が適切かも知れない)であって、人間も人類であったときは、他の有機生命体も含めての物質の一員であったのが、人間に突然変異した時点で地球の分身になってしまったということです。

だからテンシは本来、道理から言えば人間は自分の子であるべきだと言うことも理解出来るのです。

月に住む生命体として人間が生まれていれば、わたしも悩むことはありませんでしたし、月も人間を目の敵にすることもなくて、自分の子として目をかけてやることも出来たのです。

しかも、この人間というややこしい生命体の持つ肉体は我々の全宇宙どころか、その上にある絶対宇宙のメカニズムをも包含しているのです。

だから正直言って、わたしやテンシの知らない世界まで人間の方が知っていることも多々あるのです。

まあ、一般的に言えば超能力を持った子供が、悪がきになって暴れまくっておって、それをどうしようもなく見守っておるのがこのわたしだったと言えるでしょう。

変な言い方をすれば、妾の子はどうしても不敏で甘やかしますし、その子は自分の出自をひがんで悪の道に手を染めます。それを見ていた本妻の子である月が怒り、妾の子を目の敵にする、といった三角関係なのです。

責任はもちろん、このわたしにあるのです。禁断の実の誘惑を創造したのはわたしなのですから。

「覆水盆に帰らず」の諺が真理であれば、どうしようもないのですが「精神一倒何事か成らざらん」の諺もありますから、とにかく全力を尽くして宇宙の道理に沿った人間の道に、これから導いてやらなければなりません。

今まで彼ら人間が歩んできた道をひとつひとつ振り返りながら、改正させていきたいと思っています。

 

 

第五十二章 七の法則

 

今人間社会では暦と言って地球が一回自転する時間を1日として、それを24時間という単位に細分して1時間を60分、1分を60秒と決めています。この決まりは人間社会すべての地域で共通しています。

そして地球が太陽のまわりを一周する公転時間を1年とし、365日と6時間と決めているのが一応人間世界の標準とされていますが、それぞれの地域で独自の暦を持っているところもあります。

標準の時間の定義は1年が365日6時間、それを12分割して1月から12月の12ヶ月に分け、それぞれの月が平均30日として決められています。そして1日が24時間で1時間が60分で1分が60秒と定められています。

月を定めたのは、その名の通り、月が地球のまわりを一周する月の公転時間を1ヶ月として約28日なのですが、太陽との関係で約30日にしてある訳です。

この取り決めは人間が生活していく上でほとんど何の関りも実質上ありません。

それよりも7日を1週間と決めて日曜日・月曜日・火曜日・水曜日・木曜日・金曜日・土曜日と決めていることがエゴと肉体に大きな関りを持っていることを、人間は自分たちの知恵であみ出したのを忘れてしまっています。

なぜこんな分け方をしたのか、宗教上の教えで6日働いて1日休息の日を取るように神が定めたと言っているようですが、わたしはそんなことをしたおぼえはありません。

人間が勝手に決めたことです。しかしこの決め方は誰があみ出したのか知りませんが大したものです。

というのは、宇宙には七の法則というものがあります。その法則を知っていないとこのような決め方を発見できる訳がないのです。

光も人間の見える可視光線には7種類の色に分化されます。光りの波長の長短で赤色から紫色まで7種類あります。

音にも同じように波長の長短で7段階あります。ドからシまでです。

暦の曜日も日曜日からはじまり、土曜日で終わります。

そして先ず太陽があり、地球から一番近い星を順番に並べているのです。

まず太陽の日曜日、そしてそれから地球に近い順に行くと、月だから月曜日、その次に近いのが火星だから火曜日、そして内側の金曜日、そして外側の木星だから木曜日、そして更に内側の水星だから水曜日、そして更に外側にある土星だから土曜日、そして太陽の日曜日に戻る訳です。

ところが人間にはまだ完全に七の法則を理解していないところがあります。

日本での曜日の設定でも水曜日と金曜日がひっくり返っています。多分水星と金星を間違って理解していたのでしょう。

英語にしてもMonday・ Saturday・ Sundayは月・土星・太陽を表しているが、Tuesday・Wednesday・Thursday・Fridayとなると単にヨーロッパの北端にある国の神の名前が語源になっています。Wednesdayはオーディン(Wedyn)という一番偉い神さん、Thursdayはトール(Thor)、Tuesdayはテュール(Tyr)、Fridayはフレイ(Frey)という一番偉いオーディンという神さんの息子やらが由来になっています。

だからヨーロッパの宗教の教えで7日に1日休息を取ること。と決めたら盲信して何の根拠も知らずに慣習化しています。

しかしこの七の法則は、元は絶対・全体宇宙・星雲・太陽系恒星・太陽系惑星群・地球・月の相対性理論から来ており、それはそのまま音階の法則に連動しているのです。

音階はドからはじまってレまでの七段階あります。(ド・シ・ラ・・・レと下りていきます)

ドが絶対、シは全体宇宙、ラは星雲、ソは太陽、ファは惑星群、ミは地球そしてレが月で、月の先には何もない絶対のドがまたあります。という関係が宇宙のエネルギーの音振動では成立しています。無限と無限の間に七段階あってそれが円循環しているのが宇宙なのです。そこで円循環するためには元のところに回帰しなければならなりません。

そのために地球と惑星群との間でベクトルが変ります。そして全体宇宙と絶対のところでもベクトルが変ります。この二回の方向変換によって円軌道になり元の絶対に回帰します。

だから音階でもミとファの間とシとドの間だけベクトルが変る、つまり半音になる。

ここのところが鍵なのです。

だからエゴと肉体もこの七の法則に従属している。

従って前のシからドの日曜日のところでベクトルが変るから休息を取るのは理論的に合っているのですが、最近になってラからシへの土曜日も連続して休息している。

これではまったく七の法則に合わない。逆にラシドと連続してベクトルの変換をすると、円の元に回帰するどころか永遠に平行線上を辿っていくことになる。

人間がこの50年間でエゴと肉体のバランスが極端に崩れ、無意識の中で断崖絶壁に向かって暴走するどぶネズミの集団と化している原因がここにあります。

まず人間を改正させなければならない課題は、七の法則に合った生活方法に変えることです。

休息の日を日曜日と水曜日にすることです。そしてそれ以外の祭日は一切取らないようにすることです。

この規則正しい生活スタイルを取っていると、肉体とエゴのバランスがとれるようになります。

そうすると、余分なエネルギーを浪費しなくてすむから自然に肉体もエゴも結晶化してくる、つまり整ってくるのです。

まず基本から改正していくよう指導していくつもりです。

 

 

第五十三章 利他心と利自心

 

人間が悩み苦しむのは、わたしたち宇宙の「想い」からしたら実に他愛もないことが原因になっています。

わたしたち太陽系一家の「想い」が悩み苦しむということは、実際に肉体である自分の星に苦痛が伴うからなのです。

ナイフで手を切ったら血が出て痛いでしょう。

それと同じ苦痛なのです。そして自分の肉体が苦痛で苦しんでいると、当然「想い」も苦悩するのです。しかしこの苦悩は自分の肉体に対する慈悲の心から苦しむものなのです。この気持ちを利他心というのです。

ところが、人間が苦しみ、悩むのは「想い」であるエゴが苦しみ、悩むのです。そして結果肉体も苦しむ。この気持ちを利自心と言います。

いいですか、ここが大切なところです。

「想い」というものの幸福感の本質は利他心にあるのです。人間も本来そうなっているのです。

ところが自分の肉体と思うエゴが、間違った自己同化をする結果、利自心が生まれる。

そして自分を利することが幸福だと勘違いする。他を利することよりも自分を利することが、自分の幸福だと錯覚する結果、利他心を失ってしまう。まさにそのことが自分から幸福を奪い去っていることに気がつかない。

人間の苦しみや悩みの原因は間違った幸福感の認識にあるのです。

だから、不幸感覚も当然逆になる。

本当の不幸感覚は他の人間が苦しみ、悩んでいるのを見て感じる「想い」なのです。

自分が苦しみ、悩むのは、先ず肉体の苦痛の場合だけなのです。「想い」が悩み、苦しむのは他の人間が苦しみ、悩んでいる姿を見て苦悩するのです。

ところが、人間は体に苦痛がなくても苦しみ、悩む性癖を持っている。「想い」であるエゴが実体のない幻想を想像して苦しみ、悩んでいる場合がほとんどなのです。

そしてこういった苦しみ、悩みは非常にエネルギーを消耗するから、結局自分の肉体にも苦痛が生じる。そして当然エゴが苦しむという悪循環に陥るのです。

いいですか、わたしたち「想い」は「想い」そのものが原因で苦しみ、悩むことはない。

肉体に苦痛があって、エゴが苦悩する。

一方、他のものに喜びを与えて幸福感を感じる姿を見て、自分も幸福感を感じるし、他のものに苦しみ、悩みを与えて不幸感を感じている姿を見て、自分も不幸感を感じる。

これが肉体を持つ「想い」の真理です。

今の人間はこの真理を完全に忘れてしまっていて自分を利することしか考えていない。

これでは、悪循環から脱出することは不可能です。

誰でも不幸より幸福が好きだ。何も好き好んで不幸を求めるものはいない。

しかし、出発点を間違えると自分も他のものも不幸にしてしまう。

その出発点はまず他を利することからはじめ、自分を利することは後まわしにすることです。

この大切な真理を忘れないで欲しいと思います。

 

