新 田  論 作 品 の E-book 版 紹 介

人類の進化へ

(静止)宇宙論

 (静止)宇宙論 この本の内容詳細ページ
新田論の哲学書 人類の進化へ

はじめに

 

我々が『宇宙』と呼んでいるのは、137億年前に大爆発(ビッグバンと呼ばれている)によって誕生した宇宙のことです。

大爆発(ビッグバン)によって誕生した宇宙は、大爆発の直後に重力・強い力・弱い力・電気力の四つの力に分かれて、その結果、運動(円回帰運動)を始めたのです。

137億年前までは一つ(唯一)の力だった宇宙があり、大爆発(ビッグバン)によって四つの力に分かれた結果、回転し出したらしい。

そして、X粒子の正物質と反物質が衝突する対消滅によって光が誕生し、更に音が誕生した。

我々が『宇宙』と呼んでいる、『運動の光と音の宇宙』のことです。

他方、137億年前に起きた大爆発(ビッグバン)以前の宇宙は『静止と暗闇と沈黙の宇宙』と言えます。

従って、『静止と暗闇と沈黙の宇宙』は静止(静止一如)の絶対宇宙であるのに対して、『運動の光と音の宇宙』は静止・運動の相対宇宙だと言えるでしょう。

相対性理論とは、運動理論でもなく、静止理論でもなく、静止・運動の相対理論であり、敢えて言えば、運動理論とは静止・運動相対理論のことであり、静止理論とは静止絶対理論のことです。

アインシュタインの相対性理論には、特殊相対性理論と一般相対性理論があります。

特殊相対性理論は、光の速度は絶対速度であり、光の速度より速いものはなく、光以外のものはすべて相対速度であると主張しているから、光の速度を(C=Constant)で表現しているのです。

一般相対性理論は、光の速度が絶対速度(C=Constant)である宇宙では、すべてに万有引力が働くというものであり、万有引力が働くということは運動宇宙であるというわけです。

地球が太陽の周りを回っている(公転している)のは、太陽と地球の間に万有引力が働いているからですが、別の言い方をすれば、巨大な太陽の重力によって周りの空間が歪み、その歪みに填まり込んだ結果だというわけです。

相対性理論は現代物理学の粋だと言われていますが、物理学とは運動理論のことですから、相対性理論は運動理論の粋というわけです。

冒頭で述べました通り、運動理論とは静止・運動相対理論のことですから、静止理論も包含されていなければなりません。

静止理論は絶対静止理論をベースにしていなければならないことは言うまでもありません。

運動理論を述べようとすれば、先ず、静止理論を述べなければならないわけです。

相対性理論を述べようとすれば、先ず、絶対性理論を述べなければならないのです。

この作品の意図は、我々が『宇宙』と呼んでいる『運動の光と音の宇宙』の産みの親である、『静止と暗闇と沈黙の宇宙』を論ずることにあります。

『宇宙』の果ての世界とは?

無限の世界とは?

を論ずることにあります。

尚、本文では一切の無駄を省くために、簡略表現に徹しますのでご了承下さい。

 

 

2005年12月10日 新 田  論

 

 

 

第一部 実在宇宙と映像宇宙

 

 

第一章 宇宙

 

『宇宙』とは。

広義では、あらゆる存在物を包含する無限の空間と時間の広がり、哲学では、秩序ある統一体と考えられる世界、物理学では、存在し得る限りのすべての物質および放射を含む空間、天文学では、あらゆる天体の存在する空間、銀河系外星雲を小宇宙、それらを包含する空間を大宇宙、太陽系空間のことを特に宇宙空間と言う。

中国を初めて統一した秦の滅亡後、楚の項羽を破った劉邦が建国した前漢時代の紀元前三世紀に書かれた哲学書である、『淮南子(えなんじ)』斉俗訓によれば、『宇』は天地四方の空間を、『宙』は古往今来の時間を意味する時空間のこととなる。

『宇大(うだい)』とも言い、『八紘(はっこう)一宇』とも言い、『世界』とも言い、『森羅万象』とも言い、そして『万有』とも言う。

ニュートンが発見した『万有引力の法則』とはまさしく『宇宙の法則』と言えるだろう。

だが、我々が『宇宙』と考えてきた『万有の世界』が実は映像に過ぎなかったとするなら、何とするだろうか。

映像宇宙があるなら、実体宇宙がある筈だ。

映像と実体の関係についての視点に変えてみると、映像宇宙と実体宇宙の関係が見えてくる筈である。

我々は映画を見る。

我々が見る映画とは、白いスクリーンに映っている動画面(Animation)に音声が加わったものである。

我々が『宇宙』と呼んでいる、『運動の光と音の宇宙』とまったく同じだ。

白いスクリーンに映っている動画面(Animation)と音声は、我々鑑賞者の背後にある映写室から送られたものであり、映写室では映画フィルムが回っているだけである。

映画フィルムとは一枚一枚のスナップ写真を重ね合わせた静止画フィルムのことであり、フィルムの端に音声テープを繋ぎ合わせたものだ。

映写フィルムを映写機で回すと、白いスクリーンに動画面(Animation)が映り、スピーカーから音声テープが再現されるが、鑑賞者である我々は、白いスクリーンに映った動画面(Animation)を見て、スピーカーから発せられた音を聞いて、「現実」だと錯覚して感情移入する。

