新 田  論 作 品 の E-book 版 紹 介

本当の自分へ

心の旅の案内書 Part Ⅰ


心の旅の案内書-1の本の内容詳細ページです。 
新田論の自分探し書 本当の自分へ

はじめに

 「病は気から」からといわれます。

気は心、考え、思い・・・精神的なものと考えていいでしょう。ちょっと難しい言葉になりますが、形而上学(Metaphysics)の世界のことをいいます。観念的世界と言ってもいいでしょう。

一方、病という言葉からわたしたちがイメージするのはやはり肉体の異変という感覚がまず浮かんできます。形而下学(Physics)の世界のことをいいます。物質的世界と言ってもいいでしょう。

あの人は唯神論者だ、いやあの人は唯物論者だと巷でよく議論のもとになりますが、人間の体が形而上学的なものと、形而下学的なものの両方で構成されているわけですから、絶対的唯神論者もいなければ、絶対的唯物論者もいないことが真実だと言えるのではないでしょうか。

ところがイデオロギー、フィロソフィー、ポリシーとか言って無理やり区分けしようとするから話しがややこしくなってしまうのです。

憲法や法律といったものは人間の世界だけにあるものです。すなわち人間が決めたことで、他の動物の世界にはそういったものはありません。もちろんルールや掟といったものはありますが、ある意味ではこちらの方がはるかに厳しいもので、裏取引は存在し得ません。人間社会での憲法、法律は破られるためにあるようなものですが、動物の世界のルール・掟は、その動物の、そのときの支配するものが決めるのではなくて自然・宇宙が決める普遍的なものだから絶対性を持っているのです。動物のボスが替わるたびにルール・掟が変わることはなく、ボスといえどもそのルール・掟を守らなければ自然・宇宙から裁かれます。

よく「天が最後に裁く」といわれますが、結局そのとおりで、いくら人間が憲法だ、法律だといっても最後の審判を下すのは独裁者でもなければ、民主的な裁判所でもなく、人間も動物であり、自然・宇宙の恵みで生かされているかぎり、自然・宇宙のルールに絶対性があることは認めざるを得ません。憲法や法律は所詮せまい人間社会の中でしか通用しない相対的なものなのです。

憲法や法律の専門家は評論家も含めて数えきれないほどいます。政治家がそうでしょう。役人もそうでしょう。弁護士もそうでしょう。いわゆる当局といわれているところの人たちがそうです。またそれを勉強する学問もたくさんあります。

しかし、そんな憲法や法律の力などを圧倒する絶対性のある自然・宇宙のルール・掟を教える専門家もいなければ、学問もありません。

天文物理学、自然科学といった学問はありますが、人間の生活に密着せず、一部の立派な学者の趣味の世界だけになっていて、宗教がその替わりの役目を果たしてきたのが人間の歴史だったと言えるのではないでしょうか。現代人類文明において、その結果はどうだったでしょう。

人間の科学が自然・宇宙の上に君臨することが出来たでしょうか。

宗教が自然・宇宙をも貫いた真理を説くことが出来たと言えるでしょうか。

わたしがこの本を書いた動機は、この矛盾を何とか少しでも埋めたいと思ったからで、そのためにはまず自然・宇宙の考えを知らなければならない、理解できなければならない、そして自然・宇宙は人間に何を期待しているのか、どんな使命を与えているのかを発見しなければなりません。

その発見の旅の地図として少しでも役に立てたらの想いでこの本を書きました。

そして、みなさんのこれからの真理発見の旅の案内書になってくれれば幸いだと思って書きました。

できるだけ客観性をもたせるため、専門用語を使っての科学的考証を重視したため難解な表現になっているところはご容赦下さい。

難解で理解できないところ、納得できないところは飛ばして読んでくれたらいい、ただ一回読んだからといって書庫入りさせないで、一生の活字の友人としていつもあなたのそばにおいてやってください。そして何か悩みや心配ごとがあったら、横からさっと出してどこのページでもかまいませんから、さっと開けたところに書いてあることを読んでください。

そのときあなたの悩み、心配を少しでも和らげてくれると思います。

この本はそういった本ですから、くりかえし何度も読まれることをお奨めします。

今まで読んだいろいろな分野の本の知識と、じぶんの体験とをおりまぜて書きあげたわたし自身のためのバイブルでもあります。

  2000(平成12)年9月20日   新 田 論

第一部 時空の世界

第一章 人類の朝明け/時空の世界に生きる/宇宙と自分

 

人類の朝焼け

おおきな、おおきな 骨の棒を振りかざし 二本足の獣が闊歩する

洞穴の中で たがいに抱き合って 夜の恐怖に震えていたのが、まるで

嘘のように雄雄しく闊歩する

朝がやって来るとほっとする、朝焼けが命の調べ

朝焼けが光を生むことを知った朝、手弱い獣が雄雄しく胸をはる

その獣の両手から、おおきな、おおきな 骨の棒が朝焼けの空に

放り投げられる

世界でもっとも凶暴な獣の誕生を祝福するかのように朝焼けが世界を

照らしだす

朝焼けに慄く四本足の獣が手弱く洞穴に駆けこんで昼の明かりに震え

ながら 夜を待つ

だけど 二本足の獣はもう夜を恐れない

そのとき世界は夕焼けの死のプロローグ

あれから どれだけの時間が経っただろう

いまや 夕焼けの死のエピローグ

 