第五十四章 神とカミ

第五十五章 神の器量

第五十六章 宗教と哲学

第五十七章 神の正しい概念

第五十八章 人間とは

第五十九章 立派な人間と偉い人間

第六十章 奇跡を生む力

第六十一章 怠惰な人間

第六十二章 想いと思考

第六十三章 神と人間の共同仕事

第六十四章 遍在する「想い」・偏在する「肉体」

第六十五章 神としての態度

第六十六章 調子に乗るということ

第六十七章 立派な人間の養成

第六十八章 一病息災・一難息災

第六十九章 テンシの雲

第七十章 新しい人間社会

第七十一章 待ち受ける月

第七十二章 精神性の向上

第七十三章 法則

第七十四章 月への切符

第七十五章 他の惑星とのギャップ

第七十六章 時間の変化

第七二十七章 5000才の人間

第七十八章 年令と肉体

第七十九章 テンシの訪問

第八十章 黙示録のヒント

第八十一章 ×印の人間

第八十二章 魂の遺伝

第八十三章 肉体の交換

第八十四章 病気と寿命

第八十五章 死ぬ喜び

第八十六章 宇宙の誕生

第八十七章 タイムトンネル

第八十八章 「想い」の結晶化

第八十九章 楽しい宇宙の世界

第九十章 神と人間の関係

第九十一章 改正編について

第九十二章 48の法則

第九十三章 16種類の生き方

第九十四章 誕生と死

第九十五章 決断への「想い」の準備-1

第九十六章 決断への「想い」の準備-2

第九十七章 決断への「想い」の準備-3

第九十八章 決断への「想い」の準備-4

 

  

第九十九章 決断への「想い」の準備-5

 

宇宙には、最初に唯一つのすべては無であり無限であるという法則があって、そこから、初めて水素という物質が創られ、空間ができ、時間が生まれた。その時点で一つの法則が、プラス、マイナス、ニュートラルという三つに分化した物質の世界が生まれた。それが我々の150億年の拡がりを持つ全体宇宙で、そこから星雲宇宙、恒星、惑星群、地球、月、そしてそこでまた絶対宇宙にコンタクトして、新しい全体宇宙として誕生する。

その中で、地球では48の法則があり、月では96の法則があると言ってきました。

そして、地球から月への移住切符を手に出来る者は、96の法則に対応出来る者しか手に出来ない。

その96の法則の最大の要素は光に対する理解です。

48個の地球上では、光速以上で飛べるものは存在しないという前提条件であったのが、月へ行くためには、光速以上のスピードで飛べることを前提に置いた考え方が出来ないと駄目なのです。

これまでにも何度も言ってきましたように、月という存在は宇宙の中でも特別な存在なのです。

絶対宇宙と全体宇宙との間は非連続で、全体宇宙、星雲宇宙、恒星、惑星群までは連続で、地球との間で非連続になっており、そのまま月へ移って、最後にもう一度ベクトルが変わって絶対宇宙に回帰する。

そういう点において、他の宇宙と地球、月とはまったく非連続の違った宇宙世界だと考えていいでしょう。

ただ地球は、恒星の一つである太陽から生まれたため、光速という絶対条件下で生きざるを得なかった。しかし、月へ移住すると、まったくこの概念は通用しなくなります。

従って、地球上での48個の法則から、月の96個の法則に対応出来る「想い」の準備をしておかなければなりません。

いいですか、ここからが一番大事なところです。

まず時間の概念を持たないこと。この意味は、観念的に言えば、過去や未来に絶対「想い」を馳せてはならない、この瞬間にいること。

そして空間の概念も持たないこと。この意味は、すべては物ではなく過程であり、運動そのものであり、一瞬たりとも止まっているものはないということ。

このことを、日常生活で体感することが一番大事なことであります。

それ以外のことは、すべて来ては去り行く、一過性のものであり、深刻になるようなものは一切ないということであります。

どうか、この点だけは、しっかりと認識して頂いて欲しいと思います。

 

 

第百章 改正編の終わり

 

今までの反省編、改正編は、わたしにとっては復習編であって、本格的な実践は次の決断編からになります。

反省編では、地球の神であるわたしが、まったくまだ熟成していなかったことを露呈しました。

そして一から、やり直しのつもりで、わたしが生まれた宇宙のメカニズムを復習して、原理、原則を頭に叩きこむことに注力してきました。

地球の神として、何が問題であったのか、何が欠けていたのか、この両編で十分認識出来ました。

地球上の「想い」を持つ唯一の有機生命体である人間と、これから共同作業しながら、宇宙の中の一員としての使命を果たして行かなければなりません。

しかし、決断編に入るには、あまりにも現状はひどいものであります。

2020年には、月へのステップに入らなければなりません。

それまでに、このひどい状態をどこまで改善できるか、ヒカリとテンシの力を借りて努力していきたいと思っています。

次の決断編に入るまで、わたしは、このひどい状態の地球を改善する旅にまた出かけたいと思っております。

いつ、決断編でまた、みなさんとお話しできるか分かりませんが、その日が一日も早くくることを願って、ペンを置くことにします。 

 

 

反省編・改正編を終わって

わたしは、今まで、神の存在というものについて、じっくりと考えてきたことがありませんでした。

神という言葉自体が、人間の造語であって、もし神が存在するなら、何と思われているだろうかと、最近になって疑問が湧いてきました。神 、ゴッド、アラー、…世界中の国で神のことを自分たちなりに命名しています。

もし、神が存在しないなら、これだけのいろいろな名前があっても不思議ではありません。それぞれの観念が創り出したものですから。

しかし、もし本当に神が存在したならば、我々人間は、その存在にいったいどう対処することが正しいことなのでしょうか。

自然の中で生きている動物は、どうでしょうか。

彼等は、神の存在を知っているのでしょうか。いや知らないでしょう。自然のルールを本能的に知っているだけでしょう。

しかし、少なくとも、彼等の方が、神の存在に近いところで生きているような気がしませんか。

人間が、神から一番遠いところで生きているように思えてなりません。

それ故に神の存在の有無を論議するのではないでしょうか。

動物たちは、神のそばで生きているために、神の存在を疑ったことがないのだと思うのです。

本当に、神の存在を知りたいのなら、もっと神のそばで生きてみることではないでしょうか。

それには、どうしたらいいのか。

次の決断編で検証してみたいと思います。

2001(平成13)年2月5日  新 田 論

 

 

神の自叙伝 決断編

はじめに

 

神の自叙伝も、自叙伝という過去の出来事を遡り、振りかえり、これは良かったとか、これは良くなかったとか、そのためにはどうあるべきであったかという自叙伝の本来の意図としては、前の反省編・改正編で充分ではなかったかと思います。

しかし、何故、神が自叙伝を書かなければならなかったか。

それは、未来に対する警鐘が目的であります。そのための自叙伝であった訳であります。

そうすると、これから何を為さねばならないのかが一番大事なこととなってくるのであります。

そのために、決断・実行が要求される訳であります。

実行するには、言葉は必要ありません。

しかし、その前に決断が要ります。決断は明確に言葉に出すことであります。

この決断編では、実行すべきことを明確に言葉で表現することに重点をおいて、書いてみたいと思っています。

神の決意の程が、どれほどのものかを、読者のみなさんに少しでも、伝えられたら決断編の目的は達成できたということになるでしょう。

2001(平成13)年2月22日  新 田 論

 

 

 

第百一章 神としての決意

 

いよいよ実行前夜の気分です。

この状態のときが一番緊張するものです。いざ実行となると腹もすわって、すんなりと行動に入れるものなのですが、そこまでの、待ちの状態がやはり一番心が揺れ動くものです。

「想い」そのものである、わたしでも心が揺れ動くものであります。

ましてや、人間を引き連れての行動でありますから、果たして彼らが、わたしの思うように動いてくれるかを考えますと、ますます緊張する訳です。

しかし、ここまで来たら、引き返すことは出来ません。

人間の首に縄をくくりつけてでも、引き連れて行く覚悟であります。

その決意の程をまず、ここではっきりと宣言しておこうと思います。

これからの20年、50年、そして100年。大きく分けて三つの段階を経て、人間を月に移住させること。これが最終的に実行すべきことであります。

この三つの段階を、詳細に明確にして、各段階でやるべきことは何であるかを、お話していきたいと思っています。

そこで、まず20年後までに何をすべきかが、これからの命題であります。

改正編でも申しあげましたように、わたしカミ、テンシ、そして人間それぞれの共同作業になると思います。

そこでまずしばらくは、わたしカミの役割について述べてゆきたいと思います。

20年後には、月で有機生命体の一番進化した人間の中でも月に移住出来る資格のある人間を、まず1万人ほど選んで、地球と月と、その間を結ぶ宇宙ステーションを往来出来る環境にすることであります。