我々が『宇宙』と呼んでいる、『運動の光と音の宇宙』を見て、聞いて、「現実」だと錯覚して感情移入するのと同じである。

それでは映写室にある映写機と映画フィルムは一体何処にあるのだろうか。

『静止宇宙』とはまさしく映写機と映写フィルムが在る映写室に違いない。

これからその映写室に入って行こう。

 

 

第二章 時間

 

運動しているものはすべて映像に過ぎない。

静止しているものが実在である。

時間は運動しているもののみに関わっている要因だ。

F=mα・・・運動方程式だ。

はじめに実在する物質(m)が在り、そこに力(F)が加わって、(α)という加速度が生じたのが運動のメカニズムだ。

静止している物質(m)に四つの力(重力・強い力・弱い力・電気力)が加わった結果、

加速度(α)が生じ運動をはじめた。

つまりビッグバンというわけだ。

このαという加速度こそ運動をはじめる基になったものだ。

dL/dt=V・・・・距離(Length)を時間(time)で微分(differentiate)したものが速度(Velocity)である。

dV/dt=α・・・速度(Velocity)を時間(time)で微分(differentiate)したものが加速度(α=acceleration)である。

速度や加速度こそが運動要因であり、それらは時間に関わっている。

『宇宙』は時間と空間の織り成す時空世界とするのは運動宇宙のみに適用される定義に過ぎず、静止宇宙には時間要因は適用されない。

時空という概念は運動宇宙だけしか論じることはできない。

運動宇宙は動画面(Animation)という映像である。

静止宇宙は静止画フィルムという実在である。

動画面(Animation)は静止画フィルムあっての物種だ。

映像は実在あっての物種だ。

従って、

時間は絶対的なものではない。

従って、

運動は絶対的なものではない。

従って、

速度や加速度は絶対的なものではない。

従って、

光は絶対的なものではない。

『時空の宇宙』などまやかし(映像)に外ならない。

2300年前の中国の『淮南子(えなんじ)』と100年前のアインシュタインの『相対性理論』との一致性を偶然性と捉えるか、必然性と捉えるかが鍵である。

 

 

第三章 力

 

ビッグバン直後に四つの力が誕生したと物理学者は主張するが、それは道理に合わない。

ビッグバンとは動き出すことであり、力なくして動き出すことはできない。

四つの力など人間が勝手につくった区分け概念に過ぎない。

重力

強い力

弱い力

電気力

宇宙に存在する力に変わりはない。

万有引力(Universal Gravitation)に変わりはない。

静止宇宙にも、ビッグバン以後の運動宇宙にも存在する力こそ万有引力だ。

F=mαの力(Force)はビッグバン以後の運動宇宙に適応される開かれた力だ。

静止宇宙に適応される力は閉ざされた力だ。

開かれた力をOpen Force(OF)と呼ぼう。

閉ざされた力をClosed Force(CF)と呼ぼう。

閉ざされた力が開かれた力に変わったことをビッグバンと呼んでいるだけだ。

OF=mα

CF=m

mは物質。

mαは物体。

静止宇宙は物質しかない世界だ。

運動宇宙は物質が運動する物体の世界だ。

物質が静止画フィルムである。

物体が動画面(Animation)である。

静止画フィルムが運動して動画面(Animation)という映像が映るように、静止宇宙が運動して運動宇宙という映像が映る。

静止画フィルムを運動させるのが映写機である。

映写機には回転させるモーターと光をつくるランプがある。

映写機こそ閉じた力を開放された力に変える変換機であり、ビッグバンを起こした張本人である。

 

 

第四章 静止と運動

 

球体である地球の表面(リーマン空間)で生きている限り、直線を描くことは不可能であると同時に、線(一次元直線)運動することも不可能である。

球体である宇宙の表面(リーマン空間)に存在する限り、直線を描くことは不可能であると同時に、線(一次元直線)運動することも不可能である。

我々の運動宇宙が円盤型(三次元球体ではなく、二次元平面)の証明である。

太陽系惑星群は冥王星を除いたすべての惑星が同一平面(同心円)運動しているのがその証明であり、冥王星は惑星ではない証明でもある。

76年周期のハレー彗星と同じで、247年周期の彗星だと言った方がいいだろう。

太陽系惑星群を内包する銀河系星雲も直径が10万光年の円盤型(二次元平面)であり、銀河系星雲を内包する137億光年の我々が『宇宙』と呼んでいる、『運動の光と音の宇宙』も円盤形(二次元平面)の証明である。

運動とは二次元平面運動のことであり、静止とは一次元線静止のことである。

線運動などといったものは一切ない。

運動はすべて平面運動であり、平面運動とは円運動のことである。

円運動するには中心があって、中心から直径方向の運動と中心から軸方向の角運動の二つの運動で以て円運動し、円には角度がつきものである根拠だ。

線(一次元直線)が平面(二次元円)になると、静止が運動になる。

『静止の暗闇と沈黙の宇宙』は一次元線世界であり、閉ざされた力(CF=m)の世界である。

『運動の光と音の宇宙』は二次元平面世界であり、開かれた力(OF=mα)の世界である。

映写機こそ閉ざされた力(CF=m)を開放された力(OF=mα)に変える変換機であり、対消滅機である。

正物質のX粒子と反物質のX粒子が衝突して対消滅した結果、光粒子(光子体フォトン)が誕生したのも、閉ざされた力(CF=m)を開放された力(OF=mα)に変える変換機があったからであり、変換機こそ対消滅機である。