時空の世界に生きる

   我々が生活をしている地球、その他の太陽系惑星、それを含む銀河系星雲を一つの宇宙ととらえ、それらと同じような星雲がまた無数に広がる宇宙は百五十億光年の大きさといわれており、現在もその大きさは膨張し続けています。

この四次元、すなわち、空間という三次元に時間を加えた宇宙世界を時空(TIME &SPACE)の世界といわれています。

一般的には、空間(立体)が我々の住む世界といわれていますが、なぜそこに時間が入るのでしょうか。時間は絶対的なもので三次元の立体である我々は時間の中に閉じ込められています。

人間をふくめて森羅万象すべての物体には、その物体の中に魂が宿っています。

死ぬことを、息をひきとると言います。生きている証しは息をしていることです。息をしていると思考が働き、死ぬと思考が働かないのは息をしていないからです。すなわち、考えるということは、息をしていることと同じことであるのです。

そこで一度息をとめてみるとどういう変化がおきるか観察して見ましょう。最初のうちは肺に息が残っているのでまだ思考が働いていますが、だんだん息がきれてきて苦しく感じてきますがそれでもまだ思考は働いています。もうだめだ、苦しい、これ以上息をしないと死んでしまうというところまでいくと、突然思考が止まることに気がついたことがありませんか。思考は止まったが、まだ生きている、正に死ぬ一歩手前の状態を経験したことがありませんか。思考は止まった、だけど生きていることは間違いない、その時いつもと違う自分を感じるはずです。思考していない自分を感じる。普段は、あなたは考えているのが自分だと思っています。ところが考えていないところにも自分がいることを知る。この二人の自分は一体どこが違うのでしょうか。

考えている自分はいつも過ぎ去った過去の世界か、これからやってくる未来の世界で生きています。考えるということ自体が過去のことか、未来のことしか対象になり得ないのだから当然といえば当然です。現在、この瞬間を考えることは出来ません。考えた時点でそれは過去か未来になっているのです。時間とは過去と未来しかない、現在という時間はないということに気がついたことはあるでしょうか。時間とは移動することであり、瞬間とは立ち止まっていることです。したがって息を止めると、この現在瞬間に立ち止まることが出来るのです。そのときはじめて時間の閉じ込めから解放され、考える自分がいなくなったのに、意識があることに気づくのです。その状態が時空の世界に生きている状態なのです。NOW & HERE (今ここ)には三次元に生きる自分はいないのです。NOW &HEREではなくNOWHEREなのです。

そこに本当の不滅の自分がいる、肉体が消えてもいる自分がある。それを魂というのです。

だから、死んで魂が残るのではなく、肉体が生きていても魂は歴然とあることに気づくことが大切なのです。

息をしていることに意識を集中すると、息を吸って、吐く、この合間では息をしていません。そのことを分かる自分が本当の自分なのです。

  

宇宙と自分

  普段の自分と本当の自分とがあるということが分かりました。

普段の自分は肉体の中に閉じ込められていることも分かりました。本当の自分は時空の世界、すなわち宇宙と共にあるのです。肉体が生きているときは息が本当の自分と時空の世界(これからは宇宙と呼ぶ)のブリッジになっています。肉体が死ぬと本当の自分は宇宙に帰り宇宙全体と一体となります。川の水が海に流れこんで大海と一体となるのと同じです。これが一体な状態ということです。しかし、肉体が外から燃料(食べ物)の供給を受けて生きているときは、普段の自分(思考する自分)と本当の自分との間も息によって遮断され、本当の自分と宇宙との間も息によって遮断されている、無意識に息をしていると、吸う息と吐く息との合間に気づかないためそこに思考が入りこみ本当の自分を遮断してしまう、必然、本当の自分が意識できないのだから、宇宙とも遮断されてしまいます。

遮断とは、一体ではないということ、部分でしかない。そうするとその隙間にどんどんと、とりとめの無い思考が入り込み、とりとめの無い思考の数だけの自分がそこにいる。

ほんの少しの晴れ間のある空に雲が容赦なくは入り込み雲いっぱいに埋めてしまうように。

自分自身、何を本当に考えているのか分からない。あっちこっち、よそよそしい目でそれぞれを見ているいっぱいの自分がいる。そのときは淋しい気持ちになる、ただ、たくさんの人がいても、お互い知らなければ、余計淋しくなる。パーテイーで誰も知合いがいなくて、ぽつんと一人いるときは、家に独りでいるよりも余計淋しい。孤独という意味はこの状態のことをいいます。

一体でいるということは、独り の状態にいるということです。複数の自分はいない、ただ本当の自分が存在して、それが宇宙と一体になっている。すべてが一体ということと独りということは実は同じ意味なのです。

息をすること一つとっても、こんなに違う、ほとんどの人は無意識に息をしている。

ほんの少し、意識をするだけで息は沢山の真理を教えてくれるのです。

普段、人が考えているのは全くといっていいほど無意識に考えています。もう少し、考えることが絞られてくると少し意識的になります。集中しているときは、もっと意識的になります。一体な状態にいると、宇宙との一体感を味わうことができます。これが人間の究極の悦びだと早く気づくことです。

息をする時も、よく見つめて、意識しているとこんなすばらしい体験が出来る。

歩く時も、食べている時も、寝ているときも、意識して、することが大切です。

その中でも息は宇宙と自分との架け橋だけに、余計意識して、することが大切です。

息は宇宙からのエネルギーをはこぶ乗り物です。乗り物に気がつかずに乗り物の中のエネルギーをもらっているのです。

誰からもらったか分からないプレゼントはあまり悦びを感じないでしょう。どんな高価な贈り物でも誰からもらったか分からなければ悦びも少ないでしょう。

 