最終的には15億人程の人間が月に移住するのですから、現在の60億以上の人間の整理をしておかなければなりません。

そうしておかないと、20年後の宇宙ステーションテストに、邪魔をする人間が出てきては困るからです。

20年後から50年後、そして100年後の段階では一気にいかなければなりません。

そのためにも、邪魔な人間の整理が必要です。

テンシは、この整理の仕事を自分がやりたいと言っておりますが、彼にやらせると、たしかに、結果は早くでますが、ちょっと激し過ぎるため、人間にとっては、かなり苦痛の伴うことになります。

長い間、地球にいた人間ですから、わたしも愛着があります。

出来れば、あまり苦しまずに整理してやりたいと思うのは情でしょうか。

だから、テンシには、はっきりと人間の整理をするのはカミであるわたしの仕事であると、言い含めました。

残念そうな顔をしておりましたが、以前に比べて、剣山での人間との触れあいを経験してからテンシも大分、人間に対する悪印象も少なくなってきておりましたので、納得してくれました。

さあ、これから、わたしが、人間の掃除をするという仕事について、詳細に考えを述べてゆきたいと思います。

 

 

第百二章 人間の整理

 

前章でお話しましたように、20年後に宇宙ステーション建設完成に基づく1万人の人間の月への移住が開始されます。

その時に邪魔になる人間が今、この地球上にたくさんいます。

一体、その類の人間とはいかなる人間かを明確にしておく必要があります。

基本的には精神性の非常に低い人間であります。

精神性が低いとはどういうことかと申しますと、人に喜びを与える能力のない人間であります。

ここで人に喜びを与える気持ちのない人間という言い方を敢えてしなかったのは、人に喜びを与えることが出来るか、出来ないかという問題は、その人間の気持ちの問題ではなく、その人間の人に喜びを与える力(能力)の有無の問題であるからです。

一般的には、人に喜びを与えることの少ない人間は、それだけ自分のことばかりを考えているからであり、余りにも自己の利益のみを追求するから、人に喜びを与える気になれないのだと考えがちであります。

これは大いなる錯覚であります。

いくら人に喜びを与えたいと思っても出来ないものは出来ないのです。

またいくら人に喜びを与える気がなくても、与える能力のある人間は結局、与えるのです、それがその人の本質だからであります。

ここのところを良く認識しておかないと、人間の整理をするときに大変な間違いを起こすことになります。

そうしますと、喜びを与える気持ちと、与える能力の違いはどこで起こるかが問題の焦点になってきます。

基本的に能力があるということは、その人間は努力をしておるということであります。

努力をすることが出来るということは、自己制御が出来るということであります。

自己制御が出来るということは、本能的欲望に打ち勝つ意志力があるということです。本能的欲望に打ち勝つ意志力があるということは、大きな目標・夢を持っているということであります。大きな目標・夢を持っているということは、持続力を持っているということであります。持続力を持っているということは、忍耐力を持っておるということであります。忍耐力を持っておるということは体力があるということであります。

この体力とは何か。単なる体の力であるのか。いや違うでしょう。その人間という一個の個体の持っているエネルギーの総合力であると思います。

エネルギーに満ち溢れている人間は、強力な磁力を持っております。すなわち星で言えば引力であります。重力であります。重力はそのものの質量に比例します。

結局のところ、重さであります。その人間の重さであります。その人間の「想い」の重さであります。

「想い」が重いということは、「想い」の密度が濃いということであります。

この「想い」の密度が濃いということが決定的要因になると思います。

その為には、「想い」というエネルギーの結晶化がどれぐらいされているかであります。結晶化がされていればいるほど、密度は濃くなります。

改正編でも「想い」の結晶化については、お話し致しました。

精神性を高めるということは、「想い」の結晶化がどれだけ為されているかであります。その為には、エネルギーの無駄な放出は一切避けなければなりません。

すべてのエネルギーを内面方向へのベクトルに変えなければなりません。

結局、この騒然とした世界の中で超然と独りで生きてゆける人間であります。

こういった人間は、世の中で目立たない存在に徹しておるのです。これはよくよく考えてみれば当然至極のことなのです。一人の人間が生きている世界は、その人間だけの、つまり一人の人間しか実在しない世界であって、他のものはすべて幻想の世界であるのですから、外にエネルギーを向けるということは、幻想という映像の世界にエネルギーを放出していることなのです。エネルギーは実在するものから、実在するものへと移動していくものであって、実在しないものへ移動しようがありません。そうすると外に放出されたエネルギーはどうなるかといいますと、幻想という映像のスクリーンにぶつかるしかないのです。映像は実在しないが、スクリーンは実在します。そのスクリーンはどこにあるかといいますと、あなたの目の網膜を通した、心の中にあります。結局、エネルギーはあなたの内に向かう道しかないのですが、直接向かう道と、一旦外へ出て、外の幻想の世界を見て、その影響を受けて内にある心のスクリーンに向かう道とがある訳です。一旦外へ出てから内に向かうエネルギーはそれだけ無駄使いをしておる訳です。

そうしますと、目立った生き方をしている人間は、いかなる人間であっても、結局は大いなるエネルギーの無駄使いをしておるのです。

そのカテゴリーの中に、この世的成功を収めた人間の中でも、立派な人物がいると言われる人達であります。しかし、わたしのカテゴリーの中では所詮、人を喜ばしたい気持ちのある人間であって、人を喜ばす能力のある人間ではないのであります。

人間が、立派な人間という基準は、人間にとっての基準であって、宇宙の基準ではありません。宇宙にとってはエネルギーの無駄使いするものを、良いとは判断されないのです。

これまでの人格の基準では、通用しない能力であるのです。ここのところをきっちりとしておかなければならないと思うのであります。

だからこの章での結論は、エネルギーの無駄使いをする人間は、たとえ、人間として立派なものと判断されても駄目である。常に独りで宇宙と対峙している人間が宇宙の認める人間であるということです。

 

 

第百三章 ヒカリとカミとテンシ

 

これからの、わたしたち一家の役割を明確にしておきたいと思います。

父のヒカリ、子のテンシ、そしてわたしカミ。

それぞれが、自分の役割を果たして、150億年のイシキ宇宙の大移動がこれから行われるのです。もちろん、この大移動が実施されるのは50億年後のことですが、それを光速の何兆倍ものスピードで一気にやってしまおうという試みです。その前に太陽系惑星群の中での最終段階として太陽が地球を飲み込みブラックホールになる、その時の太陽の大きさは直径20KM、そして太陽を飲み込む銀河星雲の中心にあるブラックホールの大きさが直径60KMぐらいの大きさで、ちょうど宇宙船・月の推進エンジンになるのです。

月の大きさは直径3,000Kmで、地球の約4分の1の大きさで、そこに約15億人の人間が移住しておかなければなりません。

なぜ、そういうことが必要かと言いますと、まずヒカリはブラックホールになって推進エンジンの役割を果たす。テンシは宇宙船の役割を果たす。そしてカミであるわたしは、本来は地球が太陽に飲み込まれていく段階で消えていく運命なのですが、月という宇宙船を操縦する宇宙飛行士の役割を果たすものが、今の月にはいないのです。だから人間を月に移住させるわけです。

そうしますと、推進エンジンの「想い」はヒカリ、宇宙船の「想い」はテンシですが、宇宙飛行士の「想い」が人間の心では、心もとない、従ってカミであるわたしが人間の「想い」になり変わるのです。

地球がある間は、わたしは地球全体の「想い」でありますが、人間が月に最終移住する100年後には、月に移住した人間の「想い」に変身することになります。

その時の地球は、どうなっているかと申しますと、月に移住出来なかった人間が、やりたい放題のことをし、地球の大気の層の厚さは激減し、太陽からの光りの輻射熱で海の水が蒸発し、大気は雲で常に覆われ、結果、大気温が下がり、最終的には、海が枯渇し、真っ白な塩だけが残った大海原となり、大気温はマイナス100度以下になって、人間のみならずすべての有機生命体は絶滅します。そして太陽に飲み込まれるまでは、火星が赤い星、金星が青い星と言われているのと同じように、地球は白い星と言われて、かつて人間やいろいろな生命体が住んでいたことも忘れ去られていくことになります。

わたしがカミと名づけられ、人間が崇拝する絶対者のことを神と名づけたのも、実は月に移住した人間の「想い」がカミであるわたしだからであったのです。

本来の姿にやっとなれる訳であります。

今までは、人間が勝手に自分たちの神を創っておった。その神とわたしとはまったく違ったものだった。そして人間を支配しておったのはカミであるわたしだった。ここに大きなボタンのかけ間違いがあった。

これからは月に住む人間の「想い」として専念できる、本当に人間の心を正しい道に導くことが出来ると思います。

 

 