開放された力(OF=mα)のことを四つの力と呼んでいるだけであり、唯一の力である閉ざされた力(CF=m)が次元アップしただけのことである。

静止から運動するビッグバンとは、実在を映像化する次元アップのことである。

  

 

第五章 立体空間

第六章 回帰

第七章 円回帰運動

第八章 巻き戻し(Rewinding)

第九章 線往復運動

第十章 (不在)概念

第十一章 粒子と波動

第十二章 暗闇と光

第十三章 対消滅

第十四章 『ひとつの宇宙』か『ふたつの宇宙』か

第十五章 光と時間と運動

第十六章 映像宇宙

第十七章 五感(見る・聞く・匂う・味わう・触れる)

第十八章 静止と運動(2)

第十九章 三の法則

第二十章 七の法則

第二十一章 絶対・相対性世界

第二十二章 数

第二十三章 「あいだ」の世界

第二十四章 絶対一と絶対・相対性三

第二十五章 有限と無限

第二十六章 実在と映像(感覚)

第二十七章 時刻

第二十八章 尽数比

第二十九章 月

第三十章 実時間(real time)と虚時間(imaginary time)

第三十一章 時間は概念

第三十二章 現実(reality)

第三十三章 過去・現在・未来

第三十四章 水平世界と垂直世界

第三十五章 勘違いの宇宙論

第三十六章 生(有限)と死(無限)

第三十七章 全体と部分

第三十八章 不可能な考え方

第三十九章 人間だけの法則

第四十章 新人類誕生

第四十一章 宇宙レベルの人類の歴史

第四十二章 軸の移動

第四十三章 真実の歴史

第四十四章 相転移

第四十五章 三態(三体・三相)変化

第四十六章 結晶化宇宙と混沌宇宙

第四十七章 根源宇宙と錯覚・幻想宇宙

第四十八章 位相の変化=死の恐怖

 

 

第四十九章 究極の相転移

 

『静止の暗闇と沈黙の宇宙』の絶対宇宙から、『運動の光と音(喧噪)の宇宙』の相対宇宙がビッグバンによって誕生した。

高温・高圧の宇宙がビッグバン後、膨張(温度・圧力の低下)を続け、137億光年の拡がりを持つに至った。

究極の相転移だ。

HO分子化合物の相転移なら、

一個のHO分子化合物がビッグバン直前の『静止の暗闇と沈黙の宇宙』の絶対宇宙だ。

ビッグバンによって一個のHO分子化合物の『静止の暗闇と沈黙の宇宙』の絶対宇宙が『運動の光と音(喧噪)の宇宙』の相対宇宙を映し出した。

一個のHO分子化合物の全体宇宙の誕生だ。

更に、

映像である一個のHO分子化合物の全体宇宙が膨張(温度・圧力の低下)を続けることによって、一個のHO分子化合物の水蒸気の相対宇宙を映し出した。

一個のHO分子化合物の星雲(銀河)宇宙の誕生だ。

更に、

映像である一個のHO分子化合物の星雲(銀河)宇宙が膨張(温度・圧力の低下)を続けることによって、沸点(100℃)に達し相転移を起こし、一個のHO分子化合物の水の相対宇宙を映し出した。

一個のHO分子化合物の恒星(太陽)宇宙の誕生だ。

更に、

映像である一個のHO分子化合物の水の恒星(太陽)宇宙が膨張(温度・圧力の低下)を続けることによって、沸点(100℃)と融点(0℃)の間を変化(運動)して、一個のHO分子化合物の水の相対宇宙を映し出した。

一個のHO分子化合物の水の惑星群宇宙の誕生だ。

更に、

映像である一個のHO分子化合物の惑星群宇宙が膨張(温度・圧力の低下)を続けることによって、融点(0℃)に達し相転移を起こし、一個のHO分子化合物の氷の相対宇宙を映し出した。

一個のHO分子化合物の地球宇宙の誕生だ。

更に、

映像である一個のHO分子化合物の地球宇宙が膨張(温度・圧力の低下)を続けることによって、融点(0℃)と昇華点(-78.5℃)の間を変化(運動)して、一個のHO分子化合物の氷の相対宇宙を映し出した。

一個のHO分子化合物の月宇宙の誕生だ。

更に、

映像である一個のHO分子化合物の月宇宙が膨張(温度・圧力の低下)を続けることによって、昇華点(-78.5℃)に達し相転移を起こし、再び一個のHO分子化合物がビッグバン直前の『静止の暗闇と沈黙の宇宙』の絶対宇宙に戻った。

一個のHO分子化合物の円回帰運動の完結だ。

究極の相転移もHO分子化合物の相転移もメカニズムは同じだ。

 

 

第五十章 人間という一有機生命体の相転移

 