息という素晴らしい贈り物を宇宙から間断なく、もらっていることに、意識して感謝することです。

  

 

第二章 息/息

  

死ぬことを 息をひきとるという

生まれたとき オギャーとまず息をする

間断なく日夜 息は休みなく 続けられる

だけど あなたは そのことに気づかない

そして ほかのことに 日夜気をつかっている

それでも 息は 気も悪くせず あなたに与え続けている

あなたが 何かに困ったとき 助けてくれる人がいた

お金に困って 助けてくれた人がいた

病気になって 助けてくれた 医者がいた

ヤクザにからまれて 助けてくれた人がいた

その度に あなたは命の恩人だと 連発する

それなのに最大の恩人である息には 何も言わない

それでも 息は あなたに与え続ける

それが 本当の愛であり

それに応えるのが本当の感謝である

  

  息を止めると、思考が止まると言いましたが、思考を止めるということに何の意味があるのでしょうか。

人が生きていて、楽しいことばかりなら、神も要らないし、人の情も要らないし、愛する人も要りません。

神頼みして、そのとおりにならなかったら、人は神をも怨むでしょう。

人の情にすがって、与えられなかったら、その人を怨むでしょう。

人を愛して、裏切られたら、その人を憎むでしょう。

すべては、自分の欲望が原因なのです。相手の人は、自分の欲望を映す鏡になっているだけです。

実はその欲望が考えることから発生するのです。欲して、手に入ったら幸せだ、一時的だが。手に入らなかったら不幸せだ、これも一時的だ。

こうして、人は一生おなじことを繰り返します。欲望は麻薬と同じで中毒になります。だから、なかなかそこから抜け出すことは難しい、抜け出すためには、思考を止めるしかない。

だけどこの世で思考を止めて生きることは、ジヤングルの中を裸で歩くぐらい危険なものです。

だが、少しでいいから考えることをやめたら、なにかとてつもない偉大なものに守られているような感じを持つことができます。

だけどまた考えるから、夢見たことをすぐ忘れるように、偉大な存在を忘れてしまう。人はこのような一瞥をしょっちゅう経験している。だけどほんのちょっとの間だけ。

だから、継続した思考の中止が必要になってきます。

息をとめ、思考が止まると、息が宇宙からのエネルギーを運んできてくれていることに気がつく。息が運ぶエネルギーは自分を生かしてくれている生命エネルギーであり、それがなければ、自分は存在しないことを発見する。いくらカロリーの多いものを食べても、生命エネルギーがないと自分は存在できない。その生命エネルギーを感じ、発見するために思考を止めるのです。

まず、息を意識することからはじめましょう。息が口から肺に入り、もっと下のほうへと入っていく動きをまず意識してみましょう。それが出来たら、いよいよ吸う息と吐く息との合間を意識してみましょう。これが出来るようになるには、かなりの時間、継続するトレーニングが必要です。吸っているとき、また吐いているとき、息は動いている。だから息を肌で感じることは難しい。だけど、その合間のとき息は止まっているから捕まえやすい。

勿論、思考をとめて捕まえるのだから普段の考えているのが自分だと思っている人には出来ない。息をとめ、思考が止まっても、そこにいる自分なら捕まえることが出来る。

さあ、捕まえることが出来た、その瞬間、息という乗り物に運ばれてきた生命エネルギーが自分の前に現れる。そのときあなたは本当の自分を発見できるのです。

 

 

 

第三章 三つ目小僧/第三の目

 

三つ目小僧

むかし 芝居小屋に人気者の奴がいた

三つ目小僧という

人の心を読むという

ある日 一番前の席にいた娘が三つ目小僧に聞いた

わたしは 女か男か分からない どちらでしょうか

わたしの三つめの目をよく見なさい

娘は額の真ん中にある目を じっと見つめた

すると 娘はこの三つ目小僧に恋をした

三つ目小僧は 恋に落ちた娘の目の輝きに 心を奪われた

すると 三つめの目が 瞼を閉じた

娘ははっと 我に返って 三つ目小僧の両目を見た

キャーと 娘は悲鳴をあげて その場から逃げ出した

三つ目小僧は オーイ と声をかけ 答えた

お前さんは まぎれもなく 女だ

だって わたしが両目になったとき まぎれもなく男だった

だが それを知った今のわたしは もとの三つ目小僧

人間扱いされない 見世物の怪物だ

 

 

第三の目

  どこかの南方の島に三つの目がある両棲類がいます。

人間にも何万年か前までは現在ある二つの目の間にもう一つの目がありました。

動物の進化を研究している人達の研究によると、使わなくなっていく体は長い期間を経過していく中で退化していくという結果が出ているそうです。

人間もかつては尻尾があったことは、尾底骨からわかっています。

三つめの目もかつてはあったが、だんだん使わなくなって退化したらしい。

なんのためにあったのか。目は心の窓といわれるが、想いが目にあらわれる。想いとは考えているということです。ですから人が何か心の中で考えたことが、目を通じて表現される。この表現は偽ることは出来ない。言葉では偽ることができても、目からの表現は正直です。

なぜなら、言葉での想い・考えの表現の場合、口から発せられるまえに頭脳を経由する。

頭脳は多くの考え・想いを整理、処理しているコンピユータのようなものでニユーロンという神経細胞がいろいろな考え・想い、いわゆるプログラムの命令を並列に同時処理をする機能を持っているから、口から発せられる言葉は一つのプログラムの処理結果のはずなのですが、脳のところで並列処理されるため、直列処理された結果とは違う答えを発することがしょっちゅうある。すなわち嘘をつくメカニズムです。