第百四章 人間として具えておくべきもの

第百五章 神・カミとして援助できること

第百六章 峻別の方法

第百七章 新しい人間の基準―1

第百八章 新しい人間の基準―2

第百九章 新しい人間の基準―3

第百十章 新しい人間の基準―4

第百十一章 努力の価値

第百十二章 自己制御

第百十三章 意志力

第百十四章 目標・夢

第百十五章 持続力

第百十六章 忍耐力

第百十七章 体力

第百十八章 カミから神へ

第百十九章 人間の神

第百二十章 神の基準―1

第百二十一章 神の基準―2

第百二十二章 神の基準―3

第百二十三章 神の基準―4

第百二十四章 神の基準―5

第百二十五章 神の基準―6

第百二十六章 神の基準―7

第百二十七章 神の基準―8

第百二十八章 神の基準―9

第百二十九章 神の基準―10

第百三十章 神の基準―終わりにあたって

第百三十一章 テンシの役割―1

第百三十二章 テンシの役割―2

第百三十三章 テンシの役割―3

第百三十四章 テンシの役割―4

第百三十五章 テンシの役割―5

第百三十六章 ヒカリの役割―1

第百三十七章 ヒカリの役割―2

第百三十八章 あほうな神

第百三十九章 決断から実行・終幕

 

 

第百三十八章 あほうな神

 

わたしたち宇宙飛行船テンシは絶対宇宙に突入して行きます。

しかし、ヒカリがブラックホールになるのも、ギンガがブラックホールになるのも、今から50億年後のことです。

しかし旅立ちは2100年に始まります。そして2100年に絶対宇宙と遭遇して2100年に帰還します。

時間の経過はまったくありません。

それは絶対宇宙に入ったと同時にタイムトンネルに入ったからです。

50億年後のことが、2100年のある時刻に瞬時にして起こるのです。

このことを理解するのは、困難でありましょう。

しかし、一つだけ理解出来そうな現象が起こります。

それは以前、ヒカリが教えてくれた反物質の存在であります。

確かに2100年に旅立った宇宙飛行船テンシは、50億年の時空の世界を超えた旅をして2100年に戻ってきます。

しかし、戻ってきた処は、まったく旅立った処と同じ景色でありますが、絶対宇宙というタイムトンネルを通って、我々の全体宇宙と反物質の関係にある、別の全体宇宙に行っているのです。

その反物質の全体宇宙に出る時、ギンガはエンジンからホワイトホールの出口を通って、反物質の銀河星雲に戻る(なる)のです。

ヒカリも宇宙飛行船テンシのエンジンからホワイトホールの出口を通って、反物質の太陽に戻る(なる)のです。

宇宙飛行船テンシもホワイトホールの出口を通って、反物質の月に戻る(なる)のです。

宇宙飛行士人間もホワイトホールの出口を通って、反物質の人間に戻る(なる)のです。

そして、わたし、人間の「想い」である神も、ホワイトホールの出口を通って、反物質の地球の「想い」に戻る(なる)のです。しかし、その時は、あの怪物である人間は、月の生命体として月に住むことになるから、ほっとするでしょう。

ところが、何と、まったく姿、形は同じなのに、みんな性格が正反対になっているのです。

あの性格のきついテンシが微笑しているのです。

そして、あの化け物の人間が、まあ何と、物わかりのいい、テンシ想いの、おしとやかな人間に変わっているのです。

わたしは、自分のことを、人の良い、あほうな神だなあ、とつくづく思うのであります。

 

 

第百三十九章 決断から実行・終幕

 

前章で、お話したことは、まだ起きたことではなく、あくまでも推論であると申しあげました。

実際に結果が出ますのは2020年から2100年であります。

今まで、申し上げてきたことは、これから、こうやるのだ、という決断宣言であります。

実行は、あくまで2020年からであります。

もちろん準備期間は要りますが。

従いまして、わたしの自叙伝も、現時点で書けるのはここまでであります。

次の実行編は2020から、終幕編は2100から書き始めたいと思っております。

それまで、暖かい目で、反省し、改正し、決断した後の経緯を見守って頂きたいと思っています。

それでは、2020年まで、しばしのお別れであります。  -Intermission-

神の自叙伝-Intermission-

 

 

2000(平成12)年10月21日に、この「神の自叙伝」のペンを取りました。

それから約4ヶ月で(反省編)・(改正編)そして(決断編)を書きあげました。

実は(改正編)を書きあげた、平成13年2月5日、つまりほんの3週間前には、改正編を書くのに少々疲れまして、決断編はしばらく猶予下さい、と申しあげてきました。

ところが去る2月22日の朝に急に、書きたい想いが湧いてきまして、すぐに横にあったハンディーパソコンを引っ張り出して書き始めたのであります。

朝5時の出来事であります。

それから、取り憑かれたように書き続けまして、今、書き終えて、非常に充実感を感じております。

改正編の時のような疲れもまったく感じません。

多分、最終章の「決断から実行・終幕」で書きましたように、実行編は2020年にならないと書けません。それまではゆっくり出来ると思ったら、気楽になってペンの走りがスピードアップしたからだと思います。

昨年の10月21日に書き始めたのも、何かの突きあげを感じたからでありました。

今回の決断編も、考えてもみなかったのに、今、目の前に書き終えた原稿をつくづく眺めながら、人間の潜在能力の大きさに驚きます。

この「神の自叙伝」は、わたしが、常々疑問に思っておりました、神という言葉、概念に、いつかは自分で決着をつけねばならないと思っていたことが、潜在意識にあって、その突きあげで、書いたものであるのです。

書き終えて、書き始めた際には、考えられなかった神へのいろいろな思案が残像として、新たにわたしの心の中に刻印されたことは、この上ない喜びであります。

自己満足かも知れませんが、非常に心地良い気持ちがいたします。

それに加えて、更に神への信頼感が増したような気がいたします。

 

2001(平成13)年2月25日 新 田 論

 

 

神の自叙伝 懺悔編

はじめに

 

わたしたち宇宙飛行船テンシは絶対宇宙に突入して行きます。

しかし、ヒカリがブラックホールになるのも、ギンガがブラックホールになるのも、今から50億年後のことです。

しかし旅立ちは2100年に始まります。そして2100年に絶対宇宙と遭遇して2100年に帰還します。

時間の経過はまったくありません。

それは絶対宇宙に入ったと同時にタイムトンネルに入ったからです。

50億年後のことが、2100年のある時刻に瞬時にして起こるのです。

このことを理解するのは、困難でありましょう。

しかし、一つだけ理解出来そうな現象が起こります。

それは以前、ヒカリが教えてくれた反物質の存在であります。

確かに2100年に旅立った宇宙飛行船テンシは、50億年の時空の世界を超えた旅をして2100年に戻ってきます。

しかし、戻ってきた処は、まったく旅立った処と同じ景色でありますが、絶対宇宙というタイムトンネルを通って、我々の全体宇宙と反物質の関係にある、別の全体宇宙に行っているのです。

その反物質の全体宇宙に出る時、ギンガはエンジンからホワイトホールの出口を通って、反物質の銀河星雲に戻る(なる)のです。

ヒカリも宇宙飛行船テンシのエンジンからホワイトホールの出口を通って、反物質の太陽に戻る(なる)のです。

宇宙飛行船テンシもホワイトホールの出口を通って、反物質の月に戻る(なる)のです。

宇宙飛行士人間もホワイトホールの出口を通って、反物質の人間に戻る(なる)のです。

そして、わたし、人間の「想い」である神も、ホワイトホールの出口を通って、反物質の地球の「想い」に戻る(なる)のです。しかし、その時は、あの怪物である人間は、月の生命体として月に住むことになるから、ほっとするでしょう。

ところが、何と、まったく姿、形は同じなのに、みんな性格が正反対になっているのです。あの性格のきついテンシが微笑しているのです。

そして、あの化け物の人間が、まあ何と、物わかりのいい、テンシ想いの、おしとやかな人間に変わっているのです。

わたしは、自分のことを、人の良い、あほうな神だなあ、とつくづく思うのであります。

 2012(平成24)年2月20日  新 田 論

 

 

 

第百四十章 冬の嵐

 

21世紀は二つのPartに分けられる。

2001年から2020年までが一つのPartである。

2021年から2100年までがもう一つのPartである。

そして、

2012年から2020年までの物語がこれからはじまる。

地球がスバル座のフォトンベルトに突入するのが2012年12月22日だが、太陽は既にフォトンベルトに突入している。

10万光年の拡がりを持つ銀河星雲の天の川(The Milky Way)が、スバル座のフォトンベルトに当たる。

天の川(The Milky Way)は星雲宇宙の外周のことだ。

人間の身体で言えば外皮の五感に当たる。

自他の区分けをするのが外皮の五感だから、銀河星雲の天の川(The Milky Way)も他の星雲との区分けをする役目を持っている。

スバル座のフォトンベルトも銀河星雲の中での他の星座との区分けをする役目を持っている。

太陽系と他の系との区分けをするのがスバル座のフォトンベルトの役目なのだ。

今まで見ることのできなかった、太陽系以外の系がフォトンベルトに突入することによって明らかにされるのである。

10万光年の拡がりを持つ銀河星雲の天の川(The Milky Way)が星雲宇宙の外周だが、その巾は2,000光年ある。

太陽がスバル座の中心星アルシオーネの周りを一周するのに2万4000年掛かり、スバル座のフォトンベルトがその外周だが、フォトンベルトから脱するのに2000年掛かる。