究極の相転移もHO分子化合物の相転移もメカニズムは同じだ。

137億光年の拡がりを持つ我々の全体宇宙というマクロ宇宙の究極の相転移も素粒子のミクロ宇宙の相転移もメカニズムは同じだ。

誕生・生・死という円回帰運動を三態(三体・三相)変化という相転移として七の法則に基づいて円帰結する。

「三の法則」・「二元論」・「七の法則」だ。

従って、

人間という一有機生命体であるミディアム宇宙の相転移もメカニズムは同じである。

人間という一有機生命体の相転移なら、

人間という一有機生命体がビッグバン直前の『静止の暗闇と沈黙の宇宙』の絶対宇宙だ。

ビッグバンによって人間という一有機生命体の『静止の暗闇と沈黙の宇宙』の絶対宇宙が『運動の光と音(喧噪)の宇宙』の相対宇宙を映し出した。

人間という一有機生命体の全体宇宙の誕生だ。

更に、

映像である人間という一有機生命体の全体宇宙が膨張(温度・圧力の低下)を続けることによって、人間という一有機生命体の水蒸気の相対宇宙を映し出した。

人間という一有機生命体の星雲(銀河)宇宙の誕生だ。

更に、

映像である人間という一有機生命体の星雲(銀河)宇宙が膨張(温度・圧力の低下)を続けることによって、沸点(100℃)に達し相転移を起こし、人間という一有機生命体の水の相対宇宙を映し出した。

人間という一有機生命体の恒星(太陽)宇宙の誕生だ。

更に、

映像である人間という一有機生命体の水の恒星(太陽)宇宙が膨張(温度・圧力の低下)を続けることによって、沸点(100℃)と融点(0℃)の間を変化(運動)して、人間という一有機生命体の水の相対宇宙を映し出した。

人間という一有機生命体の水の惑星群宇宙の誕生だ。

更に、

映像である人間という一有機生命体の惑星群宇宙が膨張(温度・圧力の低下)を続けることによって、融点(0℃)に達し相転移を起こし、人間という一有機生命体の氷の相対宇宙を映し出した。

人間という一有機生命体の地球宇宙の誕生だ。

更に、

映像である人間という一有機生命体の地球宇宙が膨張(温度・圧力の低下)を続けることによって、融点(0℃)と昇華点(-78.5℃)の間を変化(運動)して、人間という一有機生命体の氷の相対宇宙を映し出した。

人間という一有機生命体の月宇宙の誕生だ。

更に、

映像である人間という一有機生命体の月宇宙が膨張(温度・圧力の低下)を続けることによって、昇華点(-78.5℃)に達し相転移を起こし、再び人間という一有機生命体がビッグバン直前の『静止の暗闇と沈黙の宇宙』の絶対宇宙に戻った。

人間という一有機生命体の円回帰運動の完結だ。

結局の処、

137億光年の拡がりを持つ我々の全体宇宙というマクロ宇宙の究極の相転移も、素粒子のミクロ宇宙の相転移も、人間という一有機生命体であるミディアム宇宙の相転移もメカニズムは同じである。

我々人間だけが怖れている死とは、人間という一有機生命体が昇華点に達し相転移を起こし、再びビッグバン直前の『静止の暗闇と沈黙の宇宙』の絶対宇宙に戻ることに外ならない。

 

 

             (静止)宇宙論 第一部(実在宇宙と映像宇宙)

-終わり-

 

第二部 絶対性理論

 

 

第五十一章 「理論」と「法則」

 

映像である運動する相対宇宙の法則は単なる理論だが、実在する静止する絶対宇宙の法則は絶対的な法則である。

相対性理論が「The theory of relativity」であるのに対し、これから論ずる絶対性理論が「The law of absolute」の所以である。

理論(the theory )に対して法則(the law)だ。

「考え方」に対して「在り方」だ。

人間社会だけにある「法律」に対して、自然の「法則」だ。

一方、

人間社会だけにある「法律」は、地球宇宙の「全体と部分の相対性の法則」の「部分観」に過ぎない。

人間社会だけにある「法律」は、地球宇宙の「二元論」の「間違った二元論(好いとこ取りの相対一元論)」に過ぎない。

人間社会だけにある「法律」は、地球宇宙の「在り方と考え方」の「考え方」に過ぎない。

従って、

相対性理論は、地球宇宙の「全体と部分の相対性の法則」の「部分観」に過ぎない。

相対性理論は、地球宇宙の「二元論」の「間違った二元論(好いとこ取りの相対一元論)」に過ぎない。

相対性理論は、地球宇宙の「在り方と考え方」の「考え方」に過ぎない。

結局の処、

相対性理論は、人間社会だけにある「法律」に過ぎない。

一方、

絶対性理論は、地球宇宙の「全体と部分の相対性の法則」の「全体観と部分観」を包含する。

絶対性理論は、地球宇宙の「二元論」を包含する。

絶対性理論は、地球宇宙の「在り方と考え方」を包含する。

従って、

絶対性理論は、人間社会だけにある「法律」と自然の「法則」を包含する。

 

 

第五十二章 宇宙の孤児・人類

 

「理論」とは「法則」を言語化(銘文化)したものだ。

言葉を有する人間だけのための「理論」である。

宇宙に存在するすべてのための「法則」である。

従って、

「理論」は「法則」を超えることはできない。

更に、

人間は「理論」を「自然科学」と「社会科学」に細分化した。

「自然科学」とは、自然界(宇宙)の現象を研究する学問の総称であり、実験・観察・数理に支えられて、自然の事物を記述・説明するものであり、

更に、

「法則」を見いだし実証しようとする「経験科学」に発展して、天文学・物理学・化学・地学・生物学などに分けられる。

「社会科学」とは、人間社会の現象を研究の対象とする科学の総称であり、政治学・経済学・社会学・社会心理学・教育学・歴史学・民族学その他の関係諸科学によって、「人文科学」に細分化される。