ところが目から発する考え・想いは脳を通らずに心(感情)を通って出る。感情は脳のように並列処理する機能はもっていない。また処理能力も持っていない。反射神経という心の鏡をもっており、その鏡に映ったものそのとおりを反射するだけです。その鏡の質の良し悪しは人によって千差万別です。ですがそのとおりのものを反射することは確かです。その反射されたものが目を通して発せられる。ですからそのまま、そのとおりのことをアウトプットする。この二つの目は外の世界を見る機能です。一方、第三の目は人間の内なる世界を見る機能を持っており、生理学では脳の松果腺のところをいう。内観と禅の世界では言いますが、瞑想も内なる世界を見ることです。瞑想の瞑は目をつぶるということです。二つの目が開いていると、生命エネルギーは外へ向かって行く。内なる世界を見るときは、生命エネルギーは内へ向かう。ですから瞑想(内観)をするときは目をつぶり生命エネルギーが外に向かわないようにする訳です。目をつぶるとちょうど、第三の目がある場所に3センチぐらいの大きさの映画のスクリーンのようなものが白銀色の薄い光で輝いているのが見えてくる。それが生命エネルギーの光です。外に向かおうとして、遮られた光が第三の目のところで動きを止めているのです。そうすると、思考がストップする。普段、眠りにつくとき、当然のことですが目をつぶる、眠気が思考を止めていく。そうすると第三の目が機能しだす。

映画のスクリーンが目と目の間のところにあらわれる。そして夢という映画を見始める。

ですから、誰でも夢をみているときは少し上目向きになっています。第三の目のスクリーンです。いよいよ夜の映画が開始です。夢は映画のドラマと一緒で一日中放映している。

  

 

第四章 夢心/夢

 

夢心

夢はタイムカプセル 光の速さの映写機

しかも往ったり復たりの気まぐれさ

あなたはタイムカプセルの孤独なパイロット

だけど孤独なパイロットには操縦する術(すべ)はない

あなたはタイムカプセルの孤独な乗客

だけど孤独な乗客には旅先を選ぶ自由はない

この気まぐれな夢だけど 夢にも心がある

夢心は嘘をつかない正直もの

想ったことは正直に映(言)う

その正直さがトラブルを生む

楽しい夢を見る人は 夢から醒めたら苦しいことばかり

トラブル続きの夢を見る人は 夢から醒めたら楽しいことばかり

夢心は本当の心とパラドックス

本当の心は楽しい旅の旅行者

夢から醒めたら 楽しい旅のバスの中

今あなたは バスの中 それともタイムカプセルの中

 

 

  息と夢との関係は映画でたとえれば、劇場で映画を放映開始するとき、劇場のあかりを消す。

劇場のあかりが息です。息を止めると、夢という映画の開始です。ですがこの息を止めるということは、吸う息と吐く息の合間のことです。トータルに息が止まると、死がやって来る。そうしたら夢は完全に消える。ですから普段生きている、すなわち息をしているときは息の合間のときだけ夢を見ている。ですから夢は断続的です。起きているときとまったく違う次元の世界が展開されるが、これは眠っているときの夢は断続的だからです。

人間は起きているときも実は夢を見ている。すなわち24時間夢の見っぱなしです。

ただ起きているときは、意識があるから、意識という光で夢を薄くしている、劇場のあかりをつけて放映しているようなものです。スクリーンの画面がはっきりみえない。

空の星は夜になると現れる。では昼間はどこかに行って、空にはいないのか。そんなはずはない。太陽の光が、明るすぎて見えないだけです。だけど、そこにある。夢も同じです。

あなたは夜、夢をみているとき、それを夢だと自覚しているでしょうか。

正に夢を見ているときは、それを現実だと思っているはずです。ただ夢から覚め、目をさますと、夢だったと思うだけです。現実と思っているから、目を覚ましたあとも、夢の余韻が残っていて、少なくとも10分ぐらい、長い場合、何時間も夢の余韻をひきずっている。

そして現実と思っていたものが夢だったことに気がつく。

起きているときも夢を見ている。すなわち、いま、この現在も実は夢なのです。ただ意識が完全に醒めていないから現実だと錯覚しているだけです。

要は、本当に覚醒しないかぎり、人は生きているあいだ中、ずうっと一生夢を見ている状態なのです。夢という映画のなかで、ときには主役になり、ときには悪役になり、一人芝居を演じているのです。だけど、覚醒した本当の自分は、劇場の中の一人だけの観衆なのです。

あなたも、楽しい映画を見れば笑うでしょう。哀しい映画を見れば涙を流すでしょう。だけど所詮、映画を見る観衆なのです。劇場を出たら、忘れるでしょう。

では、どうしたら夢を夢だと認識できるでしょうか。毎晩の夢は、朝、目を覚ますと夢だと認識する。一日24時間、一年365日の夢は、死が訪れたとき認識する。あの世に行ってはじめてこの世のことが夢だったと認識する。