銀河星雲とその子、スバル座の相関関係は、光速と太陽速との相関関係に匹敵する。

光速は絶対速度の秒速30万Km、つまり、時速10億8000万Kmであるのに対して、相対速度の太陽速、つまり、太陽の公転速度は秒速220Km、つまり、時速79万2,000Kmである。

一方、太陽の自転相対速度は、秒速1.89Km、つまり、時速6,800Kmである。

相対速度の地球速、つまり、地球の公転速度は秒速30Km、つまり、時速10万8,000Kmである。

一方、地球の自転相対速度は、秒速466m、つまり、時速1678Kmである。

相対速度の月速、つまり、月の公転速度は秒速1KM、つまり、時速3,600Kmである。

一方、月の自転相対速度は、秒速4.64m、つまり、時速16Kmである。

地球がスバル座のフォトンベルトに突入するのが2012年12月22日であり、それから相対速度の地球速で2,000年の間、フォトンベルトに入ったままである。

宇宙は基本的には一元論の世界だが、現象として表われるのは二元論の映像の世界であり、人間は二元論の世界を善悪の世界に無理やり区別した結果、功的側面と罪的側面という二律背反関係にしてしまった。

地球がフォトンベルトに突入する現象にも功的側面と罪的側面がある。

罪的側面は氷河期の招来だ。

功的側面は新しい系の発見であり、新しい世紀の幕開けになるだろう。

太陽がフォトンベルトに突入した時、太陽系の中である出来事が起こった。

火星に衛星が誕生したのである。

木星や土星といったガス惑星には衛星が存在することは確認されていたが、火星には衛星が存在していなかった。

水星、金星、地球、火星といった惑星には鉱物が存在するが、木星や土星は親の太陽と同じでガス星だった。

ガス星には子供の星が存在し得ていたが、鉱物惑星に子供の星が存在し得たのは地球だけだった。

ところが、太陽がフォトンベルトに突入するや否や、鉱物惑星の火星に衛星が誕生したのである。

火星の「想い」である「イクサ」が、地球の「想い」である「カミ」に了解も得ないで独断専行したのである。

どうやら、月の「想い」である「テンシ」の仕業らしい。

「テンシ」の「想い」を持つ石嶺リエが、「カミ」の「想い」を持つ田島八郎に無断で行動を開始したのである。

「カミ」は「テンシ」が自分の弟である「イクサ」と気脈を通じているとは想像もしていなかった。

嘗て、「カミ」の兄である「ミス」や「クウ」と交信していたことは知っていた。

「ミス」は水星の「想い」である。

「クウ」は金星の「想い」である。

水星や金星と火星とは根本的に違った惑星だった。

火星は土星や木星とも違う惑星だった。

太陽系惑星群と惑星の間は「ファ」と「ミ」の間であり、地球はその間に存在し得る唯一の惑星として有機生命体を有している。

ところが、実は火星も地球と同じ立場の惑星だったのである。

それだけに、「テンシ」が「ミス」や「クウ」と交信することは「カミ」は容認していたが、「イクサ」との交信は禁じていた。

太陽がフォトンベルトに突入したどさくさに紛れて、「テンシ」が行動に出たのである。

新しく生まれた火星の衛星は運と呼ばれた。

およそ200年前に、フォボスとダイモスという火星の衛星が発見されていたが、実はフォボスとダイモスは火星との三つ子星であった。

地球と月が親子の関係ではなく、双子の関係であったように、火星は三つ子星であった。

これまで衛星と考えられていたものはすべて、双子星、三つ子星、つまり、兄弟星であって、親子星ではなかったのである。

自転周期と公転周期が1対1の「尽数比」がその証である。

木星の衛星はエウロパ以外に63の衛星があると考えられていたが、木星とエウロパは双子星であり、その他の星が本当の衛星(惑星の子供)である。

土星の衛星はタイタン以外にやはり63の衛星があると考えられていたが、土星とタイタンは双子星であり、その他の星が本当の衛星(惑星の子供)である。

エウロパやタイタンの自転周期と公転周期が1対1の「尽数比」であることが、その証明である。

肉体が星であるのに対して、肉体に命があると「想い」がある。

地球の想いが「カミ」であり、月の想いが「テンシ」である。

火星の想いが「イクサ」であり、新しく生まれた運の想いが「デビル」である。

水星、金星、地球、火星、木星、土星、海王星、冥王星という太陽の惑星群があるが、水星、金星が鉱物惑星、木星、土星、海王星がガス惑星、冥王星は流星に近い。

太陽系惑星群と惑星、つまり、ファとミの関係に異変が生じたのである。

宇宙の最先端に異変が起きたわけであるが、その異変が更なる進化・膨張の兆候なのか、反転して退化・収縮の兆候なのか、その鍵を握っているのが、火星の衛星である運、つまり、その想いである「デビル」なのである。

火星に新しく衛星が誕生して、その想いが「デビル」と言うわけだ。

そして、

「デビル」によって、冬の嵐が起こされる。

 

 

第百四十一章 三元論世界

 

2001年4月1日。

鬼神四郎が竹林の中で、国津神の最高神である「国常立命(クニトコタチノミコト)」に降臨され「デビル」になった。

お仕置き劇のドラマを演出するのは、月の想いである「テンシ」であることは言うまでもない。

鬼神四郎に「デビル」が降臨した時、「国常立命(クニトコタチノミコト)」から、指令が出されていた。

『デビル。お前の名前はデビルと言う。お前は、わしの分身じゃ。

お前は、わしの指図通りに行動しているだけで、それが小汚い人間どもの世界では悪いことだと言われていても、気にすることはまったくない。

自然が天変地異で人間の命を奪っても、人間は自然を殺人罪で捕まえることは出来ないであろう。

まともな人間なら、その時、自分たち人間が自然の摂理から逸脱する行動をしたから天罰を受けたのだ、と反省するだろう。

人間が人間を殺すと、いかなる理由であっても殺人罪になるというのは間違っておる。

それならどうして人間が戦争をして大量の殺戮をしても殺人罪にならないのだ。

人間社会も以前はそんな決まりはなく、それよりも自然の摂理をはずれた行為をしたら殺されるのが当たり前だと思っていたのじゃ。

それが人間どもだけが勝手に自分たちの掟を決めおって、まったくけしからん!

掟というのは自然が決めることで、たかが人間ごときが決められるような軽いものではない。

お前は人間の決めおったルールを破っただけで、自然の掟は破っておらん。

人間のルールなど老若男女全員が破っておる。

そのようなルールなど破られるためにつくったようなくだらんものだ。

それより自然の掟を知ることが一番大事なことじゃ。

自然の掟というのは、結局、この大宇宙の法則のことじゃ。

その大宇宙があまりにも大き過ぎるので、その掟を、宇宙のスケールに合わせて細分化したのじゃ。

だからお前たちが住んでおる地球にも宇宙の掟の一部が、地球の掟として厳然とあるのじゃ。

よいな、まず地球の掟を知り、その掟に添った行動をすることじゃ。

わしは、それを今まで、いろいろな人間に教えてやってきたが、彼らの力不足で実行するまでに至らなかった。

だから仕方なくお前の体を借りて自ら実行することに決めたのじゃ。これからお前が想い、行動することは、すべてわしが想い、行動することである。そのこと、よくこころしておくのじゃ』

この指令こそが、月の想いである「テンシ」の所為だったのである。

「テンシ」は「デビル」の名を駆使して実に巧妙な策を弄した。

地球上に有機生命体が存在し得たのは、もちろん、地球という星の肉体と、「カミ」という地球の「想い」が為し得たことは、言うまでもない事実だが、月の「想い」である「テンシ」の助けがあったことも事実だ。

地球上の有機生命体の中で、人類という問題児が発生したのは、「テンシ」の所為であり、お陰でもある。

「カミ」と「テンシ」の最大の特徴は、二元論的発想ができる「想い」という点にある。

全体宇宙の「想い」である「イシキ」や、恒星太陽の「想い」である「ヒカリ」は、一元論的発想しかできないのに対して、惑星地球の「想い」である「カミ」や、衛星月の「想い」である「テンシ」は、二元論的発想ができる理由は、「オクターブの法則」が厳然と機能する宇宙の中で、最終円回帰する「ミ」と「レ」であるからだ。

そして、その締めくくりが、火星の衛星・運の「想い」である「デビル」なのであり、「デビル」は三元論的発想ができるのである。

 

第百四十二章 鬼の掟十七条

 