「人文科学」とは、政治・経済・社会・歴史・文芸・言語といった、人類の文化全般に関する学問の総称であり、「自然科学」や「社会科学」に対して、歴史・哲学・言語などに関する学問のことである。

更に、

人間は人間の価値と無関係に自然(宇宙)の「法則」を見いだし実証しようとする「自然科学」に対して、自然(宇宙)の事物の反復しない一回的個別性を超越的な価値に基づいて選択する「文化科学」にまで細分化して、自然(宇宙)の事物の法則性を明らかにする「自然科学」の対極に位置づける。

従って、

「文化科学」とは「社会科学」・「人文科学」の別称である。

まさに、

人類の歴史は自然(宇宙)の孤児になっていった歴史だ。

 

 

第五十三章 間違ったアプローチの科学と宗教

 

「理論」は「法則」を超えることはできない。

「相対性理論」は「絶対の法則」を超えることはできない。

「絶対性理論」の核心だ。

「相対性理論」は、ミディアム宇宙(有機生命体レベルとしての人間宇宙)のみに適用される「法則」を「理論」にしたものだ。

「絶対性理論」は、マクロ宇宙からミディアム宇宙そしてミクロ宇宙を貫く「法則」を「理論」にしたものでなければならない。

一般的には、

「相対性理論」は、マクロ宇宙の「法則」を「理論」にしたものと言われている。

「量子論」は、ミクロ宇宙の「法則」を「理論」にしたものと言われている。

マクロ宇宙とミクロ宇宙の「法則」を「理論」にしたものは、ミディアム宇宙の「法則」の「理論」に適用されるというわけだ。

アプローチの仕方が間違っている。

木を見て森が見えていない。

科学の定義からして、木を見て森が見えていない。

先ず、森を鳥瞰してから一本一本の木を検証するのが正しいアプローチである。

従って、

「絶対の法則」が森だ。

「相対性理論」や「量子論」といった「自然科学」も、政治学・経済学・社会学・社会心理学・教育学・歴史学・民族学・文芸学・言語学といった「社会科学」も「人文科学」も「文化科学」も所詮は一本の木に過ぎない。

結局の処、

科学とは細分化(分科)する学問に過ぎない。

だから、

学ぶを分科するわけだ。

だから、

利己的になるわけだ。

宗教とは統一化する教えに過ぎない。

だから、

教えを宗めるわけだ。

だから、

宗教は軋轢・相克を生み、戦争を起こすのだ。

 

 

第五十四章 (大)統一理論

第五十五章 エントロピー増大の原理

第五十六章 わからない世界の法則

第五十七章 わかる世界とわからない世界

第五十八章 絶対則と相対論

第五十九章 科学と宗教

第六十章  不確定性

第六十一章 確定性

第六十二章 確定性と不確定性

第六十三章 相対性理論

第六十四章 絶対・相対性理論

第六十五章 不確定性原理

第六十六章 確定性原理

第六十七章 新しい学問

第六十八章 地球

第六十九章 自転と公転

第七十章  地球と人間

第七十一章 絶対性理論の核心

第七十二章 絶対運動と相対運動

第七十三章 静止・運動の法則

第七十四章 『ひとつの宇宙』観と『ふたつの宇宙』観

第七十五章 好いとこ取りの相対一元論

第七十六章 暴走中の人類

第七十七章 正しい『ふたつの宇宙』観

第七十八章 間違った『ひとつの宇宙』観

第七十九章 正しい『ひとつの宇宙』観

第八十章  考え方の転換期

第八十一章 人類としての進化

第八十二章 宇宙の中での進化

第八十三章 (相対)数字

第八十四章 (絶対)数字

第八十五章 (絶対・相対)数字

第八十六章 絶対・相対的生き方

第八十七章 進化

第八十八章 進化係数(n)

第八十九章 Nの世界とN乗の世界

第九十章  固有項(1)と共有項(2)

第九十一章 絶対と相対と絶対・相対

第九十二章 円回帰の数学的意味

第九十三章 1(n)=1nの世界

第九十四章 2(n)の世界

第九十五章 2nの世界

第九十六章 n(n)の世界= nnの世界

第九十七章 時間と空間

第九十八章 錯覚(感情移入)

第九十九章 生の世界と死の世界

 

 

第九十九章 生の世界と死の世界

動いているのが止まっているのであり、止まっているのが動いているのである。

錯覚(感情移入)の正体がここにある。

従って、

実在宇宙は映像宇宙であり、静止宇宙は運動宇宙であり、絶対宇宙は相対宇宙であり、『静止の暗闇と沈黙の宇宙』は『運動の光と音の宇宙』であり、無限の宇宙は137億光年の拡がりを持つ有限宇宙であり、1(n)の世界は1nの世界であり、2(n)の世界は2nの世界である。