あなたは、嫌な夢をみたとき、目がさめて夢だとわかったら、ほっとするでしょう。

一生も死んだら夢だとわかってほっとするでしょう。だけどそれはあの世でのことです。

だからこの世を生きるのが苦しいのです。しょっちゅう何かに追いかけられている夢ばかりです、この世のことは。一方、楽しい夢もあるでしょう。だけど死んだら消える夢です。すべては実体のない幻想です。一生夢を見て、眠っている人生です。そんな目的で人間はこの世に生まれてきたのではない。現在の瞬間を生きるために生まれてきたのです。現在の瞬間を生きるためには、まず幻想の世界、夢の世界から脱出しなければなりません。

  

 

第五章 記憶/夢からの脱出

 

記憶

あなたは いま 何才(いくつ)

(二十才)はたち なら 15分の録音テープ

(三十才)みそじ なら 25分の録音テープ

(四十才)よそじ なら 30分の録音テープ

(五十才)いそじ なら 33分の録音テープ

(六十才)むそじ なら 35分の録音テープ

(七十才)ななそ なら 40分の録音テープ

(八十才)やそじ なら 50分の録音テープ

あなたの一生は何分の録音テープ?

さいごに 録音テープは巻き戻し

真っ白なブランクテープにして 次の回

巻き戻し しておかないと 重複録音で混乱する

それが 地獄の巻き絵テープとなる

  

夢からの脱出

  この世のことを夢だと本当に認識するのは困難です。

だから、まず夜、夢をみている、まさにそのとき、これは夢だと認識出来ることを考えてみましょう。そのためには、夢の本質をよく理解しなければならない。

夢は、この世すなわち、時空の世界を生きる中で生じる摩擦(葛藤と言ってもよい)の熱を冷やすのが夢の機能です。三次元という立体(物質、物体)が時間という高次の要因に支配されていることから摩擦熱がおこる。これは人間だけの問題ではない。時空の世界に生きるものすべてに、この摩擦熱は生じる。だから他の動物も夢を見る。ただ他の動物は時間の認識がないから、それほど強い摩擦熱は生じない。だから、動物は死という認識をもっていない。最も強烈な摩擦熱が死への恐怖です。ずうっと、この熱といっしょにいたら、焼失してしまう。そこで夢という氷まくらがこの熱を冷やしてくれる。だから夢を見るということは悪いことではない。だが、摩擦熱がなければ、夢も必要ない。そしたら夢を見なくなったら摩擦熱がないということにもなる。

摩擦を起こさずに夢を見ないか、夢を見ないことで摩擦を起こさないかのどちらかです。

死への恐怖を克服すれば摩擦は起こらない。これは、現在の世の中では非常に困難です。

常に死と直面していないと、死の恐怖の克服は難しい。では夢をみないようには出来ないのか。ずうっと昔の過去から、ほんのちょっと前の過去までの記憶が時間と空間の概念をいれずにストックされているのが夢のシナリオです。だから訳の分からないストーリーとなって出てくる。

この混沌としたシナリオを、時間と空間の要素できっちり整理してみることです。

生まれたときからの記憶を四次元的(時系列、かつ空間別の行列式)に整理するのは不可能です。

最も可能性のあるのは、今日一日の四次元的記憶の整理は出来そうです。

記憶はsequentiallyすなわち順列的 に保存されている磁気テープです。ところが夢として出てくるときは断続的すなわちdirect access するCDのかたちになっている。記憶磁気テープをその日、一日の間に消すことが出来ればこれからの夢のシナリオである記憶メデイアにはこれ以上蓄積されない。

そうすると、いままでの記憶メデイアは新しいネタが切れて、そのうち自然消滅する。

そのとき、夢はもう出てこない。

だから、その日、一日の記憶テープを毎日消す努力が大切です。

ではどうしたら、消せるか。まずテープを巻き戻すこと、そして消す。

だから、その日、一日の記憶を寝る前にその直前の記憶から、その日の朝目をさましたときの記憶へ逆再生する。そして消す、すなわち眠りにつく。そして翌朝、目がさめたら、目を開けずに今朝の記憶から昨日の夜眠りについた時まで、また逆再生する。そして目を開ける。これを毎日続けたら、夢をみないようになる。

 

 