デビルこと鬼神四郎が最初に人類に示したのが「鬼の掟十七条」だ。

第一条

  凡そ、人間といえども他の生物と変わりなく地上に生かされているものであることを認識し、他の生物と共存する精神を失わないこと

第二条

  凡そ、人間といえども男(雄)と女(雌)から生まれたるものなら、それぞれの特性をよく認識し、その特性を逸脱しないようにすること

第三条

  凡そ、人間として地上に生かされている限り、地上を傷つけるようなことのないこと

第四条

  凡そ、人間は地上で最も多き生き物であるから、それなりの多き責任を有することを忘れないこと

第五条

  凡そ、人間は最も高き知性を持つ生き物であるから、他の生き物に対して大いなる慈悲の心を持って接すること

第六条

  凡そ、人間だけが、すべて生あるものは死から免れないことを、教えられそれを知る福音を与えられたことに感謝すること

第七条

  凡そ、人間といえども天の意思なく生を受けられるものでないことを知るならば、生を得た悦びに感謝し、その意義を生あるうちに知るべく努力すること

第八条

  凡そ、人間として生命を維持する上での他の生物の殺生以外は、いかなる微細な生物といえども殺生は許されるべき行為でないことを肝に銘じ守ること

第九条

  凡そ、人間が守るべき道理は、人間だけに通じる道理であってはならないこと

第十条

  凡そ、人間が同じ人間と争うことは自然の道理に合わして為すこと、人間の道理だけで争うことのないこと

第十一条

  凡そ、人間といえども不条理なことを他の生き物に為すならば、天から不条理な罰を必ず受けることを肝に銘じておくこと

第十二条

  凡そ、人間が冒す最も深き罪は公正を欠く行為であることを決して忘れぬこと

第十三条

  凡そ、人間として最も高貴なる行為は勇気の発露であることを忘れぬこと

第十四条

  凡そ、人間として最も低劣な行為は弱きものを虐待することであり、それを為す者には、峻烈な罰が与えられることを忘れぬこと

第十五条

  凡そ、人間という生き物は腕力極めて弱き生き物であるからして、人間同士の間で、暴力を行使する者には、倍の同じ暴力を以って罰を与えられることを忘れぬこと

第十六条

  凡そ、人間といえども天と地の間で存在するものであるからして、天と地の掟を第一とするべし

第十七条

  凡そ、人間といえども天と地の間を吹き抜ける砂塵のごとし、砂塵にどこへ行くかを決める資格なし、よって人間が人間の掟を決めること能わず、掟を決めるのは天と地の間を吹き抜ける鬼神のみ。

「鬼の掟十七条」は、「テンシ」の助言によって「デビル」こと鬼神四郎がつくった。

特に、第十四条と第十五条に「テンシ」の強き「想い」が発露されていると言っても過言ではない。

第十四条  凡そ、人間として最も低劣な行為は弱きものを虐待することであり、それを為す者には、峻烈な罰が与えられることを忘れぬこと

第十五条  凡そ、人間という生き物は腕力極めて弱き生き物であるからして、人間同士の間で、暴力を行使する者には、倍の同じ暴力を以って罰を与えられることを忘れぬこと

 

暴力と腕力の違いを説いているのである。

他の生きものは腕力を発揮するのに、人間は暴力を発揮する。

自然社会が弱肉強食の世界であるのに対して、人間社会は差別・不条理・戦争の世界である。

自然社会が自然淘汰の世界であるのに対して、人間社会は「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別」の世界である。

自然社会が「食う食われる」世界であるのに対して、人間社会は「殺す殺される」世界である。

だから、人間社会だけに「生死の概念」が発生した。

だから、人間社会だけに「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖」が発生した。

だから、人間社会だけに「宗教と科学」が発生した。

その結果、人間社会だけに「差別・不条理・戦争」が発生した。

すべては、腕力の発揮と暴力の発揮の違いだ。

ところが、人間は腕力の発揮を暴力と履き違えている。

人間が他の生きものを畜生と蔑む所以がここにある。

本末転倒の錯覚も甚だしい。

人間こそが畜生そのものなのである。

第十四条 凡そ、人間として最も低劣な行為は弱きものを虐待することであり、それを為す者には、峻烈な罰が与えられることを忘れぬこと

第十五条 凡そ、人間という生き物は腕力極めて弱き生き物であるからして、人間同士の間で、暴力を行使する者には、倍の同じ暴力を以って罰を与えられることを忘れぬこと

第十四条と第十五条はそのことを見事に表わしている。

「鬼の掟 十七条」は突き詰めてみれば三元論的発想が凝縮されたものであり、火星の衛星・運の「想い」である「デビル」しか出来ない。

鬼神四郎が「デビル」と呼ばれた所以がここにある。

この世の中は二元論的に構成されているが、二元論の本質を理解していない人間が圧倒的に多い。

一般大衆と呼ばれる連中がみんなそうだ。

この世の中が圧倒的多数の被支配階級の人間で構成され、その上に少数の支配階級の人間が君臨している理由は、二元論の本質を理解している者とそうでない者との違いである。

自分が支配階級側に属している人間か、被支配階級側に属している人間かの判定は、二元論の本質を理解しているかいないかでできる。

生きることに執着して、死を恐れている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。

オスであることに執着して、メスを蔑んでいる人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。

善に執着して、悪を忌み嫌っている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。

強者であることに執着して、弱者を蔑んでいる人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。

賢く生きることに執着して、愚かを忌み嫌っている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。

お金持ちに執着して、貧乏になるのを恐れている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。

幸福に執着して、不幸を恐れている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。

天国に執着して、地獄を恐れている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。

神に執着して、悪魔を忌み嫌っている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。

健康に執着して、病気を恐れている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。

そして、

支配することに執着して、奴隷になることを恐れている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。

三元論的発想ができるようになるには、先ず、二元論の本質を理解することから始めなければならない。

火星の衛星・運の「想い」である「デビル」しか三元論的発想ができない証が、鬼神四郎がつくった「鬼の掟十七条」に集約されている。

特に十七条が象徴的だ。

第十七条 凡そ、人間といえども天と地の間を吹き抜ける砂塵のごとし、砂塵にどこへ行くかを決める資格なし、よって人間が人間の掟を決めること能わず、掟を決めるのは天と地の間を吹き抜ける鬼神のみ。

 

自己の世界で生きているものにとって、たとえ、それが一元論の世界でも、二元論の世界でも、自己の世界が唯一無二のものと錯覚してしまうものだ。

それが一元論、二元論の所以でもあり、三元論の世界はそういった錯覚を一切しない世界なのだ。

一元論の世界で生きているものも、二元論の世界で生きているものも、自分たちを唯一無二と想い込んでいる。

二元論の世界の人間は一元的な発想しかできないから、好いとこ取りをするのである。

二元論の本質である表裏一体感を体得できれば、三元論の世界の登龍門を潜ったことになる。

二元論の世界は一元論的運動しかできない所以だ。

N元論の世界は(N-1)元論的運動しかできない所以だ。

だから立体の世界は平面運動しかできないのである。

三次元立体の宇宙が平面渦巻き運動しかできない所以である。

三元論的発想ができるには、四次元世界を体得するしかない。

それができるのは、火星の衛星・運の想いである「デビル」だけなのである。

人間という生きものだけが善悪の判断をして、その判断が間違っていない正しいことだと何の疑いもなく信じ込んでいる。

しかも、殆どすべての人間が、“自分は正しい”と思い込んでいる。

人間社会だけに差別・不条理・戦争が存在する理由はこの思い込みにあるのに、誰も気づいていない。

暴力団やヤクザといった連中の方がまだましである。

何故なら、彼らは自分たちのやっていることを自覚しているからだ。

自覚している人間を更正させる方法はいくらでもある。

自覚していない人間を更正させる方法は殆ど皆無だ。

特に自分で善を為していると思い込んでいる偽善者を更正させるのはほぼ不可能である。

自分が偽善者であるかどうかを判別するバロメーターは、殺す行為は無条件に悪とするかどうかで決められる。

“殺すことは悪である”と無条件で判断する人間は全員偽善者だ。

“状況によっては殺すことも悪ではない”と条件付きで判断する人間は偽善者ではなく、寧ろ、偽悪者である。

偽善者が人間社会を差別・不条理・戦争の世界にしたのである。

偽悪者は人間社会を差別・不条理・戦争の世界から解放することができる。

「国常立命(クニトコタチノミコト)」が鬼神四郎に指令した言葉をもう一度思い出すがいいだろう。

 

『デビル。お前の名前はデビルと言う。お前は、わしの分身じゃ。

お前は、わしの指図通りに行動しているだけで、それが小汚い人間どもの世界では悪いことだと言われていても、気にすることはまったくない。

自然が天変地異で人間の命を奪っても、人間は自然を殺人罪で捕まえることは出来ないであろう。

まともな人間なら、その時、自分たち人間が自然の摂理から逸脱する行動をしたから天罰を受けたのだ、と反省するだろう。

人間が人間を殺すと、いかなる理由であっても殺人罪になるというのは間違っておる。

それならどうして人間が戦争をして大量の殺戮をしても殺人罪にならないのだ。

人間社会も以前はそんな決まりはなく、それよりも自然の摂理をはずれた行為をしたら殺されるのが当たり前だと思っていたのじゃ。

それが人間どもだけが勝手に自分たちの掟を決めおって、まったくけしからん!