つまり、

1(0)=1(1)=1(2)=1(3)・・・=1(n)=1

0=11=12=13・・・=1n1

2(0)=2(1)=2(2)=2(3)・・・=2(n)=2

20212223・・・=2n2

3(0)=3(1)=3(2)=3(3)・・・=3(n)=3

30313233・・・=3n3

        ・

        ・

        ・

n(0)=n(1)=n(2)=n(3)・・・=n(n)=n

n0n1n2n3・・・=nnn

つまり、

n(n)の世界=nnの世界こそが錯覚(感情移入)の正体に外ならない。

ところが、

我々は、n(n)の世界と、nnの世界が別世界であると考えて生きてきた。

つまり、

我々は、生の世界と、死の世界が別世界であると考えて生きてきた。

 

 

第百章  絶対性理論の世界

 

我々は時間という汽車に乗って人生の旅をしている。

窓外には空間という景色が動いて観えるが、空間という景色は静止している。

時間という汽車が動いているから、空間という景色が恰も動いているように観えるだけだ。

舞台に掛かっている白いスクリーンに映っている映像(映画)が、窓外の景色である。

映写室にある静止画フィルムが実体(実在)であり、映画(動画)の正体に外ならない。

時間という汽車に乗っている自分が、鑑賞席で映画を鑑賞している本当の自分だ。

時間の『今』から、空間の『ここ』の連続体である過去・現在・未来を窓外に観ているのである。

運動宇宙とは時間から見た空間の世界のことだ。

映像宇宙とは時間から見た空間の世界のことだ。

相対宇宙とは時間から見た空間の世界のことだ。

静止宇宙とは空間の世界のことだ。

実在宇宙とは空間の世界のことだ。

絶対宇宙とは空間の世界のことだ。

死とは映写機が止まって(静止して)、映画が終わることだ。

鑑賞席に座っている本当の自分に死などない。

死んでいった者も、生きている者もみんな鑑賞席にずっと座っているのだ。

『今、ここ』を生きるとは、劇場の3階(現実の世界)と5階(眠りの中の世界)を日々往復している偽物の自分から、4階(実在世界・静止世界・絶対世界)の鑑賞席に座ることである。

死とは時間という汽車が駅に停車して(静止して)窓外の空間という景色が動画面から静止画面になることだ。

時間という汽車に乗っている自分に死などない。

死んでいった者も、生きている者もみんな時間という汽車にずっと乗っているのだ。

『今、ここ』を生きるとは、窓のカーテンを閉じて、動いている時間という汽車の中で静止することだ。

結局の処、

実在宇宙であり、静止宇宙であり、絶対宇宙であり、『静止の暗闇と沈黙の宇宙』である無限宇宙では、生も死もないのであり、生も死もない世界こそ絶対性理論の世界に外ならない。

 

 

(静止)宇宙論  第二部(絶対性理論)

-終わり-

 

  

第三部 絶対進化論

 

 

 

第百一章 宇宙進化論

 

 

我々人間は地球の進化の中で進化してきた。

地球は太陽系の進化の中で進化してきた。

太陽系は太陽の進化の中で進化してきた。

太陽は銀河系の進化の中で進化してきた。

銀河系は星雲宇宙の進化の中で進化してきた。

星雲宇宙の進化は、映像宇宙であり、運動宇宙であり、相対宇宙であり、『運動の光と音の宇宙』である137億光年の拡がりを持つ有限宇宙の進化の中で進化してきた。

映像宇宙であり、運動宇宙であり、相対宇宙であり、『運動の光と音の宇宙』である137億光年の拡がりを持つ有限宇宙の進化は、実在宇宙であり、静止宇宙であり、絶対宇宙であり、『静止の暗闇と沈黙の宇宙』である無限宇宙の進化の中で進化してきた。

従って、

我々人間の進化を、地球の生命体としての進化として捉えては的を射た進化論にはならない。

つまり、

宇宙の進化の意味を含んだ進化論として捉えなければならない。

絶対進化論とは宇宙の進化論に外ならない。

 

 

第百二章 「無」から「有」の進化

 

映像宇宙であり、運動宇宙であり、相対宇宙であり、『運動の光と音の宇宙』である137億光年の拡がりを持つ有限宇宙の進化は、実在宇宙であり、静止宇宙であり、絶対宇宙であり、『静止の暗闇と沈黙の宇宙』である無限宇宙の進化の中で進化してきた。

実在宇宙であり、静止宇宙であり、絶対宇宙であり、『静止の暗闇と沈黙の宇宙』である無限の宇宙は1(n)=1nの世界である。

つまり、

実在宇宙であり、静止宇宙であり、絶対宇宙であり、『静止の暗闇と沈黙の宇宙』である無限の宇宙は一元論的に進化する宇宙である。

一方、

映像宇宙であり、運動宇宙であり、相対宇宙であり、『運動の光と音の宇宙』である137億光年の拡がりを持つ有限宇宙は2(n)=2nの世界である。

つまり、

映像宇宙であり、運動宇宙であり、相対宇宙であり、『運動の光と音の宇宙』である137億光年の拡がりを持つ有限宇宙は二元論的に進化する宇宙である。

従って、

実在宇宙であり、静止宇宙であり、絶対宇宙であり、『静止の暗闇と沈黙の宇宙』である無限の宇宙と、映像宇宙であり、運動宇宙であり、相対宇宙であり、『運動の光と音の宇宙』である137億光年の拡がりを持つ有限宇宙は非連続である。