第六章 不安/リラックスした生き方

第二部 根の発見

第七章 心の誕生/人間の根

第八章 宇宙の愛/根(ルーツ)の再発見

第九章 振り子時計/振り子

第十章 石/物質と非物質

第十一章 あなたは どこに行く/生命エネルギーのベクトル

第十二章 記憶の掃除/精神の若さ

第十三章 ニタッ/喜怒哀楽

第十四章 怒り/発散と抑圧

第十五章 どぶネズミの暴走/罪と罰

第三部 心の慣性

第十六章 氷/心の慣性

第十七章 首を横に振る/心の動きを止める

第十八章 死ぬときもユーモア/死との直面

第四部 見るということ

第十九章 人間の優しさ/滅私

第二十章 瞼は心の段幕/見る

第二十一章  狂気/瞑

第二十二章 ルノアールかピカソか/全体を見つめる

第二十三章 天/空(そら)の中を見る

第二十四章 一期一会/あなたは何も見ていない

第二十五章 めまい/木が走っている

第二十六章 猿の惑星/地球というコマ

第五部 聞くということ

第二十七章 コンサートとカラオケ/あなたは何も聞いていない

第二十八章 自閉症/沈黙の世界

第二十九章 ため息/音の三要素

第三十章 除夜の鐘とゴング/ボクシングの三分

第三十一章 馬の背/楽曲の背骨

第三十二章 いろは歌/お気にいりの音

第三十三章 ベロッ/舌が考える

第三十四章 かしわで(柏手)/隻手の声

第三十五章 かごめ歌/AHは世界共通語

第三十六章 人形/あなたの体は管楽器

第三十七章 ダブルネーム/あなたの名前は宇宙への入り口

第六部 複数のあなた

第三十八章 恋/考えることと感じること

第三十九章 あなたの中のあなた/気づきがあなたを決める

第七部 本物の生き方

第四十章 優柔不断/リアルに生きる

第四十一章 勇気・決断・実行/人生の悪循環を絶つ

第四十二章 以心伝心/夢の中は世界語

第四十三章 あなたの好きな色/七色の虹が消えたとき

第八部 鏡のホコリ

第四十四章 眠ってる顔/自分を思いだす

第四十五章 黄金の錆/鏡の上に溜まるホコリ

第四十六章 台風の目/あなたは主人かそれとも奴隷か    

第四十七章 蟻の一生/深刻にならないこと

第四十八章 勇気ある者は利口者/勇気とはすべてを受け入れること

第四十九章 綱引き/あなたはいつでも正しい

第五十章 生きていることが悟り/瞑想は遍在する                    

第九部 大海の波

第五十一章 さざなみ/大海の波            

第五十二章 非思量/色即是空・空即是色

第五十三章 感動/あなたの五感を合成する

第十部 生きることは危険なこと

第五十四章 精神の汗/納得の人生か錯覚の人生か

第五十五章 360度思考/本当のプラス思考

第五十六章 くしゃみ/くしゃみを止める

第五十七章 不安/良い悪いが精神の眠りの原因

第十一部 変貌と変節

第五十八章 真理/西洋的考えと東洋的考え

第五十九章 裏切り/変貌するあなたと変節するあなた 

第六十章 帰郷/輪廻転生が終わるとき

第六十一章 夢の回数/リアルに生きない分夢を見る

第六十二章 希望/パンドラの箱   

第六十三章 戦争と平和/天国と地獄 

第六十四章 変った人/凡人と哲人

第十二部 光の本質

第六十五章 トンネル効果/背骨は至福への通路

第六十六章 野球のピッチャー/男と女の本質

第六十七章 光の性別/光の二面性

第六十八章 この山越えれば花さかり/如何に在るべきか

第六十九章 小宇宙/空があなたの中を見入る

第七十章 あなたの中の空/宇宙を飲み込む         

第七十一章 氷山の底/自我と意識の違い

第七十二章 こうなって ああなって/体験がすべて

第十三部 暗闇の本質

第七十三章 暗闇の不在/宇宙の始まりは暗闇

第七十四章 Sound of Silence/暗闇と友達になる

第七十五章 人見知り/暗闇という友達は人見知りする

第七十六章 コインの裏表/沈黙は暗闇

第十四部 イマジネーションの力

第七十七章 コンピュータ/記憶の蓄積が自我を生む

第七十八章 火葬/自我(エゴ)が燃え尽きる

第七十九章 時間を超越できるか/想像がすべての創造者

第八十章 フェアープレイ/オープンがキーワード

第八十一章 わたしは誰?/エゴの不在が実在の証、実在の不在がエゴの証

第八十二章 恋/考えずに感じること

第八十三章 雲を切る/雲間を見る

第十五部 全体の中に溶け込む

第八十四章 女性のボディービル/肉体への執着

第八十五章 透明人間/何もないものを考える

第八十六章 知って やる/知識と体験のバランス

第八十七章 在る と 居る/わたしが在ることを感じる

第八十八章 知って 解った/知ることと理解することの違い

第八十九章 あなたの中の空/すべてがあなたの中

第十六部 思考と物質

第九十章 にらめっこ/目は正直

第九十一章 肉体から神体へ/あなたは七つの体を持っている

第九十二章 読書好き/知識は、何も知らないということを知るためのただの道

第九十三章 フィーリングとタッチング/神秘な世界の言葉はフィーリング

第九十四章 始まりと終わり/無限の拡がり

第九十五章 ウォー/ライオンの雄叫び

第十七部 独りの世界

第九十六章 わたしは誰?/あなたは自分をまったく知らない

第九十七章 始まりと終わり/無限の拡がりにあなたを放り出す

第九十八章 ハートアタック/至福の体

第九十九章 台風の目/あなたの中心は台風の目

第百章 不安/あなたもビッグバン

第十八部 瞬間に生きる

第百一章 綱引き/あなたはこのままでいいと思っている

第百二章 努力/信念は山をも動かすことが出来る

第百三章 心の旅/禅の十牛図

第百四章 あなたの中の案内役/純粋意識というあなたの自動安全装置

 

あなたの中の案内役

あなたが 困ったとき

どうしていいか 分からないとき

あなたの中のささやきという案内役がいる

その案内役のささやきに耳を傾ける

そして その通りにやると

すべてが うまくゆく

だから たとえ その案内役が

いかなるところへ 案内しても

信頼して ついてゆくこと

心の旅の案内書を持って

あなたの中の案内役を信頼すれば

鬼に金棒

  

純粋意識というあなたの自動安全装置

  かつて科学者は物質の探求を続け、一時は物質が最終の実在だと言っていました。

その後の科学の発達で、もっと深いところに物質でないようなものがあることに気づいた。それがエネルギーです。生命(Vital)エネルギーで、非物質だと結論づけた。

科学者は生命エネルギーが究極だと言っているが、神秘思想家はまだその奥にトータルな純粋意識があると主張している。

物質が究極だと百年前に言った科学が今エネルギーを究極だと言っている。

この究極の純粋意識に目覚めることです。

意識にはまず、顕在意識がある、一番表面にある物質にかかわる層。その次にあるのが無意識のエネルギーの層、ここまでは人間自身が認識している。第三番目の層が、潜在意識があるトータルな純粋意識とつながっている層。