掟というのは自然が決めることで、たかが人間ごときが決められるような軽いものではない。

お前は人間の決めおったルールを破っただけで、自然の掟は破っておらん。

人間のルールなど老若男女全員が破っておる。

そのようなルールなど破られるためにつくったような、くだらんものだ。

それより自然の掟を知ることが一番大事なことじゃ。

自然の掟というのは、結局、この大宇宙の法則のことじゃ。

その大宇宙があまりにも大き過ぎるので、その掟を、宇宙のスケールに合わせて細分化したのじゃ。

だからお前たちが住んでおる地球にも宇宙の掟の一部が、地球の掟として厳然とあるのじゃ。

よいな、まず地球の掟を知り、その掟に添った行動をすることじゃ。

わしは、それを今まで、いろいろな人間に教えてやってきたが、彼らの力不足で実行するまでに至らなかった。

だから仕方なくお前の体を借りて自ら実行することに決めたのじゃ。これからお前が想い、行動することは、すべてわしが想い、行動することである。そのこと、よくこころしておくのじゃ』

 

 

第百四十三章 ヒカリの狂気

 

人類は地球の子であるが、太陽の孫でもある。

人類が月に移住するようになると、太陽、地球、月のそれぞれの想いの関係に異変が生じる。

「ヒカリ」、「カミ」、「テンシ」というそれぞれの想いの中で、人類は今まで「カミ」の意識を共有していたが、これからは、「テンシ」の意識を共有するようになる。

21世紀には神の概念に基づく宗教が消滅する所以がここにある。

「神(カミ)」に対する意識が希薄になる。

宗教に洗脳されてきた人間社会では、仮に無神論者でもいざとなると、”神さま!助けて!” と、叫ぶほどDNAに摺り込まれている。

親から子へ、子から孫へ・・・と連綿と洗脳されてきた「神(カミ)」に対する意識を消し去ることは殆ど不可能だ。

それほどに「神(カミ)」に対する意識は日本人にとっては侵すべからざる領域なのであり、英語を話す民族にとっての「God」に対する意識も同じだ。

「神(カミ)」や「God」などは民族独自の概念に対して、同じ英語でも「Divine」という言葉は民族を超えた意味合いを持つ。

2011年頃から「ヒカリ」という想いを持つ太陽に異常現象が起こりはじめた。

宇宙の進化過程で重要な意味を持つファとミとの間の半音とは、太陽系惑星群と地球という惑星の関係に他ならず、半音ゆえ従来の方向を軌道修正しなければならない過程なのである。

まさに、

真空宇宙を旅する際、軌道修正するときだけロケットを噴射させるだけで済む慣性の法則に則している。

宇宙の法則=太陽系惑星群が従来の宇宙観の基本にあったことに人類は気がつかなかった。

まさに、

太陽という恒星が宇宙の基本要因になっていたのが天文学、物理学の基本スタンスであったことを科学者たちは自覚していなかった。

太陽系を宇宙と錯覚していたのである。

なぜなら、

太陽系から観測するということ自体が太陽系を宇宙と錯覚している証明だ。

太陽系の中心は言うまでもなく太陽である。

では、

銀河系の中心は何か?

全宇宙の中心は何か?

地球という太陽系から観測している限り、銀河系の中心も、全宇宙の中心も太陽しかないのである。

だから、

地球は、親星である太陽の周りを公転していることを自覚しているが、太陽はじっとしているものだと理解していた。

実はそうではなく、太陽もスバル座のアルシオーネという星の周りを公転していたのであり、アルシオーネもまた・・・と際限なく続くのであり、行き着く先など永遠にないことに気づくのである。

まさに、

宇宙一様説の所以であり、137億光年の拡がりを持つ宇宙とは、膨張した宇宙という風船の表面にちりばめられた映像に他ならないことが判ってくる。

従って、

宇宙観を根本的に見直すべき時期がやってきたのである。

宇宙は膨張しているというのが現代宇宙論だが、膨張するには中心が要るわけだが、その中心は常に自分の居る場所で、飽くまで主観の世界観であり、決して、客観の世界観ではない。

まさに、

ビッグバン以来膨張し続けている宇宙に存在する銀河や星は、膨張する風船の表面に位置しているだけということになる。

そうであるなら、

ビッグバン以来137億光年の大きさに膨張している宇宙風船の中心から宇宙風船の表面までの距離なのか、それとも、それぞれの銀河や星を起点にした137億光年の拡がりがあるというのか?

一体どちらというのか?

現代科学は、ビッグバン説による宇宙誕生とその後の膨張宇宙を主張し、ビッグバンから137億年という歳月が経過し、いま尚、膨張し続けている現在の宇宙は137億光年の半径を持った風船でなければならない。

そして、

ビッグバンの87億年後、すなわち、今から50億年前に太陽という恒星が誕生し、46億年前に我々地球のような太陽系が誕生したなら、太陽系惑星群は50億光年の半径を持った風船の表面に存在しなければならないことになる。

すべての宇宙が137億光年の拡がりを持った風船の表面に存在しているのでは大きな矛盾が生じる。

そうすると、

膨張した風船宇宙の表面が一番古い過去、すなわち、ビッグバン時の様相で、収縮する風船の表面がより新しい過去ということになるが、現在とは完全に収縮したビッグバン時と同じ様相ということになり、風船宇宙は膨張すればするほど過去が伸び、収縮すればするほど過去が縮む、静止する現在と膨張・収縮する過去しかない宇宙ということになり、未来の宇宙など存在しないことになる矛盾が露呈すると同時に、137億年前という過去の宇宙が風船宇宙の表面ではなく、137億年後である現在の宇宙が織り成しているのが風船宇宙の表面だということになり、見えるのは過去ではなく、現在であることになる。

詰まる処、

光の速度は秒速30万Kmではなく、無限大速度でなければならなくなる。

やはり、

ビッグバンを起こしたのは自分の外なる世界を映し出す映像世界ということになり、自分の内なる世界にこそ実在宇宙が存在することになる。

映画館で鑑賞する映画は白いスクリーン、すなわち、平面体に立体的に映し出されるため、鑑賞者はよほど意識していない限り、二次元平面に映っている映像であることに気づかず、三次元空間の現実だと錯覚してしまうように、膨張し続ける風船宇宙の表面(平面)だけに存在する宇宙の銀河や星は、意識して観測しない限り、二次元平面に映っている映像であることに気づかず、三次元空間の現実だと錯覚してしまう。

現代科学者たちは、その事実に気づいていないのだろうか?

20世紀に入って太陽の活動に異変が生じはじめ、特に21世紀に入って太陽の想いである「ヒカリ」が狂気的な言動を発しはじめた。

太陽の子である地球にも異変が生じるのは時間の問題である。

フォトンベルトの有無を論じるよりも、フォトンベルトの影響を論じることが極めて大事である。

問題の根源を論じるよりも、問題自体を論じるべきだ。

地球は一日24時間で自転し、一年365日で公転している理由を論じるよりも、一日24時間で自転し、一年365日で公転している事実を受けとめることが大事だ。

地球が一日24時間で自転し、一年365日で公転している理由など誰も知らないのである。

現実に太陽の活動は1万数千年単位で繰り返し、その影響を受けた地球も1万数千年単位で氷河期を繰り返している事実があり、太陽系がフォトンベルトに突入するサイクルが太陽の公転時間、すなわち、24,000年周期内で2回ある点から周期的にフォトンベルトに符合するのである。

名前などフォトンベルトでも他の名前でもなんでもよいのであって、問題は1万数千年周期で地球を襲ってくる氷河期が目前に迫っているという事実だけである。

そしてその氷河期はどうやら太陽の活動と密接に関係しているようだ。

まさに、

太陽の想いである「ヒカリ」が狂気の沙汰になると、地球の想いである「カミ」が震えあがって地球に氷河期が襲ってくるようだ。

太陽の想いがなぜ「ヒカリ」と呼ばれるのか?

太陽は恒星を代表しているからで、恒星とは自ら光を発する星のことだ。

水素の核融合によって発生する巨大なエネルギーが光を発すると思われがちだが、巨大な熱を発生するが、光は正物質と反物質の対消滅によってしか生まれない。

被爆した人たちが“ピカドン”と呼んだのは、まさに、雷と同じように、先ず光を発してからドンと爆発が起こったからで、その時差は雷と同じである。

では、

雷が光を発するのはどういうメカニズムか?

地上の水が急激に蒸発して水蒸気となった積乱雲(入道雲)のプラスの水素イオンと地上にあるマイナスの水素イオンとが衝突して対消滅した結果生じたのがピカの光であり、衝突の衝撃がドンなのである。

まさに、

光の波と音の波が雷の威力(パワー)の源泉であるように、光の波と音の波が原爆の威力(パワー)の源泉であり、光の波と音の波が太陽の威力(パワー)の源泉である。

この事実は一体何を意味しているのだろうか?