つまり、

ビッグバンとは非連続性の中での進化を言う。

つまり、

「無」から「有」の進化を言う。

従って、

「七の法則」とは、「無」から「有」の進化を表現しており、「三の法則」と「二元論」を内在している。

 

 

 

第百三章  人類の祖先

 

映像宇宙であり、運動宇宙であり、相対宇宙であり、『運動の光と音の宇宙』である137億光年の拡がりを持つ有限宇宙が、実在宇宙であり、静止宇宙であり、絶対宇宙であり、『静止の暗闇と沈黙の宇宙』である無限宇宙からビッグバンによって誕生した。

つまり、

「無」から「有」の非連続性の中での進化である。

一方、

人間のメスが、実在宇宙であり、静止宇宙であり、絶対宇宙であり、『静止の暗闇と沈黙の宇宙』である無限宇宙に外ならない。

つまり、

受精というビッグバンによって、「無」から「有」の進化を遂げ、新しい生命、つまり、映像宇宙であり、運動宇宙であり、相対宇宙であり、『運動の光と音の宇宙』である137億光年の拡がりを持つ有限宇宙が誕生する。

従って、

十月十日(280日)という妊娠期間中に、運動宇宙であり、相対宇宙であり、『運動の光と音の宇宙』である137億光年の拡がりを持つ有限宇宙の進化を再現する。

つまり、

人類の祖先も、運動宇宙であり、相対宇宙であり、『運動の光と音の宇宙』である137億光年の拡がりを持つ有限宇宙であり、更に、実在宇宙であり、静止宇宙であり、絶対宇宙であり、『静止の暗闇と沈黙の宇宙』である無限宇宙である証左だ。

 

 

第百四章  進化の再現

第百五章  受精(ビッグバン)

第百六章  分化=進化

第百七章  万有引力の分化(進化)

第百八章  素粒子の分化(進化)

第百九章  原子の分化(進化)

第百十章  分子の分化(進化)

第百十一章 (星雲)宇宙の誕生

第百十二章 (恒)星の誕生

第百十三章 (惑星・衛星)地球・月の誕生

第百十四章 生命の誕生

第百十五章 有機生命体の誕生

第百十六章 魚類の出現

第百十七章 植物の出現

第百十八章 両生類(陸上動物)の出現

第百十九章 爬虫類の出現

第百二十章  原始哺乳類の出現

第百二十一章 現哺乳類の出現

第百二十二章 霊長類(類人猿)の出現

第百二十三章 人類の祖先(猿人)の出現

第百二十四章 原人の出現と隆盛

第百二十五章 旧人の出現と隆盛

第百二十六章 人間の祖先(新人)の出現と隆盛

第百二十七章 人類文明の誕生と分化(進化)

第百二十八章 共同(人間)社会の誕生

第百二十九章 利益(人間)社会の誕生

第百三十章  利益社会=農耕型社会の隆盛

第百三十一章 古代文明の誕生

第百三十二章 第一の軸の時代の登場

第百三十三章 救世主の登場

第百三十四章 近代社会の登場

第百三十五章 現代科学文明の登場

第百三十六章 大戦争(集団共食い)社会の登場

第百三十七章 情報化(超拝金主義)社会の登場

第百三十八章 絶滅の危機

第百三十九章 時間(運動)の誕生

第百四十章  膨張(進化)と収縮(後退)

第百四十一章 円回帰運動の最終段階

第百四十二章 超有無の宇宙

第百四十三章 超宇宙

第百四十四章 『みっつの宇宙』

第百四十五章 無・有・限

第百四十六章 宇宙の存在意義

第百四十七章 鑑賞者の宇宙

第百四十八章 ニセの人間世界

 

 

第百四十九章 超絶対・相対性理論の世界

  

我々は時間という汽車に乗って人生という錯覚の旅をしている。

窓外には空間という景色が動いて観えるが、空間という景色は静止している。

時間という汽車が動いているから、空間という景色が恰も動いているように観えるだけだ。

舞台に掛かっている白いスクリーンに映っている映像(映画)が、窓外の景色である。

映写室にある静止画フィルムが実体(実在)であり、映画(動画)の正体に外ならない。

時間という汽車に乗っている自分が、鑑賞席で映画を鑑賞している本当の自分だ。

時間の『今』から、空間の『ここ』の連続体である過去・現在・未来を窓外に観ているのである。

運動宇宙とは時間から見た空間の世界のことだ。

映像宇宙とは時間から見た空間の世界のことだ。

相対宇宙とは時間から見た空間の世界のことだ。

静止宇宙とは空間の世界のことだ。

実在宇宙とは空間の世界のことだ。

絶対宇宙とは空間の世界のことだ。

超静止・運動宇宙とは汽車の中の自分独りだけの世界だ。

超実在・映像宇宙とは汽車の中の自分独りだけの世界だ。

超絶対・相対宇宙とは汽車の中の自分独りだけの世界だ。

死とは映写機が止まって(静止して)、映画が終わることだ。

鑑賞席に座っている本当の自分に死などない。

死んでいった者も、生きている者もみんな鑑賞席にずっと座っているのだ。

『今、ここ』を生きるとは、劇場の3階(現実の世界)と5階(眠りの中の世界)を日々往復しているニセモノの自分から、4階(映像世界であり、運動世界であり、相対世界という背景画面(スクリーン)と、実在世界であり、静止世界であり、絶対世界という実舞台の両方が見える超実在・映像世界であり、超静止・運動世界であり、超絶対・相対世界)の鑑賞席に座ることである。