肉体やエネルギーはいろいろ分割することが出来る。実体ではないから。あくまで現象ですから。ですが純粋意識はトータルですから分割出来ない。

分割できないところが最終ゴールです。

この純粋意識が唯一存在するものだと認識することです。それがすべてです。

この感じをまず持つように、いつも純粋意識の位置に自分を置いておくことが大事です。

「不思慮底を思慮する、是即ち非思慮」

思慮とは考えること、ですから不思慮とは考えないこと、考えないことを考える、ようするに何も考えないようにする、ということです。そしてそれを習慣にすると、非思慮になる。

考えないということから、考えそのものが非ず、なくなるということです。

この非思慮の境地になると、人間の本来備わっている安全装置が機能しはじめる。

ふだん、あなたは自分で安全を確保しようと、無い知恵を絞ってやっきになっている。

その間は、体の中にある自動安全装置は働かない。そして失敗を繰り返してびくびくして生きている。

純粋意識に入ると自動安全装置が勝手に働きだす。

そのためには、非思慮の境地にならないとだめです。

自動安全装置は第三の意識の層にあります。

自動安全装置が働くと、たとえその装置が危険なところに導いても、怖がらずにその危険の中に入って行くこと、それがあなたの成長するための道なのです。その危険を経験し乗り越えることであなたは成長し、覚醒する。

たとえその装置があなたを死へ誘っても、勇気をもってその中へ入って行くこと。それがあなたの唯一の道です。その自動安全装置を信じて行動することです。

それが非思慮の境地です。

そのとき 色すなわち(即)この世が、そのまま空すなわち天国になり、

天国すなわち空が、そのまま色すなわちこの世になる。

色即是空

 

空即是色

 

  

第百五章 知性の朝焼け/空の世界

  

知性の朝焼け

骨の棒が 武器になった

これは 動物としての朝焼け

人間の本質を知ったとき

これは 人間としての 朝焼け

二千五百年前 に 人間の朝焼けがあった

それから 二千五百年

太陽が 沈む 夕焼けが迫ってきた

だが まだ 朝焼けの 名残がある

まだ ほんの少し

  

空の世界

  これから説明することは釈迦が弟子たちに教えたもので、最もよく知られた空の理論です。

前半は主に肉体のメカニズムを奥深く理解することで心との相関性についてまとめ、後半は想像力(イマジネーション)の力が持つ創造性でまとめました。

何度も言いましたが、肉体を使うことはかなりの意志の強さが必要なだけに、だれか指導してくれる人が横にいて行ったほうが安全です。

イマジネーションを使うものは、自分ひとりでやる方が返って邪魔されずに出来る利点があるし、危険もない。

肉体のメカニズムの理解ではじまり、想像力の力を知ることは、フィロソフィーではなく、テクニック、科学です。

この教えは宗教ではない。科学です。釈迦は「神もない、精神もない、魂もない、あるのは空だけだ」と言いました。

それはいみじくも近代科学の先端をきる量子力学において証明されました。二千五百年前に釈迦が発見した理論は二千五百年を経て科学として証明されました。

あなたは、肉体が実体のあるものと思って毎日生きている。ですから肉体の死を恐れる。

肉体を構成している物質を見て行くと結局回りの空気との境界がなくなってしまう。その理由は前にも何回も説明しました。

そうすると、あなたの肉体とその回りにある空気との境界がないということは、あなたはいないということです。あなたという映像があなたの目と他人の目の交差点にある鏡に映っているだけです。映像は実体ではない。

あなたの体の中を顕微鏡で覗くように見ていくと、結局あなたの体の皮膚が回りの空気との壁になっており、その皮膚の細胞にまで入って行くと境界はなくなって、あなたは空気と一体になる。

そこで「自分はどこにいる?」と聞いたら「自分て、わたして、何?」と質問が帰ってきます。それが空です。

たとえばあなたは会社に勤めていて仕事をしている。それ以外には家でいる。その間を移動している。食事をしている。常に何かをしている。

そのしているあなたは、どこにいるのでしょうか。

会社で仕事をしているとき、あなたは会社にいるのでしょうか。

家で眠っているとき夢を見ている。そのときあなたはどこにいるのでしょうか。ベッドの中にいますか。いないでしょう。夢の景色の中にいるのですか。

あなたはどこにもいない。だけどどこにでもいる。

空であり遍在です。これが至福の状態です。

どこが問題でもなければ、だれが問題でもない。

現在がすべての問題の答えです。

それなのに、あなたはもだえ苦しんでいる。

現在が答えなのに、未来に答えを出そうとしている。結果という答えを。

現在が答えなのに、過去に答えを出してしまっている。原因という答えを。

だから、今苦しいのです。

いや、逆です。あなたは今苦しむから、今を楽しめないから、今を逃しているから、未来か過去に行くしかない。だが未来はまだ来ないし、過去はもう過ぎ去ってしまって戻っては来ないのに、それを今どうにかしようと思っている。これは不可能です。こんなことを続けていたら、疲れ果てて結局あなたはギブアップです。