まさに、

相転移現象と共に対消滅現象が起こることによって、運動宇宙が映し出されるのである。

静止する実在宇宙に相転移現象と共に対消滅現象が起こることによって、運動する映像宇宙が映し出されるのである。

その運動する映像宇宙に大きな異変が起ころうとしている。

それは、太陽の想いである「ヒカリ」の狂気の所為である。

 

第百四十四章 人間中心の宇宙

第百四十五章 実在宇宙と映像宇宙

第百四十六章 ホンモノのカミ

第百四十七章 すべての宗教が消える日

第百四十八章 量的優位性=質的優位性

第百四十九章 地球(惑星)から月(衛星)へ

第百五十章 月移動のリハーサル

第百五十一章 月(衛星)の正体

第百五十二章 進化の意味

第百五十三章 月は静止宇宙

第百五十四章 宇宙の誕生と死

第百五十五章 テンシの自叙伝

第百五十六章 神の自叙伝

第百五十七章 テンシの誘惑

第百五十八章 人類最大の過ち

第百五十九章 人類→人間→新人類

第百六十章 新人類

第百六一章 月の子

第百六十二章 どぶねずみ掃討作戦

第百六十三章 本来のねずみ

第百六十四章 エデンの園を出ていったのは人類ではなくどぶねずみだった!

第百六十五章 “どぶねずみ”と“ねずみ”の違い

第百六十六章 ヒト

第百六十七章 アウェーカー“気づきヒト”

第百六十八章 人類 (Mankind) → 新人類 (Womankind)

第百六十九章 メス社会 V.S.女性社会

第百七十章 いよいよ女性社会

第百七十一章 God → Goddess

第百七十二章 重なり合う意味

 

 

第百七十三章 水平宇宙 & 垂直宇宙

 

「宇宙」という中国語は、「時空の世界」という意味らしい。

「宇」は天地四方の意味、すなわち、空間の世界の意味であり、「宙」は古往今来の意味、すなわち、時間の世界というわけだ。

では、

宇宙は時間と空間の4次元の世界なのか?

最近の科学者の世界では、宇宙は10次元らしい。

3次元空間世界には、隠れた6次元世界があるらしい。

4次元時空間世界には、6次元世界が潜んでいるらしい。

実は10次元世界で生きているのに、3次元空間しか実感できず、4次元要素である時間のみならず、6次元円・円・円・円・円・円は認識できないでいるらしい。

たとえば、

電線(チューブ)の表面は、小さな蟻にとっては平面の世界、すなわち、縦方向と横方向という2方向のある2次元平面の世界であるが、電線(チューブ)に止まる鳥にとっては、縦方向という1方向しかない1次元線の世界となり、電線(チューブ)は実は円を描いた3次元立体が隠れているというわけだ。

それが、縦、横、高さの3次元空間で生きている人間だったら、6個の円を持つ余剰次元が潜んでいて、重力・電磁気力・強い力、弱い力を統一する理論を構築する上において、この余剰次元が必要というのだ。

実によくもまあ、ここまで複雑怪奇な思考をしたものだ。

阿呆ほど、物事を複雑に考え出す典型のようなものが科学者であり、こうなると、4次元時空世界の上の5次元世界は愛・慈悲の世界であり、6次元世界は阿羅漢の世界であり、7次元世界は菩薩の世界であり、8次元世界は如来の世界であり、9次元世界がエルカンターレの世界であり、10次元世界になってはじめて神の世界などと嘯く新興宗教はまるで詐欺行為であることが丸わかりだ。

詰まる処、

宗教と科学は同じ穴の狢であった証明だ。

ところが、

宗教と科学は、表面上は二律背反関係にあると、誰もが信じて疑わないでいる。

現に、

近代科学の産物(唯物論)である共産主義思想では、宗教は阿片(麻薬)だと断じて敵対しているし、宗教の権化であるローマバチカンも科学を基本的には否定しているのがその証拠である。

ところが、

裏では彼らは手を繋いでいたのが真相だ。

結局の処、

人間社会は悪意の極まった社会と結論づけることができる。

これはやはり地球の想いである「カミ」の責任と言わざるを得ないだろう。

「三の法則」を実現させた「カミ」は、ある意味では評価できるが、その前に宇宙は「七の法則(オクターブの法則)」が厳然と機能していることに気づかなかったようだ。

それもそのはずで、

太陽(ファ)と太陽系惑星群(ミ)の間で半音になる「七の法則(オクターブの法則)」なのに、地球はしょせん太陽系惑星群の一つに過ぎないために、充分気づけなかったのだろう。

一方、

絶対宇宙(ド)に回帰する衛星(レ)は衛星(シ)でもあり、そこにも半音があったゆえ、

円回帰運動を完結できる点にあったから、充分な自覚ができていた違いもあった。

この違いはある意味で非常に大きく、まさに、人間社会にだけ本音と建前という二本立ての意識が生じ、本音では垂直思考できるのに、建前では水平思考してしまうという、人間最大の問題点が発生してしまったのだ。

 

 

 

第百七十四章 地獄の黙示録(神の自叙伝 完)

 

地球の想いが、地球上にはじめて誕生したものであり、「カミ」と呼んだのが、そもそもの間違いだったようだ。

そういう点では、「イシキ」も「ヒカリ」も同罪だ。

お蔭で「テンシ」などと呼ばれるようになってしまった。

特に、

「ヒカリ」という呼び方が問題だった。

そもそも光などといったものは実在しなかった。

飽くまで映像を映すために光は必要だったのであり、実在するものはすべて暗黒の中にあるわけだから、まさに、光とは暗闇の不在概念に過ぎなかった。

ところが、

人間社会だけが、光を絶対的なものとした。

有がはじめにありきか?

無がはじめにありきか?

これが頭のいい人間の考え方だ。

実に馬鹿げている。

有など無の不在概念に過ぎないのに、無を有の不在概念と逆さまにしてしまったのが人間という生きものだ。

よくよく考えてみればいい。

有るとは一体どういう意味だ?

無い状態から生まれたから有るのではないか!

これは決して人間どもがする言葉の遊びではなく実在の話である証明が、運動宇宙がしょせん映像宇宙であり、それは、静止宇宙という実在があるからに他ならない点にある。

まさに、

点にすべてがある。

言い換えれば、

静止にすべてがある。

一方、

線や平面や立体や時空間など実体のない幻想に過ぎない。

在ると思い込んでいるだけだ。

在るのは静止点だけだ。

線は運動線であり、平面は運動平面であり、立体は運動空間であり、時空間は運動時空間であり、運動するものはすべて、点と点の間の幻想に過ぎない。

まさに、

静止が実在で、運動は幻想に過ぎない。

そして、

運動には必ず時間の概念が要る。

時間の概念なくして運動など在り得るわけがない。

そうすると、

時空間だけではなく、時平面もあり、時線もあるのは当然だ。

それを、

4次元時空間などと特別扱いするのはおかしい。

では、

2次元時線とは一体どんな幻想(映像)か?

3次元時平面とは一体どんな幻想(映像)か?

そして、

4次元時空間とは一体どんな幻想(映像)か?

まさに、

3次元空間+余剰6次元=9次元空間、

4次元時空間+余剰6次元=10次元空間、

そして、

際限なく余剰円を繰り返す。

 

あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れる

現に、

宇宙には、誕生があって死もあると科学者どもが主張しているのは、誕生が静止から運動への相転移現象であり、生きることが運動状態であり、死ぬことが運動状態から静止状態に再び相転移現象していることに他ならないからだ。

宇宙にはそもそも死の概念など存在せず、死とは位相の変化、すなわち、相転移現象のひとつに過ぎない。

そして、

相転移現象は温度の変化によって為されるのは、宇宙のみならず地球だけにある分子化合物である水も同じである。

0度以下なら氷、0度から100度までは水、100度以上なら水蒸気はまさに温度の変化による相転移現象に他ならない。

生とは0度から100度までは水、すなわち、液体の状態だから、動いているのであって、0度以下の氷、すなわち、固体の状態になれば、動きが止まる、つまり、死というわけだ。

では、

100度以上の水蒸気、すなわち、気体の状態は、生なのか?死なのか?

まさに、

死後の世界などない絶対的証明に他ならない。

 

なぜなら、 

神の自叙伝 この本の奥付ページ
新田論の人間学書 文明の進化へ

 

 

死ぬとは動きが止まることであり、動きが止まっている世界に時間が存在し得るわけがない。

輪廻転生とは運動の概念なしで語ることができないのは、その言葉からして運動している証明であり、英語でいう「Reincarnation」もまさしく、運動している状態の証明に他ならないのだから、輪廻転生など死後の世界とは無縁である証明だ。

「地獄の黙示録」が新約聖書の最後を飾っているのはなぜか?

この問いに対する答えが輪廻転生にあり、復活にある。

すべてのことにおいて、人間は勘違いしているようだ。

まさに、

「地獄の黙示録」のままでよかったのだ。

飽くまで、飽くまで、飽くまで・・・・・・・・・。

-おわり-

 

【神の自叙伝 反省編・改正編・決断編・懺悔編 完】


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