死とは時間という汽車が駅に停車して(静止して)窓外の空間という景色が動画面から静止画面になることだ。

つまり、

死とは人生という錯覚の旅をしている時間という汽車から下車することに外ならない。

時間という汽車を下車した自分に死などない

『今、ここ』を生きるとは、窓のカーテンを閉じて、動いている時間という汽車の中で静止することだ。

結局の処、

超実在・映像宇宙であり、超静止・運動宇宙であり、超絶対・相対宇宙であり、『超静止・運動の超光・暗闇と超音・沈黙の宇宙』の超無限・有限宇宙である3(n)=3nの「超宇宙」の世界では生も死もないのであり、生も死もない世界こそ超絶対・相対性理論の世界に外ならない。

 

 

第百五十章  超宇宙進化論

 

人類の進化は人口の増加と共に起こってきた。

人口急増の歴史は二十世紀から始まった。

1900年には16億。

1950年には25億。

1960年には30億。

1970年には37億。

1980年には45億。

1990年には53億。

2000年には61億。

2006年には65億。(増加率=150人/1分、20万人/1日、8千万人/1年)

・・・・・・・・・・・・・・・。

2050年には92億。

従って、

現代人は第32代目である。

第32代目の誕生は、人口が232=4,294,967,296=42億(おく)9,496万(まん)7,296人を超えた時期、つまり、1970年代から1990年代だ。

第31代目の誕生は、人口が231=2,147,483,648=21億(おく)4,748万(まん)3,648人を超えた時期、つまり、1900年代から1940年代だ。

従って、

新人類である第33代目の誕生は、233=8,589,934,592=85億(おく)8,993万(まん)4,592人を越える時期、つまり、2030年代から2040年代だ。

従って、

我々人間が、間違った『ひとつの宇宙』観、つまり、好いとこ取りの相対一元論に嵌り込んだ時期が、1940年代から1970年代である。

従って、

我々人間が、間違った『ひとつの宇宙』観から正しい『ふたつの宇宙』観に先ず立ち帰る時期が、1990年代から2030年代である。

従って、

我々人間が、正しい『ふたつの宇宙』観から正しい『ひとつの宇宙』観に進化することが可能になる時期が、2040年代以降である。

つまり、

我々人間が、相対性理論に嵌り込んだ時期が、1940年代から1970年代である。

つまり、

我々人間が、相対性理論から絶対・相対性理論に立ち帰る時期が、1990年代から2030年代である。

つまり、

我々人間が、絶対・相対性理論から絶対性理論に進化する時期が、2040年代以降である。

つまり、

我々人間が、映像宇宙であり、運動宇宙であり、相対宇宙であり、『運動の光と音の宇宙』の137億光年の拡がりを持つ有限宇宙である2(n)=2nの「有」の世界に嵌り込んだ時期が1940年代から1970年代である。

つまり、

我々人間が、映像宇宙であり、運動宇宙であり、相対宇宙であり、『運動の光と音の宇宙』の137億光年の拡がりを持つ有限宇宙である2(n)=2nの「有」の世界から実在宇宙であり、静止宇宙であり、絶対宇宙であり、『静止の暗闇と沈黙の宇宙』の無限宇宙である1(n)=1nの「無」の世界に立ち帰る時期が、1990年代から2030年代である。

つまり、

我々人間が、実在宇宙であり、静止宇宙であり、絶対宇宙であり、『静止の暗闇と沈黙の宇宙』の無限宇宙である1(n)=1nの「無」の世界から超実在・映像宇宙であり、超静止・運動宇宙であり、超絶対・相対宇宙であり、『超静止・運動の超光・暗闇と超音・沈黙の宇宙』の超無限・有限宇宙である3(n)=3nの「超宇宙」の世界に進化する時期が、2040年代以降である。

その時、

超宇宙進化論の幕開けである。

 

(静止)宇宙論  第三部(絶対進化論)

-終わり-

 

 

 おわりにあたって

 

我々人間は錯覚の世界に生きているようです。

それが、映像の宇宙と言ってもいいだろうし、運動の宇宙と言ってもいいだろうし、相対宇宙と言ってもいいでしょう。

映像を実在と思い込んでいることが錯覚の正体に外なりません。

(静止)宇宙論 この本の奥付ページ
新田論の哲学書 人類の進化へ

 

夢を現実と思い込んでいることが錯覚の正体に外なりません。

言い換えれば、錯覚の進化をしてきたのが、我々人間という生き物に外ならないということであります。

映像を実在と思うことが錯覚の進化、つまり、退化に外ならない。

夢を現実と思うことが錯覚の進化、つまり、退化に外ならない。

人間だけの進化こそが錯覚の進化、つまり、退化に外ならない。

我々人間の親とは地球だけであり、人間の生みの親は本当の親ではないことを理解することで、真の宇宙論と進化論を統合する超宇宙進化論に到達することが可能になるのです。

我々が死ねば母なる大地に戻ることが、その証左であります。

 

2006年5月18日 新田 論


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