ですから、まずあなたの中を空にして、今現在のあるがままの状態を楽しむことです。

それをすぐに24時間することはむずかしいから、一日一時間でいいからその状態に入れる時間を持つことです。

注意することは、一日一時間、あなたは自分独りで楽しむ世界を持ったとしても、残りの23時間何かしている世界の一部と考えてはおしまいです。せっかくの一時間が残りの23時間で相殺されてしまう。この一時間だけは、まったく別の世界の生活スタイルとして独立させておかなければならない。

そうすれば、あなたは独り至福の世界に浸ることが出来、やがて23時間の世界も至福の世界へ引き込まれて行く。

 

色即是空・空即是色です。

 

  

第百六章 夕焼けの死/知の人・無知の人の架け橋を取り除く

 

夕焼けの死

人類が 知性を得て

人間の朝焼けを迎えてから

何万年

地球のみならず 宇宙までも

支配しようとする 人間

それを また 知らずに いる人間

知の人 と 無知の人 とが活躍した

この 何万年

極端と極端の共存は

必ず 終焉の時が来る

その何万年の間に

東にいた太陽は 西に変った

もう 夕焼けの死が まもなくだ

また 人間の朝焼けが

果たして人間のところに戻って来るだろうか

どれとも また 暗い 洞穴の中に 戻るのだろうか

  

知の人・無知の人の架け橋を取り除く

  人間にはふたつのタイプがいます。

知識の人と無知の人です。

知識の人は自分の持っている知識を宝物のように思って、それに依りかかって生きている。知識が依るすべてです。

無知のひとは、自分に依るものがない。ですから他人に依る。

あなたが父親と母親との間で受精され一つの細胞として生まれたときの自分、そして、年をとって死に、あなたの肉体が灰となって消えていくときの自分を見つめてみる。なかなか同時に見つめることはむずかしいし、とくに死ぬ自分を見つめるのは非常にむつかしい。

この見つめ方の両方が出来たら、一般的にいう良いことと、悪いことが、お互い相殺されて、良いことだけに執着する自分がいなくなり、空っぽの存在だけが残る。

ふつうの人間は敵より味方を、貧乏より富を、憎しみより愛に執着する。

この憎しみや、貧乏や、敵のことを見つめることを執着と言えますか。

富や、味方や、愛に執着するというのは理解できます。

この場合は執着という言葉が適切ではないかもしれません。

人からの助けです。

人間が生まれて最初に求めるのがこの他人からの助けです。まず母親からの助けです。

これがはじまりです。このはじまりから人間はボタンのかけ間違いをしました。

動物は生まれたときから助けをあてにしないのが原則です。

人間だけが他人からの助けを必要とするものになってしまった。

自然の本質を忘れてしまった。それがエデンの園からの追放です。

自然の本質は、助けがないことです。ただ静かで沈黙しているだけです。

その自然な中に人間もいる。

ですから、決して助けを求めてはいけない。どだい無理な要求です。

だがいろいろな世界で人間は助けを求める。

その際たるものが宗教です。

99.9%宗教の世界に入る人たちの願望は助けです。

神にすがれば助けて貰える。

日本でも主流になっている仏教は他力の助けをあてにした教えです。

悟りの一瞥へのきっかけにもならない。

我々が存在するこの自然の本質が助けのない世界です。

この自然という実在へのドアーはいつでも開けられている。

 

入るか、入らないかはあなた次第です。

 

 

おわりに(そしてまたはじめに)

第一回目の心の旅が終わりました。

しかし小学生の修学旅行のようなものだったと思います。

個人行動が出来ない旅だからほとんど記憶には残らないでしょう。

次の心の旅は中学生の修学旅行程度にはなるでしょう。

すこしは遠くへの旅で個人行動も許されるから記憶に残るでしょう。

高校生の修学旅行になると旅先を自分で選択できるようになります。

 

それだけ自主的な旅だけに記憶もそれまでよりも強く残ります。

 

大学生になると修学旅行ではなくなり、個人の思い出のための旅になります。

それだけ自由だと、自己責任のともなう旅になるでしょう。しかしまだ楽しい記憶が多い旅です。

社会に出るといよいよ実戦の旅に入ります。楽しさもありますが、緊張の方が強くなってきます。記憶・思い出という過去の世界から実戦方法を学ぶという未来に焦点が移っていきます。

この辺りが一番苦しい山の旅です。

しかしこの山を乗り越えるとまた楽しい旅に変わっていきます。

そこへ行き着くには、少なくとも七回以上の心の旅を続けなければなりません。

長い旅です。

だからあまり急がずにゆったりとした旅にすることです。

106種類の心の案内版を息切れしないために一日ひとつのペースで参考にしてください。

いつか必ず心の旅を終えるときがやってきます。

そのときまで心の案内書を失わないように気をつけてください。

  2000(平成12)年9月26日 新田 論

 


この本に関するゲストさんと私(平成の乙)の意見交換の場です。

下に質問や感想を書いて下さい、そのまま順々に公開しますが、私からの返事もここに書き込みます。この欄で皆様と情報交換しながらE-bookの拡販に取り組みたいので、投稿よろしくお願いします。

※記載する名前は「仮名」でOKです。ここへの掲載は内容確認後になります。

※直接質問して確認したい方は「お問い合わせ」のページからお願いします。折り返し返信します。

コメント: 0

この本へのシェアボタンです。よろしく!⇒



このページを下のAmazon版・E-book版・pdf版として作成しました。読みたい版をクリックして、一旦ダウンロードしてからファイルを開いてお読みください。PDF版はそのまま開きます。



この本の「カスタマーレビュー」の投稿を、Amazonページの方によろしくお願いします。


発刊済の本の名前を記載すれば即検索OKです。